2014-02-01から1ヶ月間の記事一覧

賀川豊彦の畏友・村島帰之(23)−『賀川豊彦病中闘史』(22)

賀川豊彦病中闘史(第22回) 一三 灰燼の東京へ 震災救護に、焦土の東京へ 大正十二年九月一日、関東大震災の報が傅わると、賀川は直ぐ立ちあがった。陸路は杜絶しているので、リュックサックを背負い、海路を東京に向った。彼は惨害状況を視察すると、直…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(22)−『賀川豊彦病中闘史』(21)

賀川豊彦病中闘史(第21回) 一二 小説「死線を越えて」 「死線を越えて」の出るまで 賀川はアメリカ留学前、既に「基督傅論争史」を著し、また「貧民心理の研究」という大著を刊行していたが、一部識者以外には知られてはいなかった。それが大正五年、帰…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(21)−『賀川豊彦病中闘史』(20)

賀川豊彦病中闘史(第20回) 十一 大争議のあと 争議の心配から血の汗 神戸川崎三菱両造船所四万五千人の大罷業事件については此處では記すのをやめる。この大争議は労資しのぎを削って闘ったが、リーダーたる賀川が、罷業は認めても暴力行為を否認して、…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(20)−『賀川豊彦病中闘史』(19)

賀川豊彦病中闘史(第19回) 十 つきまとう酒乱の暴漢 組織化された防貧事業 賀川はアメリカから帰朝すると共に事業全体にわたって組織化を企てた。労働者を組織化させて組合を作らせることはその最も重要な仕事だったが、それと同時に従来の貧民窟の仕事…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(19)−『賀川豊彦病中闘史』(18)

今回も本題に入る前に、写真を一枚収めて置きます。これは武内勝氏の所蔵アルバムの中にあったものです。東京・松澤教会でのものでしょうか。村島、賀川らのお顔がありますが、年月日がありません。 ♯ ♯ 賀川豊彦病中闘史(第18回) 九 残された刺 アメリカ…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(18)−『賀川豊彦病中闘史』(17)

今回も本題に入る前に、写真を一枚収めて置きます。この写真は「賀川豊彦写真集」に収められているもので「労働大学の打ち合わせ 於神戸山手海員クラブ」と説明書きされています。賀川が後列の中央、村島は前列右から3人目、賀川ハルがその隣り? ♯ ♯ 賀川豊…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(17)−『賀川豊彦病中闘史』(16)

今回も本題に入る前に、写真を一枚収めて置きます。この写真は「賀川豊彦写真集」のなかにあるもので、「昭和23年 伝道40年感謝会 村島らと歓談」と説明書きされています。 ♯ ♯ 賀川豊彦病中闘史(第16回) 八 貧民窟の生活 (前承) 貰い子殺しの児を…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(16)−『賀川豊彦病中闘史』(15)

今回も本題に入る前に、写真を一枚収めて置きます。これは「賀川豊彦の畏友・武内勝氏の所蔵資料」の中のアルバムにあったものです。いちばん上に村島、右端前に賀川、前列に吉田、ハタを持つのは間所のようです。 ♯ ♯ 賀川豊彦病中闘史(第15回) 八 貧民…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(15)−『賀川豊彦病中闘史』(14)

今回も本題に入る前に、写真を一枚収めて置きます。賀川豊彦没年前後(1960年)に村島が書き下ろした連載「労働運動昔ばなし」のなかに添えられたものです。 写真の説明には「貧民窟十年記念会−神戸会員クラブで」とあり、右から遊佐敏彦、木村甚三郎、…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(14)−『賀川豊彦病中闘史』(13)

只今村島の名作『賀川豊彦病中闘史』を連載中ですが、ここまで数回にわたって村島夫妻の著作『愛と死の別れ―野の花にかよう夫婦の手紙』の中からご夫妻の絵や歌、そして文章を取り出してみました。 今回は、賀川が昭和2年に雑誌「中学世界」に連載した立志…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(13)−『賀川豊彦病中闘史』(12)

村島帰之・しづゑ共著『愛と死の別れー野の花にかよう夫婦の手紙』において、しづゑの絵と共に「うた」が収められています。 今回はこの共著作品の最後として夫人の「うた」と巻末に記されている村島の「鎮魂歌―妻よ、やすらかに眠れ」を掲げさせていただい…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(12)−『賀川豊彦病中闘史』(11)

村島帰之・しづゑ共著『愛と死の別れ―野の花にかよう夫婦の手紙』において、しづゑの絵と共に「うた」が収められています。 今回も「絵」(ひとりしずか)(128頁)と「うた」を少し収めさせていただいてから、今日の本題に進みます。 ゆれうごくわが心か…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(11)−『賀川豊彦病中闘史』(10)

