「新しい人権の確立を求めて」(3)(「火の柱」1988年9月・10月)


 新しい人権の確立を求めて」(3)


1988年8月3日−全体協議・発題−



        


  (前回に続く)             

 
 こうして『賀川豊彦と現代』が出版されて、色々な方が読んでくださっているようですが、イエス団教会の村山先生が、これを読んで下さり、わざわざお電話で「君は大変大きな仕事をしてくれた」と言って、ほめて下さいました。うれしいことでした。村山先生の思いと重なるところがあったのだと思います。


 村山先生は以前に、教団・教区で「賀川問題」と言われる乱暴な賀川批判が横行し始める時に、「亡くなった人の人権もあるはずだ」という言葉をかけていただいたことがありましたが、私の拙い書物を読まれて、「大きな仕事をしてくれた」と言っていただいて、とても嬉しい思いをいたしました。


 大阪の「クリスチャン・ジャーナル」を出しておられる田中芳三さんからも、長い長いお手紙をいただきました。こんな小さな書物を読んだといって、知らない方からも電話をもらったり手紙をもらったり、本当にいま驚いているのです。


 この前は地元の神戸新聞がこの本を大きな記事にして取り上げていて、びっくりいたしました。神戸新聞の場合、部落問題に限って申しますと、私のような視点からの報道は全くして来なかった新聞ですが、今回の記事は、問題の所在を精確に捕えて、正面から私の意図をとり上げた内容のものでした。著者の私への事前の取材もないまま、朝刊のこの記事を目にしましたので、本当にびっくりしましたが、とてもよくできた記事でしたので、嬉しかったですね。


 共同通信社の若い記者さんが仕事場に取材に来られて、地方新聞の「人らん」に収まるような短い記事を全国に配信され、これがまた神戸新聞はもちろん、沖縄から北海道まで、殆どの地方新聞の「ひと」欄に紹介されました。そして毎日新聞では大阪本社の編集員の方が我が家にまで取材に来られて、面白い記事をこれも「人」欄で取り上げてくださいました。


 まったく予想もしなかったことですが、「賀川豊彦」という人の息吹きが「生誕百年」というこの時に、没後すでに30年近く経っている中でも、まだまだ息づいている証拠だと思いました。そういうことなどあって、いま正直なところ、驚いています。


 こうした問題は、どちらが勝つとか、どちらが負けるとかということではありません。真実を求めて、率直に表現をし合うことがおもしろいんですね。私の場合も、真実を探ろうとするひとつの試みに過ぎません。


 いま「問題提起」をしている方々からの、意見や批評を受けて、対話を重ねていくためのひとつの素材を提供した、ということです。ですから、これからお話しすることを含めて、厳しい批評を宜しくお願いしたいと思っております。


   (続く)