2012-08-01から1ヶ月間の記事一覧

「『賀川豊彦と現代』その後」(4)(「火の柱」1994年1月)

『賀川豊彦と現代』その後(4) 「火の柱」1994年1月 (四) わたしはこれまで、四半世紀あまりの間、もっぱらこの問題に関わってきましたが、それは部落問題そのものの解決のために、地域での部落解放運動と部落問題に関する調査・研究に専念するばか…

「『賀川豊彦と現代』その後」(3)(「火の柱」1994年月)

『賀川豊彦と現代』その後(3) 「火の柱」1994年1月 (三) ところで、わたしの小著では「日本キリスト教団」の問題と同時に賀川先生の「全集」(全二四巻) の発行元である「キリスト新聞社」のあり方についてもふれ、問題の正しい解き方について私…

「『賀川豊彦と現代』その後」(2)(「火の柱」1994年1月)

『賀川豊彦と現代』その後(2) 「火の柱」1994年1月 (二) しかし、この作品を書こうとした第一の目的は、何といってもわたしの所属しています「日本キリスト教団」に見られる。賀川先生に対するあまりに乱暴な批判の横行を正すことにありました。そ…

「『賀川豊彦と現代』その後」(1)(「火の柱」1994年月)

『賀川豊彦と現代』その後 「火の柱」1994年1月 (一) 賀川先生の生誕一〇〇年を記念した多彩な集いが持たれたのは、もう五年以上も前のことです。そのおり、神戸ポートアイランドホテルで開催された「イエスの友」夏期聖修会での全体協議において、は…

「新しい人権の確立を求めて」(10)(「火の柱」1988年9月10月)

「新しい人権の確立を求めて」(10) 1988年8月3日−全体協議・発題− (前回に続く) 部落問題そのものについての調査・研究は、私は専らそのことに打ち込んでまいりましたが、特に宗教関係の方々は部落問題そのものについての調査・研究という関心は…

「新しい人権の確立を求めて」(9)(「火の柱」1988年9月10月)

「新しい人権の確立を求めて」(9) 1988年8月3日−全体協議・発題− (前回に続く) また、賀川豊彦の平和主義、非暴力主義と関連いたしますが、日本の部落解放運動のあゆみの中でも、戦前・戦中・戦後、近年に至るまでいつも難問を抱えてきました。 …

「新しい人権の確立をめざして」(8)(「火の柱」1988年9月10月)

「新しい人権の確立を求めて」(8) 1988年8月3日−全体協議・発題− (前回に続く) 賀川豊彦は、今もうしましたように部落解放運動の出発となった全国水平社運動の担い手となった青年たちとの交流があって、その創立にも一定の役割を果たしていたこと…

「新しい人権の確立をめざして」(7)(「火の柱」1988年9月10月)

「新しい人権の確立を求めて」(7) 1988年8月3日−全体協議・発題− (前回に続く) ご承知の方も多いと思いますが、部落解放運動の中では忘れられない、全国水平社の創立とその闘いがあります。1922年、大正11年3月3日のことですね。 創立の…

「新しい人権の確立を求めて」(6)(「火の柱」1988年9月・10月)

「新しい人権の確立を求めて」(6) 1988年8月3日−全体協議・発題− (前回に続く) 賀川豊彦の幅広い働きのバックには、賀川独自の「贖罪愛」という非常にユニークな、それまで日本のキリスト教史の中ではなかったような、非常に行為的な贖罪愛理解と…

「新しい人権の確立を求めて」(5)(「火の柱」1988年9月・10月)

「新しい人権の確立を求めて」(5) 1988年8月3日−全体協議・発題− (前回に続く) 賀川豊彦にはそういう新しさがある。それは非常に普遍的な、力をもったものだ、ということを思うのです。 それは同時に、賀川場合、この世界、この社会を受け取る基…

「新しい人権の確立を求めて」(4)(「火の柱」1988年9月・10月)

「新しい人権の確立を求めて」(4) 1988年8月3日−全体協議・発題− (前回に続く) 本日の題を「新しい人権の確立を求めて」とつけさせて頂きました。 この人権問題と言いますか、特に部落問題にかかわってお話をするのに特に短かくても申し上げてお…

「新しい人権の確立を求めて」(3)(「火の柱」1988年9月・10月)

「新しい人権の確立を求めて」(3) 1988年8月3日−全体協議・発題− (前回に続く) こうして『賀川豊彦と現代』が出版されて、色々な方が読んでくださっているようですが、イエス団教会の村山先生が、これを読んで下さり、わざわざお電話で「君は大変…

「新しい人権の確立を求めて」(2)(「火の柱」1988年9月・10月)

「新しい人権の確立を求めて」(2) 1988年8月3日−全体協議・発題− (前回に続く) 昨日も賀川純基先生が仰言っていましたが、賀川豊彦が新川での生活をはじめて10年をすぎた経験の後、書き残した文章を取り上げて、賀川はとにかく楽しく喜んで、地…

「新しい人権の確立を求めて」(1)(「火の柱」1988年9月)

「新しい人権の確立を求めて」 1988年8月3日−全体協議・発題− 私はこの地元神戸におりますが、今回お客さんのようなことで参加をさせて頂きました。大変恐縮に思いながら、昨日もそして今日も、こうして最後まで参加させて頂いた訳です。 「イエスの友…

「神われらと共に在すー阪神大震災での経験」1995年『思想のひろば』

上のものは、絵本『いのちが震えた』の仕上げの途上での岩田健三郎さんから頂いたお便り。 「神われらと共に在す」―阪神大地震での経験 滝沢克己協会機関誌『思想のひろば』 水爆をもってしても「神人の原関係」は決して崩れることはない、といったようなこ…

