『賀川豊彦と現代』出版<余録>『月刊部落問題』1988年7月号


賀川豊彦と現代』出版「余録」


『月刊部落問題』の巻頭随筆「ふんすい」


   1988年7月号


              余 録


 昨年の夏すぎに脱稿し、関係者にお目通し願っていた拙著が、本年五月半『賀川豊彦と現代』と名づけられて誕生した。たまたま今年は、賀川豊彦先生夫妻の生誕百年に記念の年に当たり、おなじ出すならそれに合わせて刊行するよう強いおすすめもあって、本書も記念のひとつに加えられ、よろこびもまたひとしおである。


 しかも大方の予想に反して、この小著の出ぐあいも順調で、「もしも三ヶ月以内に品切れにでもなれば逆立ちをして歩く」などと言っていた彼氏も、一ケ月余り経た今、そんなことばもついぞ忘れて、増刷の準備にとりかかっている。実のところ、私たちの研究所の出版事業を維持・拡充するための募金活動に取り組んでいる最中でもあり、本書があつかましくも募金以後最初の出版物になり、著者としては内心ヒヤヒヤであった。しかし今のところ、よろこばしい新年度のスタートとなっている。


 もちろんこの好調を生み出しているものは、万事賀川豊彦の名声のなせることである。賀川の名を知る世代はだんだんと少なくなりつつあるとは言え、まだまだその影響力は並並ならぬものが感じられる。私のような「ポスト賀川」の世代に属する者でも、賀川の魅力は失せることはないのだが、その若さ日に『死線を越えて』に胸おどらされた経験を経てこられた世代の方々にとって、今もなおその感動が持続しているのだから、おどろくべきことてある。本を読んで、著者に手紙を書いたり電話をするなど稀有なことなのに、思いを同じくしていた人々が思いのほか多く、共感の声が著者のもとに寄せられて来ている。


 キリスト教界でも少しずつ読まているようで、若い人たちが発議して教会の中で新しく賀川を学ぶ会をはじめようとするところが生れたりしている。二十年前、私たちが新しい生活をはじめた頃は、新聞やテレビ取材などマスコミヘの拒否反応が強く働いたが、今回は来訪者のすべての方との語らいを楽しんでいるようなところがあるから不思議である。過日も京都の研究所でこの本をめぐって報告する機会を得、本書の余録のようなことを語った折、「こんなに楽しそうに話すところを見たことがない」などと言わて、少々よろこびすぎているのかな、と自戒しているところである。


 生誕記念事業は、関西ではこれからが本番である。七月九日には神戸国際交流会館で講演と映画『死線を越えて』が上映され、一四日からはさんちかホールで記念資料展が開かれたりする。賀川のホームグラウンドは言うまでもなく神戸である。この神戸を拠点にして、日本の胎動期を生き抜き世界にはばたいたひとりの先達のあゆみの中には、現代を生きる私たちにとっても見過ごすことの出来ない大きな宝物が隠されているようにおもえ、新たな発掘にまた取りかかるうと意欲を燃やしている。