「仲間 武内勝と吉田源治郎」(第1回)(『Think Kagawa ともに生きる』(2010年)



賀川豊彦献身100年記念事業の軌跡:Think Kagawaともに生きる』(2010/11)


           仲間 武内勝と吉田源治郎(第1回)






 (鳥飼慶陽(とりがい・けいよう)牧師は鳥取県の出身。同志社大学で神学を学び牧師となり、近江八幡市ヴォーリズゆかりの教会と近江兄弟社学園で教え、賀川豊彦の創設した神戸イエス団教会に招かれ、その後、神戸市長田区のアパートの自宅を「出合いの家」として、働きながら「在家労働牧師」としてのユニークな営みを続けている。『賀川豊彦と現代』(兵庫部落問題研究所、1988年)などいくつかの著作もある。献身100年記念事業では、賀川のコーワーカー武内勝の資料を発掘してネットで「賀川豊彦のお宝発見」を94回にもわたり執筆し、年を越えてからは、古田源治郎の連載に取り掛かっている。プロジェクトメンバーとしての作業はたぶん2冊の著作に値し、その貢献度は計り知れない。)



               はじめに


 2009年は、東京、神戸、徳島などを拠点として「賀川豊彦献身100年」を記念する多彩な取り組みが展開されました。22年前、1988年の「賀川豊彦生誕100周年記念事業」の折も、映画「死線を越えて」の製作上映など国内外で大きな盛り上がりを見せましたが、今回の記念事業はこれに参画された人々の広がりも、取り組みの内容的充実度も比較にならないほどの大きな飛躍を見せました。


 とりわけ「賀川豊彦の献身の場所」が「神戸葺合新川」であったことと、懸案であった神戸の「賀川記念館の再建」という具体的で大きな課題が重なったことも、大きな要因であったように思われます。

 
 もちろん「賀川記念館の再建」には多くの困難があったはずですが、予定通り2009年の12月12日には「献館式」を、同22日には神戸ポートピアホテルにおける大規模な記念式典と祝賀の宴を、さらに2010年4月17日には「賀川記念館ミュージアム」のグランド・オープンを迎え、7月10日には「賀川豊彦生誕地の碑」の除幕式と記念のイベントなどが続いています。


 ところで本稿の表題は「仲間 武内勝と吉田源治郎」としています。両人とも地味な働きに徹した方であったことにもよりますが、その全体像についてこれまで主題的に論じられたり、まとめられたりしたものは決して多くありませんでした。そんな中で今回、両人を取り上げる報告を求められるに至った経緯は、およそ次のようなことでありました。


 昨年(2009年)、10万回以上ものアクセスがあったという「賀川豊彦献身100年記念事業オフィシヤルサイト」において、「賀川豊彦のお宝発見」が「武内勝関係資料」を中心にして94回にわたりアップしていただきました。そしてさらに引き続き、今年(2000年)5月から「KAGAWA GALAXY吉田源治郎の世界を訪ねる」(途中から「吉田源治郎・幸の世界」と改称)の新しい連載(10月1日現在87回掲載)が始まっていることが背景にあります。


 このサイトでは、昨年公開の「武内勝関係資料のお宝発見」も併せて閲読可能になっています。両者の掲載は相当の分量になっていますが、ここでは限られた紙面でもあり、「武内勝と吉田源治郎」についての現在の個人的な感想のようなことを、短く自由に綴らせていただくことにしたい。


(補記:尚2012年9月現在、何故かかつての「オフィシャルサイト」は閉じられて、元共同通信社の伴武澄氏のもとで http://k100.yorozubp.com/ において、上記ふたつの連載は閲読可能になっています。このサイトでは、賀川豊彦に関する膨大なドキュメントが盛り込まれ、さらに補充され続けています。)

   (続く)