「震災短信メモ」1995年3月(コープこうべ「協同学苑」での「賀川豊彦研究会」会報)

震災短信メモ(1995年3月) コープこうべ「協同学苑」での『賀川豊彦研究会』会報 神戸●鳥飼慶陽 ●この度の震災で、無残にも文字どおり「(地)震(火)災」で廃墟と化した神戸市長田区「御蔵菅原地区」の名は、全国に知れ渡りました。そして、かつて暫…

「トタン屋根の下から甦る」(松沢資料館ニュース」1996年3月)

トタン屋根の下から甦る 賀川豊彦記念・松沢資料館資料館ニュース 1996年3月1日 NO。39 番町出合いの家牧師 鳥飼 慶陽 「・・神と宇宙全体を修復する任務を私達人間が負わされていると自覚した以上、私達は勇敢に任務につきます・・トタン屋根の下から甦る…

「第2回国連人間居住会議」への日本NGOフォーラムレポート」(1996年6月)

「第2回国連人間居住会議(HABITATⅡ)」 1996年6月3日−14日 トルコ・イスタンブール 日本NGOフォーラムレポート準備草稿 大震災における市街地同和地区 1995年1月17日のあの大震災以前の神戸市市街地同和地区住民の居住環境は、市内の一部…

「被災者の視点から:復興への要望」(『日本列島の地震防災』1995年

被災者の視点から 復興への要望 日本科学者会議編『日本列島の地震防災―阪神大震災は問いかける』 1995年11月 大月書店 本書編集委員会から表題のテーマをいただいた。震災から五ヵ月近く経過したなかで「復興への要望」としていま切実に思うことを、率…

『賀川豊彦と現代』出版<余録>『月刊部落問題』1988年7月号

『賀川豊彦と現代』出版「余録」 『月刊部落問題』の巻頭随筆「ふんすい」 1988年7月号 余 録 昨年の夏すぎに脱稿し、関係者にお目通し願っていた拙著が、本年五月半『賀川豊彦と現代』と名づけられて誕生した。たまたま今年は、賀川豊彦先生夫妻の生誕…

岩田健三郎さんの絵本『いのちが震えた』紹介(6)京都新聞1995年7月12日

岩田健三郎さんの絵本『いのちが震えた』紹介(6) 京都新聞・1995年7月12日 「いのちが震えた」が温かい支援に感謝 27日 京でチャリティーコンサート 仲間ら企画、協力 古谷充さんら出演 阪祁大震災に遭った神戸市の牧師らと京都の仲間が協力して…

岩田健三郎さんの絵本『いのちが震えた』紹介(5)「解放の道」全国版1995年8月5日

岩田健三郎さんの絵本『いのちが震えた』紹介(5) 「解放の道」全国版:1995年8月5日 記録『いのといが震えた』絵本 絵本に託した震災の記録 たくさんの失った物以上に いっぱいの気持ちをもらった 震災十日目に、スケッチ帳をもって神戸にたどり着…

岩田健三郎さんの絵本『いのちが震えた』紹介(4)神戸新聞2004年12月16日

岩田健三郎さんの絵本『いのちが震えた』紹介(4) 神戸新聞:2004年12月16日 震災を描いた作家たち 岩田健三郎 「震災から100日目」より いわた・けんざぶろう1947年姫路市生まれ。 版画集「あぜ径」など。自宅近くに夫婦で上村・ 川のほと…

岩田健三郎さんの絵本『いのちが震えた』紹介(3)兵庫民報1995年6月18日

岩田健三郎さんの絵本『いのちが震えた』紹介(3) 「兵庫民報」1995年6月18日 岩田健三郎さんの絵と文 「小さな出合いの家」鳥飼さん夫婦が出版 失った以上の物もらった感謝に 震災十日目に、スケッチ帳をもって神戸にたどり着いた姫路市在住の版画家…

岩田健三郎さんの絵本『いのちが震えた』紹介(2)テキスト化:「くらしと協同の研究所」1995年7月号

岩田健三郎さんの絵本『いのちが震えた』紹介(2) テキスト化分 「くらしと協同の研究所」報『協う』1995年7月号 <今月のひと> 絵本『いのちが震えた』を発行しました 鳥飼慶陽氏(兵庫部落問題研究所事務局長) 阪神人震災のなかて一冊の絵本が生…

岩田健三郎さんの絵本『いのちが震えた』紹介(2)テキスト化(掲載誌不詳)

岩田健三郎さんの絵本『いのちが震えた』紹介(2) テキスト化・掲載誌不詳 「絵本の世界」 心が触れ合って 生まれた絵本 大震災から10日目、版画家の岩田さんは神戸の街を歩いた。 「こりゃ、あかん……何もかも、メチャクチャやがな!」そう思いながらも岩…

岩田健三郎さんの絵本『いのちが震えた』紹介(1)テキスト化:「神戸新聞」1995年

岩田健三郎さんの絵本『いのちが震えた』紹介(1) 『神戸新聞』1995年4月日付不詳 心に焼き付く 震災を絵本に 姫路の版画家岩田さん TV伝えぬ現場の臭気 気持ちも押しうぶれた 言葉にかえそっと似顔 被災10日目の神戸歩き 「地震から十日目。かつて…

『私たちの結婚ー部落差別を乗り越えて』紹介:1976年

『私たちの結婚ー部落差別を乗り越えて』紹介 1976年:解放運動の地元機関誌 市民学習シリーズ 「私たちの結婚」の編者 鳥飼慶陽さん(36歳) 「破談事例だけみるのではなく、差別を乗りこえ、結婚へと立派に成立した人たちの貴重な経験を評価することで、今…