2011-09-01から1ヶ月間の記事一覧

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(35)第2部「新しい生活の中から」第3章「働くこと・生きること」(「日録・解放」)

国際都市神戸のどまんなかに、戦後20年余り経過していた当時(1968年4月)にもなお、こうした劣悪な生活環境が放置されていたことには、ほんとうに驚いてしまいました。 しかし、その中で多くの人達が(当時、私たちのまちには1万人以上の人口が密集…

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(34)第2部「新しい生活の中から」第3章「働くこと・生きること」(「日録・解放」)

夢がかなって、愈々私たちの新しい生活がスタートしたところに進んできました。当時、カメラなども持っていなかったことも影響していますが、写真として記録するなどということは、思ってもみなかったようです。 しかし、毎日の出来事はメモをしておくという…

『在家労働牧師を目指して―「番町出合いの家」の記録』(33)第2部「新しい生活の中から」第3章「働くこと・生きること」(「日録・解放」)

馬齢を重ねてきたいま、こうした作業を進めていて思うことは、何事もほんとうに「一歩一歩」なのだということとですね。 若気の至りで、生意気なアオイことを書きなぐっていて、恥ずかしいことばかりですが、私たちに備えられたこの小さな実験は、試行錯誤の…

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(32)第2部「新しい生活の中から」第3章「働くこと・生きること」(「日録・解放」)

「日録・解放」は、今回までで「神戸イエス団教会」在任中のものは終わります。新しい生活を始めるまでの大切な準備として、番町の中に住む家を探すことと、もうひとつは働く仕事場を見つけるということがありました。 今回はそれらのことに関連した日録にな…

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(31)第2部「新しい生活の中から」第3章「働くこと・生きること」(「日録・解放」)

「日録・解放」には、新しい生活をスタートする直前のことから公開していたようで、「神戸イエス団教会」の時のことも綴っています。 それで前回も、その頃の写真を探し出してアップしてみました。ここでも、1枚目は、賀川記念館の屋上で、2枚目は記念館の…

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(30)第2部「新しい生活の中から」第3章「働くこと・生きること」(「日録・解放」)

前回から第2部「新しい生活の中から」に進んでいますが、当時私たちはカメラというものを持っていなかったのではないかと思います。もちろん、テレビもありませんでした。 前回と同様に今回も、まだ「神戸イエス団教会」在任中の「日録」ですから、その頃の…

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(29)第2部「新しい生活の中から」第3章「働くこと・生きること」(「日録・解放」)

第3章に収めるこの「日録・解放」は、鉄筆を持ってガリ版にカリコリ書きながら、謄写印刷も自分で一枚一枚仕上げたもので、パソコン時代のいまからみると、まったく時代ものですね。 「日録」は、1967年の8月から、自覚的(?)に書き始めていましたが…

『在家労働牧師をめざしてー「番町出合いの家」の記録』(28)第2部「新しい生活の中から」第3章「働くこと・生きること」(日録・解放)

今回から、第2部「新しい生活の中から」に入ります。 高校生の時に宿った夢、それは将来、農村の小さな教会で働くという夢でした。 その夢を抱いて、同志社での6年間の学びを終え、夢が叶って、滋賀県の琵琶湖畔にある「仁保」と「野洲」で「結婚家庭」を…

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(27)第1部「助走・探求の日々」第2章「賀川豊彦の息吹を受けて」第3節「牧師労働ゼミナール・準備運動」

この「第3節 牧師労働ゼミナール・準備運動」では、第2回目のゼミ報告に寄稿したものを収めています。すでにこのときは、「労働牧師」としてあゆみ出す夢が宿り、新しい道を踏み出す直前のものです。 「神戸イエス団教会」での2年間は、牧師試験の受験準…

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(26)第1部「助走・探求の日々」第2章「賀川豊彦の息吹を受けて」第2節「口を閉じる」

前回に続いて、1966年4月から1968年3月までの「神戸イエス団教会時代」の、短い文章「口を閉じる」を、ここに掲載して置きます。 その前に、ここでも、当時の写真を4枚ほどアップいたします。 一枚目は、神戸イエス団教会の教会学校教師たちの教…

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』第1部「助走。探求の日々」第2章「賀川豊彦の息吹きを受けて」第1節「待ち望む」

