2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧

私の青春とキリスト教(『講座:青春』第4巻「青春はどこへ」所収第4回

今回もはじめに、藤原昭三先生の若き教師時代の「中学生スケッチ」の1枚を収めます。 今回の箇所では、「20世紀の代表的神学者であるカール・バルト」に言及していますが、日本の一般の読書界ではどれほどいま読まれているのでしょうか。バルトの著作は、…

私の青春とキリスト教(『講座:青年』第4巻「青春はどこへ」所収第3回

今回も最初に、藤原昭三先生の若き日の教師時代の作品群「中学生のスケッチ」より1枚を掲げます。 今日の箇所「共に生きるー自由と対話」には、「内村鑑三」と「賀川豊彦」に触れられています。私たちの世代ぐらいまでは「内村鑑三」の読者も多く、特に「青…

私の青春とキリスト教(『講座:青年』第4巻「青春はどこへ」所収)第2回

今回もはじめに、藤原昭三先生の若き日の作品「中学生のスケッチ」を1枚収めます。 前回の第1回では、資料が出てきた青春時代の「牧師労働ゼミナール」の報告書を冒頭に収め、<現代の「雄鹿」たち>の箇所を掲載しました。このゼミナールを企画した中心人…

私の青春とキリスト教(『講座:青年』第4巻「青春はどこへ」所収、1990年、清風堂書店出版部)第1回

今回もはじめに、藤原昭三先生の若き日の教師時代に中学生の顔をスケッチされた作品アップします。 今日から数回に分けて収める「私の青春とキリスト教」は、20年以上も前になりますが、『講座:青春』という若者向きの数巻の企画があり、なぜか私にこのよ…

宗教と人権問題ーその基礎理解を求めて(続き)

先ず今回も、神戸の生んだ画家・藤原昭三先生の若き教師時代に描かれた貴重な「中学生のスケッチ」をアップいたします。当時(1960年代)この中学は、私のゴム労働の現場近くにあって、昼休みにボクが弁当をたべていると、元気の良い生徒たちが数人、校…

宗教と人権問題ーその基礎理解を求めて(『部落』1996年11月号)「はじめに」

前回の講演記録「人間の尊厳性とその享有について」の掲載には、不慣れなために、なかなか前に進みませんでした。それとそもそも「ブログ」というものは、あまり長いものを、しかも一挙にアップしてはいけないようです。それで今回は、これまで掲載してきた…

講演記録「人間の尊厳性とその享有について」(1999年、大阪の私立高校での教師研修会)つづき

前回、表記の3頁分までで容量制限を越えていたために、作業の継続ができなくなりました。その後、何とか大き目の容量に変更できたはずですので、今回は4頁目からのところを、収めて置く。なお、前回から藤原昭三先生の若きころの中学生のスケッチ集より1…

講演記録「人間の尊厳性とその享有について(1999年、大阪の私立高校での教師研修会)

これは、ブログの冒頭で連載した著作をテキストに学習したいという依頼をうけ、大阪の私立高校の先生方に語った講演草稿である。既に『賀川豊彦の再発見―宗教と部落問題』(2002年、創言社)に収めたもので、これも現在品切れ絶版となっているので、便宜…

「人間の尊厳性(人権)」とその「享有」について(『月刊・部落問題』1994年12月号掲載)

阪神淡路大震災の直前、1994年12月号(『月刊・部落問題』)で「人権思想の復権をめざして」の特集を組んだ。(社)兵庫部落問題研究所の裏方で、この雑誌の編集をしていて、自分の原稿を収めることは控えていたが、このときは「部落問題から人権問題…

杉の原先生の回想(「地域と人権」兵庫版、2010年1月〜4月連載)

前回は、雑誌『人権と部落問題』2010年2月特別号に寄稿した「杉之原寿一先生の人と業績への回想」を、全文掲載した。このブログの有り難いところである。ところで、「杉之原先生の回想」を4回連載で、月刊紙「地域と人権」(兵庫版)から依頼され、書…

杉之原寿一先生の人と業績への回想(雑誌『人権と部落問題』2010・2「特別号掲載分)

前回まで数回に分けて、大震災の後の避難先で書き下ろした『「対話の時代」のはじまりー宗教・人権・部落問題』を収めることができた。ブログを活かして、こうした楽しみを経験できることは、思いも掛けなかったことである。続いて今回は、雑誌『人権と部落…

第4章 「対話の時代」のはじまり 第1節 「宗教と部落問題」再論 第2節 「対話の時代」のはじまり

第3章 「人間の権利」って何だろう 第1節 人間の尊厳 第2節 「人権の享有」について

第2章 宗教は面白い 第2節 宗教の基礎

第2章 宗教は面白い 第1節 「どこかに美しい島はないか」

第1章 万人の事として 第3節 万人の事としての宗教・人権

第1章 万人の事として 第2節 残されている部落問題と宗教界

第1章 万人の事として 第1節 宗教・人権・部落問題

表紙から目次まで

『「対話の時代」のはじまりー宗教・人権・部落問題」(1)

1995年1月17日の大震災のとき、仕事場の倉庫のような場所で過ごしていたが、漸く避難先に落ち着くことができて、1997年の正月の寸暇を得たので、以前から求められていた私への宿題に取り掛かり、不十分ながら書き下ろすことのできた小さな作品が…