村島帰之・しづゑ共著『愛と死の別れ―野の花にかよう夫婦の手紙』において、しづゑの絵と共に「うた」が収められています。 今回もその「絵」(さんきらい)(123頁)と「うた」の少しここに収めさせていただいてから、今日の本題に進みます。 健やかに在り…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(10)−『賀川豊彦病中闘史』(9)

村島帰之・しづゑ共著『愛と死の別れ―野の花にかよう夫婦の手紙』において、しづゑさんの絵が収められていて、毎回冒頭にそのひとつをUPさせていただいています。上の絵は、99頁の「ダリア」です。 加えて今回は、同書91頁から99頁までの村島帰之文章をま…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(9)−『賀川豊彦病中闘史』(8)

村島帰之・しづゑ共著『愛と死の別れ―野の花にかよう夫婦の手紙』において、しづゑさんの絵と共に彼への手紙のなかに「うた」がいくつも収められています。 今回もその「絵」(なんてん)と「うた」を少し収めさせていただいてから、今日の本題に進みます。 …

賀川豊彦の畏友・村島帰之(8)ー『賀川豊彦病中闘史』(7)

村島帰之・しづゑ共著『愛と死の別れ―野の花にかよう夫婦の手紙』において、しづゑさんの絵と共に彼への手紙のなかに「うた」がいくつも収められています。 今回もその「絵」(きんぎょ草)と「うた」を少し収めさせていただいてから、今日の本題に進みます…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(7)−『賀川豊彦病中闘史』(6)

上に掲げる絵は、村島帰之・しづゑ共著『愛と死の別れ―野の花にかよう夫婦の手紙』の「一 愛の賛歌」13頁に収められている作品「どくだみ」です。今回も本題に入る前に、村島帰之の言葉を本書18〜19頁から取り出して置きます。 妻の手記 思えば、妻には生涯…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(6)−『賀川豊彦病中闘史』(5)

ただいま村島帰之の名著『賀川豊彦病中闘史』を少しずつテキストにしてUPしていますが、これまで2回、冒頭に村島帰之・しづえ夫妻の著作『愛と死の別れー野の花にかよう夫婦の手紙』の表紙カバーを掲げてきました。今回はこの本の村島帰之による「はしがき…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(5)−『賀川豊彦病中闘史』(4)

前回は冒頭に、村島帰之・しづゑ共著『愛と死の別れー野の花にかよう夫婦の手紙』(光文社、昭和39年)の表紙カバーを収めました。本日は表紙裏の村島夫妻の御長女真理子さんと寫した写真と御長男村島健一さんの「親爺とお袋」の文章の入った個所をUPいた…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(4)−『賀川豊彦病中闘史』(3)

わたしの好きな著作『賀川豊彦病中闘史』を、ここで少しずつテキスト化していきますが、ゆっくりと楽しみたいこともあって、近くの古本屋さんでみつけた冒頭にあげたKAPPA BOOKS『愛と死の別れー野の花にかよう夫婦の手記』(光文社、昭和39年4月1日)から、…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(3)−『賀川豊彦病中闘史』(2)

(賀川豊彦の序) 本書の冒頭には、冒頭に収めた賀川豊彦の自筆原稿が、「賀川原稿用紙」に書かれて、「賀川氏序文原稿の一部」と記される一ページが収められている。「序」の末尾部分である。 ♯ ♯ 序 一生病気で苦しんだ私は、六十才を越えて、腎臓炎と心臓…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(2)−『賀川豊彦病中闘史』(1)

前回第1回で「村島帰之(よりゆき)」の「略年譜」を掲げました。全く不十分な試作品です。間違いも多いと思いますが、私の「村島学習」のための忘備録のようなものとして、ご参考までに。さて、今回からテキスト化をすすめる村島の著作『賀川豊彦病中闘史』…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(1)「略年譜(準備稿)」

はじめにただ今同時進行のブログ「賀川豊彦の魅力」http://keiyousan.blog.fc2.com/ において「賀川豊彦の畏友・武内勝氏の所蔵資料より」の長期連載を進めています(本日第22回)。「賀川豊彦の畏友」と呼びうる人々の数多いなか、すでにその一人として「吉…

臨時の写真・日録(2014年12月1日分)−−南京町・春節祭

本日も同時進行の別のブログ「延原時行歌集<命輝く>」(番町出合いの家)http://plaza.rakuten.co.jp/40223/ が不調のため、臨時の写真と日録はこのブログでUPして置きます。さきほど上記ブログをUPして、そこに補記を加えておきましたように、写真の…