前回までの第1章では、最初に働き場所となった滋賀県近江八幡市の郊外の小さな家の教会における生活の記録の一部を綴ってきました。 数多くの記すべきことはありますが、とりあえず二つのドキュメントをあげて、若き日の写真なども添えてみました。 196…

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(24)第1部「助走・探求の日々」第1章「結婚家庭と小さな家の教会」第2節「現代における教会の革新」(最終回)

今回で第2節の「現代における教会の革新」の箇所は終わります。 この節では、学生時代を含めて5年ほどの期間を過ごした滋賀県の琵琶湖畔の小さな家の教会「仁保・野洲」時代の写真を毎回収めてみました。 今回は、1965年11月に兵庫県の飯盛野にある「…

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(23)第1部「助走。探求の日々」第1章「結婚家庭と小さな出合いの家」第2節「現代における教会の革新」(続き)

このところはじめに、「仁保・野洲」時代に撮されていた写真を少し掲載しています。 今回も、当時一緒に学び合っていた高校生達のものを、収めて置きます。 * * 第2節 現代における教会の革新 特に「礼拝のあり方」に関連して (前回の続き)またわれわれ…

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(22)第1部「助走・探求の日々」第1章「結婚家庭と小さな家の教会」第2節「現代における教会の革新」(続き)

もう半世紀も前の、まことに未熟なドキュメントを、こうして公開しています。今日ではこういうものを冊子にして配布するなどすれば、問題にされてしまいそうな代物ですが、こうした実験も、当時は近隣の諸教会の牧師さんや信徒の方々と、熱心に論じあってい…

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(21)第1部「助走・探求の日々」第1章「結婚家庭と小さな家の教会」第2節「現代における教会の革新」(続き)

若き日のドキュメントをここに掲載しながら、毎回むかしの写真を収めていますが、やはり京都での同志社大学神学部での写真も挟んでおきたくなりました。 そこで今回は、1958年4月に大学に入学したあと、創立者・新島襄のお墓の墓参があって、皆まだ真面…

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(20)第1部「助走・探求の日々」第1章「結婚家庭と小さな家の教会」第2節「現代における教会の革新」(続き)

今回も「仁保。野洲」時代の写真を1枚収めてみます。 この小さな家の教会には、幼稚園・小中高、そして青年たちが多く顔を見せていました。そして「KKS」と呼んでいた高校生たちの交わりも愉快なもので、時々琵琶湖畔での研修会もやっていました。 これ…

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(19)第1部「助走・探求の日々」第1章「結婚家庭と小さな家の教会」第2節「現代における教会の革新」(1の続き)

ただいま第1部の「助走・探求の日々」として、私たちの「仁保・野洲」時代の模索を掲載しています。そして、正式に赴任するまでの学生時代のほぼ3年間の頃の写真も残っていて、それらも収めています。 これらの写真を眺めていますと、私たちの場合、ここで…

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(18)第1部「助走・探求の日々」第1章「結婚家庭と小さな家の教会」第2節「現代における教会の革新」(1の続き)

今回もはじめに、同志社で学んでいた学生の頃からご縁のあった琵琶湖畔の仁保教会と野洲伝道所の皆さんと写した写真が出てきましたので、前回に続いてここに1枚、アップして置きます。 これは、正式に赴任する数カ月前、1963年12月23日に、同志社大…

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(17)第1部「助走・探求の日々」第1章「結婚家庭と小さな家の教会」第2節「現代における教会の革新」(1の続き)

今回もはじめに、卒業後の最初の任地となった琵琶湖畔の近江八幡市郊外にある仁保教会と隣町の野洲町にあった「野洲伝道所」のころの写真を1枚取り出して掲載します。 今回のものは、正式に赴任する前の、しかも神学部の3回生の時(1961年8月)に「夏…

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(16)第1部「助走・探求の日々」第1章「結婚家庭と小さな家の教会」第2節「現代における教会の革新」(1の続き)

ここでもはじめに、当時の写真を1枚収めて置きます。 小学生から高校生まで、青年たちのリーダーも加わって、琵琶湖畔のキャンプ場で写したものです。いやはや、懐かしい人たちです。 * * 第2節 現代における教会の革新 特に「礼拝の在り方」に関連して …

