2014-09-01から1ヶ月間の記事一覧

賀川豊彦の畏友・村島帰之(184)−村島「歓楽の墓」(7)

「雲の柱」大正14年10月号(第4巻第10号)歓楽の墓(7) 歓 楽 の 墓 (七) 村島帰之 それは私の廿五六才の春の事であった。当時、私は既に約一年間の新聞記者生活を送り、光の巷に出入する事も多かったが、尚辛くも童貞を保ってゐた。それは自分一…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(183)−村島「歓楽の墓」(6)

「雲の柱」大正14年9月号(第4巻第9号)歓楽の墓(6) 歓楽の墓(六) 村島帰之 たとへ或る点において幻滅はあっても、芸者を女王とする歓楽の王國は、若い男にとって、どこよりもなつかしく、慕わしい場所であった。機曾を待ち望む者に、機會はしげし…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(182)−村島「歓楽の墓」(5)

「雲の柱」大正14年8月号(第4巻第8号)歓楽の墓(5) 歓 楽 の 墓(五) 村島帰之 周囲に女の友達を持ってゐなかった当時の私としては、芸著と話が出来るといふ事だけで、お茶屋遊びは、此上もない歓ばしいものに思はれた。その事以外、異性と歓談す…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(181)−村島「歓楽の墓」(4)

「雲の柱」大正14年6月号(第4巻第6号)歓楽の墓(4) 歓 楽 の 墓(四) 村島帰之 たとへば、女湯でも覗くやうな、好奇心から出発した私の「探険」は、浅草界隈から、更に長駆して新吉原にまで延びた。 大火前で、吉原はまだ「張見世」であった。(張…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(180)−村島「歓楽の墓」(3)

「雲の柱」大正14年5月号(第4巻第5号)歓楽の墓(3) 歓 楽 の 墓 (三) 村島帰之 千 束 町 素 見 今や話題を、周回の人々から、私自身の上に移さねばならなくなった。 私が遊里に足を踏み入れたのは、後に説ぐ如く、學生生活へ終え、腰辨生活に這入…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(179)−村島「歓楽の墓」(2)

「雲の柱」大正14年4月号(第4巻第4号)歓楽の墓(前承) 歓 楽 の 墓(承前) 村島帰之 斯うして、周園の人々は、いづれも土曜の夜の安息所を持ってゐたが、その中に、只だ一人私は土曜の夜を下宿の部屋で守ってゐた。 廓下に出ると、いつも各部屋の障…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(178)−村島「歓楽の墓」(1)

「雲の柱」大正14年3月号(第4巻第3号)への寄稿分です。 歓 楽 の 墓 (一) 村島帰之 は し が き 或人は、これを一つの『小説』として読むかも知れない。叉或人は、これを一つの『懺悔録』として見るかも知れない。更らに或人は、これを一人の遊蕩児…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(177)−村島「バラックの留守番から」

「雲の柱」大正14年新年号(第4巻第1号)への寄稿分です。 バラックの留守番から 村島帰之 バラックのあるじ、賀川先生は十一月廿五日、横浜解纜の春洋丸で『世界舌栗毛』の旅に出発されました。之れより先き、イエスにある兄弟姉妹は、是非、先生の鹿島…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(176)−村島「雲の柱十九年私史」

「雲の柱」昭和15年10月号終刊号(第19巻第10号)への寄稿分です。 雲の柱十九年私史 村島帰之 小生は「雲の柱」の嘗ての乳母―と申すよりは、寧ろ子守の一人でありました。それだけに、雲のその雲隠れを悲しむ点において敢て人後に落ちるものではご…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(175)−村島「賀川豊彦氏の社会事業とその特異性」

「雲の柱」昭和15年6月号(第19巻第6号)への寄稿分です。 賀川豊彦氏の社會事業とその特異性 村島帰之 アメリカで或る米國人と話した時、その人は言った。「賀川博士は世界的大指導者だが、しかし、日本へ行って彼の事業を見ると失望する」と。この言…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(174)−村島「労働不安の絶頂・大正十年」

「雲の柱」昭和15年3月号(第19巻第3号)への寄稿分です。 労働不安の絶頂・大正十年 村島帰之 休戦! 恐慌来! 欧洲戦乱の影響を承け、好景気の波に乗って宇頂天となってゐたわが経済界も、休戦成立と共に情勢が一変し、大正九年四月、突然として起っ…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(173)−村島「労働組合の産業自営試験」

「雲の柱」昭和15年2月号(第19巻第2号)への寄稿分です。 労働組合の産業自営試験 賀川氏を組合長の二組合 村島帰之 御用組合に反對して 労働組合運動の発達に驚いた工場主の中には、狼狽してこれを圧迫し、組合員を解雇する向もあったが、かうした連…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(172)−村島「普選運動を中心として」

「雲の柱」昭和15年1月号(第19巻第1号)への寄稿分です。 普選運動を中心として 大正九年のわが労働運動 村島帰之 関西中心の普選運動 大正八年がわが労働運動陣営の「勢揃ひ」であったとすれば九年は正にその「出発」である。そして七十一の労働團体…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(171)−村島「本邦労働運動と基督教」(10)

「雲の柱」昭和14年12月号(第18巻第12号)への寄稿分です。 本邦労働運動と基督教(10) 二昔前の労働運動挿話 村島帰之 組織労働者は嘆く 本号は、一つ趣きを替へて、大正八九年頃、筆者が大毎紙上に書いた労働運動の記事の中から当時の労働界の…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(170)−村島「本邦労働運動と基督教」(9)

