2014-05-01から1ヶ月間の記事一覧

賀川豊彦の畏友・村島帰之(72)−村島「アメリカ大陸を跨ぐ」(2)

「雲の柱」昭和6年10月号(第10巻第10号)掲載の続きです。 アメリカ大陸を跨ぐ(2) バンクーバーからシカゴまで 村島帰之 (前承) 少年審判所を見る 私達の白動車は止った。瀟洒な赤味を帯びた館の前に。周囲は廣場とローン。誰の別荘かと思ふと…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(71)−村島「アメリカ大陸を跨ぐ」(1)

今回からは「雲の柱」昭和6年10月号(第10巻第10号)に寄稿した村島作品を収めます。 アメリカ大陸を跨ぐ(1) バンクーバーからシカゴまで 村島帰之 七月二十一日 三等船客の検疫が午前三時からあると聞いてゐたので、自分たちには直接関係がないの…

賀川豊彦の畏友―村島帰之(70)−村島「太平洋を行くー賀川先生に随伴して」(8)

「雲の柱」昭和6年10月号(第10巻第10号)に寄稿された本稿最終回分です。 太平洋を行く(8) 賀川先生に随伴して 村島帰之 (前承) 十八日(土曜日) 海は依然として荒れてゐる。尤も荒れるといっても大した事ばない。ただ、晴れないといふ程度だ…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(69)−村島「太平洋を行くー賀川先生に随伴して」(7)

「雲の柱」昭和6年10月号(第10巻第10号)に寄稿した続きです。 太平洋を行く(7) 賀川先生に随伴して 村島帰之 (前承) 二次十五日 西緯百五十度を越えたので、十五日が二度繰り返される訳だ。昨日の十五日は日本の十五日だが、今日の十五日はア…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(68)−村島「太平洋を行くー賀川先生に随伴して」(6)

「雲の柱」昭和6年10月号(第10巻第10号)に寄稿された続きです。 太平洋を行く(6) 賀川先生に随伴して 村島帰之 (前承) 十四日(火曜日) ひどい濃霧だ。寒流と暖流とが衝突するところに起るのだといふ。 ジャケツを着た上へさらにレインコート…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(67)−村島「太平洋を行くー賀川先生に随伴して」(5)

前回に続いて「雲の柱」昭和6年10月号(第10巻第10号)に寄稿したものを収めます。 太平洋を行く(5) 賀川先生に随伴して 村島帰之 (前承) 第三日(十二日)日曜日 前夜は善く眠ったので、六時過、快く眼を覚ました。彼は寝床の中で静かに祈った…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(66)−村島「太平洋を行くー賀川先生に随伴して(4)」

「雲の柱」昭和6年10月号(第10巻第10号)に掲載の続きです。 太平洋を行く(4) 賀川先生に随伴して 村島帰之 (前承) 第二日(十一日、土曜日、曇) K、O先生は昨夜は善く眠ったといはれる。彼は早く眠りに落ちたが夜半二度、目をさました。寝…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(65)−村島「太平洋を行くー賀川先生に随伴して」(3)

前回の続きが「雲の柱」昭和6年10月号(第10巻第10号)に「アメリカ号」特集として、さらに長文の記録文章が寄稿されているので、分載していきます。 太平洋を行く(3) 賀川先生に随伴して 村島帰之 横浜解纜 汽笛が鳴った。 船は突堤を離れた。彼…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(64)−村島「太平洋を行くー賀川先生に随伴して」(2)

今回も「雲の柱」昭和6年9月号(第10巻第9号)に寄稿された続きです。 太平洋を行く(2) 賀川先生に随伴して 村島帰之 (前承) 横 濱 埠 頭 横浜駅で下車した一行の中、彼と杉山氏とは、桜木町へ行くK先生たちと別れて、駅の外へ出た。予ねて同駅に…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(63)−村島「太平洋を行くー賀川先生に随伴して」(1)

今回は前回と同じく「雲の柱」昭和6年9月号(第10巻第9号)に寄稿された長文の旅の記録を収めます。 太平洋を行く 賀川先生に随伴して 村島帰之 東京駅頭 一時間といふ時間は、必ずしも、常に同じ時間の内容を持つものではない。たとへぱ、今朝からの自…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(62)−村島「素晴らしい賀川氏の人気―トロントにて」

今回からは「雲の柱」昭和6年9月号(第10巻第9号)の村島のレポートを取り出します。 この巻の冒頭に「カナダ・ビー・シー州牧師一同(世界基督教青年会大会開催の日・トロント市にて)」と書かれた一頁分の次の写真が掲げられているので、まずこの写真…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(61)−村島「不良児の特癖(下)」

今回は前回の続編で「雲の柱」昭和6年11月号(第10巻第11号)に寄稿された長い論稿です。 社会研究 不良児の特癖(下) 村島帰之 浮浪癖の巻 遊牧時代を歴史の冒頭に持つ人類は、先天的にコスモポリタンの要素を多分に持ってゐます。恋人の眼のやうに…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(60)−村島「不良児の特癖(上)」

今回は「雲の柱」昭和6年9月号(第10巻第9号)に寄稿された論文で上下に分かれて、まず短い上を掲載します。 社会研究 不良児の特癖(上) 村島帰之 不良化し易い児童は、先天的および後天的の原因から種々な特質を持ってゐます。人は、なくて七癖と云ふ程で…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(59)−村島「路傍の行き仆れ」

今回は「雲の柱」昭和6年8月号(第10巻8号)気寄稿された論稿をテキストにしておきます。 社会研究 路傍の行き仆れ 村島帰之 都に憧れて 大阪は風船玉のやうに膨れて行く。終りには、パチンと音を立てて、はち切れるであらう。試みに、梅田駅頭に、川口…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(58)−村島「瀕死の丁稚制度」

今回は「雲の柱」昭和6年7月号(第10巻第7号)に寄稿された次の論稿をテキストにして収めます。 社会研究 瀕死の丁稚制度 村島帰之 丁稚さんの都 大阪市のマークは「みをつくし」であるが、それは、大阪が海に面してゐるといふ事以外に、殆ど何ものをも…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(57)−村島「新聞の話」

今回は「雲の柱」昭和6年6月号(第10巻第6号)に寄稿された以下の論稿を収めます。 社会研究 新聞の話 村島帰之 (前号には「スピード」時代の事を書いたから、ついでに本号には、新聞及び新聞記者について記して見る) 新聞が如何にして作られるか、叉…