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(15)第1部「助走・探求の日々」第1章「結婚家庭と小さな家の教会」第2節「現代における教会の革新」(1bc)

6年間の学生生活を終え、新婚家庭をスタートさせ、最初に赴任した教会が、近江八幡市の郊外に建てられた小さな家の教会の「仁保教会」で、同時にもうひとつ隣町の野洲町にあったモット小さな家の教会の「野洲伝道所」と、ふたつを兼務していました。 前回か…

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(14)第1部「助走・探求の日々」第1章「結婚家庭と小さな家の教会」第2節「現代における教会の革新」(1a)

人生はじめての赴任地、近江八幡市の郊外、農村地帯にあった「小さな家の教会」での悲喜交々・・・。新婚の結婚家庭で・・。 いまここには当時の教会はなく、小さな家があって・・。 思い出イッパイの場所です。今回も1枚、日曜学校のキャンプのときの写真…

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(13)第1部「助走・探求の日々」第1章「結婚家庭と小さな家の教会」d第2節「現代における教会の革新」(序)

今回は、第1章の第2節に進みます。 当時はまだワープロやパソコンなどない時代ですから、カリコリカリコリとガリ版で謄写印刷をしていました。 ここに掲載する『現代における教会の革新ー特に「礼拝の在り方」に関連して』は、そのガリ版印刷で、ホッチキ…

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(12)第1部「助走・探求の日々」第1章「結婚家庭と小さな家の教会」第1節「「出合いの家」の誕生」

これまでの「序章」では、既に「番町出合いの家」を設立して新しい生活を開始して10年近く経過しようとする段階でのレポートを掲げました。 しかし「番町出合いの家」の記録としては、そこに至るまでの第1部「助走・探求の日々」を省くわけにはいきません…

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(11)序章「よろこびのうちに生きる」第8節「創造的世界は始まっている」

ここまで掲載してきた「序章 よろこびのうちに生きる」においては、カール・バルト、西田幾多郎、滝沢克己といった先達と共に、延原時行の名前がしばしば登場します。 彼は、学生時代の先輩であり、牧師としての同僚であり、今日まで最も多くのことを学び続…

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(10)序章「よろこびのうちに生きる」第7節「小さなしるし=滝沢神学」

今回の第7節「小さなしるし=滝沢神学」に取り上げている、滝沢先生の著作『宗教を問う』(1976年、三一書房)の表紙を掲載して、本文に進みます。 * * 序章 よろこびのうちに生きる 第7節 「小さなしるし」=瀧澤神学 ここで、再び瀧澤「神・人学」…

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(9)序章「よろこびのうちに生きる」第6節「現代神学の根本的隘路」

今回掲載する本文に取り上げている延原時行さんの論文「バルト以後」(『福音と世界』1975年10月号所収)をスキャンして見る。ギリギリ判読が可能のようなので、私にとって当時、重要な論考のひとつなので、全文を掲載して見たい。いずれ延原さんの著…

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(8)序章「よろこびのうちに生きる」第5節「『私たちの結婚』を編んで」

今回の序章「よろこびのうちに生きる」第4節で取り上げている『私たちの結婚ー部落差別を乗り越えて』に関しては、すでにこのブログの8月16日から24日までのところで紹介が終わっていますので、ここでは参考までに、本書の表紙だけをお示しして置きま…

『在家労働牧師を目指して―「番町出合いの家」の記録』(7)序章「よろこびのうちに生きる」第4節「部落解放理論の基礎視座」

今回は、標記の通り、序章「よろこびのうちに生きる」第4節「部落解放理論の基礎視座」を掲載します。ここに取り上げている「全国水平社」の創立発起者のひとり阪本清一郎さんと西光万吉さんら4人で写した写真が手元にありますので、1枚これをアップして…

『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(6)序章「よろこびのうちに生きる」第3節「随順・修行・卑下・社会性」

今回は、序章「よろこびのうちに生きる」の第3節を掲載します。 ただいま、今残っている写真類も取り出して整理を続けていますが、「1970年1月6日 初出の日」と裏書のある2枚の写真が出てきました。自分でも初めて見るとうな写真です。 長田の小さな…