賀川豊彦の畏友・村島帰之(72)−村島「アメリカ大陸を跨ぐ」(2)
「雲の柱」昭和6年10月号(第10巻第10号)掲載の続きです。
アメリカ大陸を跨ぐ(2)
バンクーバーからシカゴまで
村島帰之
(前承)
少年審判所を見る
私達の白動車は止った。瀟洒な赤味を帯びた館の前に。周囲は廣場とローン。誰の別荘かと思ふと、それは少年審判所であった。
そこの所長のCollier氏のオフィスを訪れる。所長室のスティンドグラスに鳩や熊の絵のはめこまれてゐるのもさすがだ。
こゝには二人の審判官のほかに、三人の保護司が働いてゐる丈けで、特に、その監督者として寝泊りしてゐるのが女性だと訊いては感心させられる。
しかし、一年間の取扱が二百件で、収容人員が五十人以内といふのだから、日本の審利所とは比較にならない。
この建物は四ヶ月ほど前に竣工した許りだといふ。
ここを預るミス・マクメラーの案内で、所内を見る。看護婦のやうに白衣に身を包んだ彼女は、見るから上品な淑女だ。
審判室は日本のそれと全く同じだ。何一つ飾リもないが椅子テーブルが整然と並べられてゐて、襟を正さしめるに足りる。
別棟は収容所になってゐる。
Detention homeの名のある所以だ。各ルームは一々錠がかゝってゐて、逃走を防ぐ仕掛となってゐるが、しかし、その内部は整然としてゐて一糸も乱れずといふ有様だ。
「彼女はどこもかしこも、彼女のプライベートルームや、台所の棚の中までドアを開いて見せますよ。うるさいほど」
とK先生が説明される。
檻のやうに金網で張られた体操室へ出る。そこには鶯色の上衣に紺のズボンをはいた二十人ほどの青少年が体操をしてゐた。その中に一人、十七位の日本の少年がゐる。一行を見て恥かし相にしてゐる。
異邦人の中に見る一人の同胞、しかもそれが不艮児で保護されてゐるのであって見れば、余計に哀れに思はれてならなかった。
女の体操室は男子とは全然離れた處にあった。彼女達の制服はカーキ色だが、その手首の處に青い線を入れて、女性らしい彩を見せてゐるのもさすがだ。
マクメラー女史の説明では、殆どみんな性病にかゝってゐるさうだ。そのために消毒所や、治療室の設備があった。
審利所で審判した直後、その處置の決定するまでこゝに収容して、治療を施すのださうな。
少年審判所は裁利をする處ではない。況んや処罰する處ではない。治療をする処なのだ。そこに「明日の裁判制度」が窺はれる。
鉄の格子のはまった牢獄のやうな監禁室もあることはあったが、未だつかったことがないといふ。尤も収容所の入口には錠が下りてゐて、逃亡の出来ぬやうになってゐる事はいふまでもない。
教室もあった。圖書室もあった。女の圖書室の本の中には「善き母」などといふ標題のものも見えた。大体は物語本だ。女の子はクッキングの手傅もしてゐる。裁縫も教へられてゐる。
只、男女を通じて、宗教教育に特に力を注いでゐるといふやうな形跡のないのは寧ろ意外であった。
肉体の治療以外に、精紳の治療が必要なのだ。日本の感化院などでは、天照皇大紳を祭ったりして、精神的方面に留意してゐるのに、館外へ出るとテニスコートがある。
「ビューティフルコート」
とコリア氏はいふ。まさか法廷のコートとテニスコートの双方にかけたヂョークではないだらうが。
チルドレン・ホーム
審判所を去って、此度はチルドレン・ホームへ行く。白亜の美しい建物だ。
主事らしい婦人の案内で館内を見る。
ここは、少年審利所で一定期間収容し、性病その他の病気を癒した後、改めて保護するところだが、格別変わったところもないが、都會で育てるのはよくないので、民間の篤志家からの申出でによって預って貰ふことにしてゐる相だ。日本ではまだまだそこまで行ってゐない。カナダではかなりの申込みがあって、現に若干の児童がそれ等篤志家の家庭に預けられてゐるといふ。
日本では、社會事業で飯を喰はうとする似而非なる少年保護団体があって、児童の多くはさうした處へ預けられるため、逃亡し、叉は逃亡を願って却って善くない結果を見てゐるのに比して、民間篤志家が進んで自家にこれを迎へ、教化しやうといふのは羨ましい事だと思った。I
ホームには現在三十人足らずの子供がゐるといふ事だったが、私たちの訪間した時には散歩に出かけて不在だった。子供の部屋はサッパリしてゐて、只テーブルの上に人形の飾ってあゐのを見る位だった。
(つづく)