「仲間 武内勝と吉田源治郎」(第2回)(『Think Kagawa ともに生きる』(2010年)


賀川豊彦献身100年記念事業の軌跡:Think Kagawaともに生きる』(2010/11)





          仲間 武内勝と吉田源治郎


  (前回の続く)


              武内勝の世界


 過日(2010年7月1日)、西宮一麦教会の牧師として34年間働かれた森彬牧師から「吉田源治郎」のお話をお聴きする機会がありました。その折の森氏の言葉に次のようなもの
がありました。「関東のことは分からないが、関西では武内勝は賀川の一番弟子・吉田源治郎は二番弟子と見られてきたと思う」と。


 「弟子」と目される2人が、生前それぞれ賀川との関係をどのように自覚していたかは分からないが、昨年から現在まで2人の足跡を学び続けていて、森氏のこの言葉は私には自然に納得させられるところがあります。


 武内勝は1892年(明治25)生まれ、吉田源治郎は1891年(明治26)生まれでほぼ同い年である。従って、1888年(明治21)生れの賀川とも同年代で、賀川が少々兄貴気分を持つことのできる年齢差で、まさしく賀川・吉田・武内は名物トリオでした。


 武内は、賀川の「葺合新川」献身のすぐから、吉田も、後に妻となる間所幸(こう)は賀川ハルの横浜共立女子神学校時代のクラスメイトであった関係もあり、結婚後すぐに2人とも「賀川豊彦とその仲間たち」の一組(賀川豊彦・ハル夫妻、吉田源治郎・幸夫妻、武内勝・雪夫妻)として、その全生涯にわたって、歩みを共にしてきた間柄です。


 因みに武内勝は、賀川没後6年を経た1966年に74歳で(賀川豊彦は1960年に72歳で没)、吉田源治郎は1984年に92歳でその生涯を終えており、現在もKAGAWA GALAXYの大切な先達として、特に関西では、多くの人々に憶えられている人物であります。


 武内勝口述『賀川豊彦とボランティア(新版)』(村山盛嗣編、神戸新聞総合出版センター)が「献身100年記念出版」の一つとして刊行されたことは周知のことでありますが、今から36年前、1974年の本書の旧版は、武内の静かで飾らない、情熱を秘めた口述記録として、関係者のあいだでこれまで長く愛読され続けてきました。


 「創業当時の回想」という主題によるこの口述は、賀川もまだ健在であった1956年のものでしたが、明治の終わりから大正初期の「賀川とその仲間たち」の神戸における働きが、武内勝の独特の語り口、でユーモアを交えて語られています。


 この口述の行われた数年後、周囲の人々の強い要望に応えて連続10回の口述を試みていたようで、武内のその時の録音テープが、ほぼ完全な形で昨年発見されました。


 話の内容は、先の口述記録とは大いに異なるもので、まさにこれも「お宝発見」の筆頭に上げても良いものでありました。この発見によって、最晩年の「武内勝の肉声」にも出会えることが可能になっています。


(補記:この貴重な録音テープは、現在神戸の賀川記念館のホームページにおいてネット上で聴くことが可能になっています。)


   (つづく)