「雲の柱」昭和14年10月号(第18巻第10号)への寄稿分です。 本邦労働運動と基督歌(9) 労働運動の花一時に開く 村島帰之 記憶すべき大正八年 大正八年といふ年は、単に欧洲戦乱が終息して世界に平和が訪れた最初の年として記憶せらるべきではない…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(169)−村島「本邦労働運動と基督教」(8)

「雲の柱」昭和14年9月号(第18巻第9号)への寄稿分です。 本邦労働運動と基督教(8) 関西労働同盟の指導精神 村島帰之 社會不安の爆発 米騒動は越後の漁村の女房達によって火蓋を切られた。しかしそれは只だ火蓋を切られたといふだけであって、表現の形式…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(168)−村島「本邦労働運動と基督教」(7)

「雲の柱」昭和14年8月号(第18巻第8号)への寄稿分です。 本邦労働運動と基督教(7) 村島帰之 神戸の労働運動の飛躍 大正七年の関西の労働運動――といっても友愛会の運動であるが――は、松岡駒吉氏の東京引揚と入替りに一月には久留弘三氏、四月には加藤滋…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(167)−村島「本邦労働運動と基督教」(6)

「雲の柱」昭和14年7月号(第18巻第7号)への寄稿分です。 本邦労働運動と基督教(6) 村島帰之 高山氏神戸を去る 大正六年の友愛會神戸聯合會は、熱心な基督教信者である高山豊三氏の指導によって漸次内容の充実を見た。何しろ、神戸は川崎、三菱両造船所…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(166)−村島「本邦労働運動と基督教」(5)

「雲の柱」昭和14年6月号(第18巻第6号)への寄稿分です。 本邦労働運動と基督教(5) 村島帰之 大正三〜六年の友愛會 大正六年五月、アメリカから無事帰朝した賀川豊彦氏はその足で二年八ヶ月間留守をした神戸の貧民窟葺合新川へ這入り、再びセツラーとし…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(165)−村島「本邦労働運動と基督教」(4)

「雲の柱」昭和14年4月号(第18巻第4号)への寄稿分です。 本邦労働運動と基督教(4) 村島帰之 ユニテリアン協會の私生児 今日でこそ日本一の労働組合として押しも押されもせぬ全日本労働總同盟ではあるが、大正元年八月一日、「友愛會」の名を以て弧々の…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(164)−村島「本邦労働運動と基督教」(3)

「雲の柱」昭和14年3月号(第18巻第3号)への寄稿分です。 本邦労働運動と基督教(3) 村島帰之 明治末期の社會運動 明治年間の本邦労働運動は、三十三年、鉄工組合が五千四百名の労働組合員を擁してゐたのを絶頂とし、同年の治安警察法発布に件ふ弾圧から…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(163)−村島「本邦労働運動と基督教」(2)

「雲の柱」昭和14年2月号(第18巻第2号)への寄稿分です。 大正労働運動と基督教(2) 特に賀川豊彦氏の及ぼしたる影響 村島帰之 日本工業界の黄金時代 日本の工業は、日清戦争直後において産業上の革命を経験し、日露及欧洲大戦役を転機にして一大飛躍を遂…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(162)−村島「本邦労働運動と基督教」(1)

「雲の柱」昭和14年1月号(第18巻第1号)への寄稿分です。 本邦労働運動と基督教(1) 特に関西の組合運動に及ぼせる賀川氏の影響 村島帰之 はしがき 極めて大雑把に、今日までのわが国における無産運動の地方色を概見することが許されるなら、私は斯う言ひ…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(161)−村島「回顧二十年―あの頃の神戸新川」

「雲の柱」昭和11年8月号(第15巻第8号)への寄稿文です。 回顧二十年 あの頃の神戸新川 村島帰之 高山兄 賀川先生を尊敬する二十若い人々から決まったやうに私の受ける質問は、先生が新川の貧民窟の路次に住んで居られた頃の状景です。 そうでせう。先生の…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(160)−村島「風水害地の人間愛」(2)

「雲の柱」昭和9年11月号(第13巻第11号)への寄稿分です。 風水害地の人間愛(2) 村島帰之 (前承) 母に比べると父は劣ります。私も父ですが――或る處では一家族がみな電桂によぢ上りました。一番先に上ったのは父親で、その次が娘さん、そして一…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(159)−村島「風水害地の人間愛」(1)

「雲の柱」昭和9年11月号(第13巻第11号)への寄稿分です。 風水害地の人間愛(1) 村島帰之 大阪毎日新聞社會事業部では、風水害直後の九月三十日から大阪の水害地に五箇所の托児所を開いてゐますが、その内の一つ、大阪の南端鶴町の托児所を篤志で…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(158)−村島「アメリカ巡礼」

「雲の柱」昭和8年7月号(第12巻第7号)への寄稿分です。 アメリカ巡礼 アメリカよサヨナラ 村島帰之 十月廿七日 小川ホテルのパーラーで知合ひになった清水さんが、自分の自動車で桑港市中を案内してやらうといはれる。清水さんは自分のオフィスに勤め…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(157)−村島「アメリカ巡礼」(3)

「雲の柱」昭和8年6月号(第12巻第6号)への寄稿分です。 アメリカ巡礼(3) サンクインテン監獄を見る 村島帰之 (前承) 食堂 食堂へ這入る。恰度正午近くで、食堂一ぱいに御馳走が並べられてあった。 「これで何人分ですか」ときくと、驚くではない…

賀川豊彦の畏友・村島帰之(156)−村島「アメリカ巡礼」(2)

「雲の柱」昭和8年6月号(第12巻第6号)への寄稿分です。 アメリカ巡礼(2) サンクインテン監獄を見る 村島帰之 (前承) 鉄砲持った看守 いよいよ中に這入る。と、構内は廣々としてゐて、海沿ひに花園さへ作られてある。石で畳んだ鋪道を進むと、正…