「『賀川豊彦と現代』その後」(4)(「火の柱」1994年1月)



賀川豊彦と現代』その後(4)
    

「火の柱」1994年1月



    



    
                (四)


 わたしはこれまで、四半世紀あまりの間、もっぱらこの問題に関わってきましたが、それは部落問題そのものの解決のために、地域での部落解放運動と部落問題に関する調査・研究に専念するばかりで、キリスト教界自体の取り組みには、いくらか批判的に関わるのみで、今日にいたりました。


 大きい状況から見れば、問題そのものを解決していく基本的なところを正しくしていくことが不可欠ですから、これからも部落問題の解決のために「部落の歴史」「部落の現状」「同和教育」「社会同和教育」「同和行政」「解放運動」など諸分野にわたる調査・研究に取り組まねばなりませんが、やはり「宗教界」、なかでも自分の所属する日本キリスト教団内部での関わりを軽視してはならないことを、この頃痛感させられています。それぞれの教会などでの小さな学習会などにも、時間をつくってでかけるようにしなければ、と思っているところです。


 「火の柱」にも、時折部落問題に触れた記事に出会いますが、そこにも「部落問題とはどういう問題なのか」「この二〇数年間のあいだに多くの取り組みが行われてきたが地域はどのように変化しているのか」「いま部落問題はどのように残されているのか」「部落問題が解決するとはどういう状態なのか」といった基本的で基礎的な理解があいまいなことが目に付きます。


 今では、それぞれの地域によって大変状況が異なって来ています。それだけに、自分の考えを絶対化したり、地域の状況を固定的に見たりしないで、開かれた交流が求められているように思います。


 「イエスの友」の集まりなどでも、自由に開かれた交流か出来れば有益てはないでしょうか。以上、まとまりのない報告になりましたが、これはわたしの個人的な思いであり意見です。読者のみなさんからの、ご批判やご意見をお聞かせいただければ、ありがたく存じます。