「被災者の視点から:復興への要望」(『日本列島の地震防災』1995年


 被災者の視点から 復興への要望


  日本科学者会議編『日本列島の地震防災―阪神大震災は問いかける』
             1995年11月 大月書店




 本書編集委員会から表題のテーマをいただいた。震災から五ヵ月近く経過したなかで「復興への要望」としていま切実に思うことを、率直に記させていただくことにする。とはいえ、生死を分かつ大災害であっただけに、この間の状況の変化がめまぐるしく、個人的なことを考えても、震災直後から現在までの時間的な経過にともなう「要望」の中身も大きく変化している。安否の確認・食べ物や水の確保・避難場所探しといった最初期のことから、洗濯場や風呂場探し、そしてこれまで四回にわたる仮設住宅の抽選はずれ等々……。


 わたしの被災した場所は、今回の地震で全国に知れ渡った「長田区」の、広範囲に焼け野原になってしまった「御蔵菅原地区」の真横にあって、一四階建高層公営住宅での被災であった。そして、この高層住宅が悲しいかなもろくも使用不能となり、ついに建て替えを強いられることになってしまった。


 ところで、「復興への要望」ということで一番に痛感させられるのは、被災者の多くが「要
望」の声さえほとんど出せていないという重たい事実である。言葉や行動のかたちとなることのない「声なき声」が埋もれ隠されている。


一瞬にして倒壊した家屋の下敷きになり、文字どおり声をあげることさえできずに死んでいかれた方や、一瞬の圧死はまぬがれながら救出に至らず、無念にも生きながら焼け死んでいかれた方の叫びやうめきに込められたわれわれへの「要望」は何なのか。


運よく生き延びてかろうじて着の身着のままで避難所に逃れてきたものの、避難所での暮らしに耐えられず、早々に避難所からもはじき出されていった多くの人びと。とくに闘病中の人びとや高齢者、赤ちゃんを抱える家族や心身に障害のある方たちの多くは、危険を承知でわが家にもどり、親戚・知人を頼って疎開し、病院・施設などを転々として現在まで生きながらえてきた。また震災後の生活環境の悪化で死期を早めた人びとも数多い。


そしてそれら被災者の多くは、声をあげずに沈黙している。しかもいまだに避難所や野外でのテント生活が強いられ、さらに多数の人びとは望まない遠隔の場所の仮設住宅での暮らしが始まっている。仮設住宅の建設ひとつとっても、「被災者の要望」からいかにかけはなれたものであったか。こうした的はずれの行政(政府)の対応が屋上屋を重ねて今日を迎えてしまっている。現在避難所で生活していない避難生活者がどこに何人いるのか、それらの人びとが緊急の仮設住宅をどれほど待ち続けているのかなど、行政(政府)トップの視野の外である。


おそらくこれは、これまで防災対策の貧しさ以上に、災害救助の初歩的な失態として歴史に刻まれる出来事だと思われる。この基本的な過ちが、今後の復興を大幅に遅らせ、まちづくりの基盤を失わせてしまうことは、誰の目にも明らかなことである。なにしろまちづくりの主体たるべき住民が存在しなくなるという最悪の事態を固定化させてしまうからである。


 以上のようなことは、わたしの個人的な鬱憤に近い私的な怒りにすぎないが、もっと積極的な真実を含んだ「義憤」とでも言うべき被災者たちの切実な要望(「声なき声」)に、なぜか冷たく耳をふさがれてしまったことの無念さは、被災者の共通した思いではなかろうか。こうした「要望」を忖度できる心と知性が早急によみがえること、これが最も基本的な「復興への要望」である。


もちろんしかし、最初から被災者の願いに呼応して、まずは被災住民同士が、また被災をまぬがれた住民の方々がお互いに、そして友人・知人・無数のボランティアや行政・学校その他関係者のすべてが、あの非常時を精いっぱい「ともに生きる」貴重な経験をさせられてきたのも事実である。お互いの裸のままの人間同士の出合いや関係の発見は、何もかも失ったなかでの大きな財産となったことも、被災者の共通の思いであろう。


 そして「復興への要望」という点で言えば、われわれの気づくこともなかった大事な課題を医療・福祉・建築・都市計画・教育・文化等々、じつに多分野の専門家や識者の声が、初期の段階からそれぞれの仕方で勇気をもって発言してこられたことは、被災者にとって強い味方を得た思いをさせられた。実際、「声なき声」を踏まえた専門家の皆さんの「復興への要望」が、これからの復興計画にどう組み込まれ生かされていくのかは、大きな関心事である。
 

市民の「声なき声」は誰も無視できないし、してはならない。わたしたちがいま取り組んでいる「まちづくり運動」もこの「声」を踏まえることなしには一歩も進まない。そして、市民運動(まちづくり運動)と専門家(集団)と行政関係者とが、それぞれの立場・役割・関係を自覚しつつ、これまで不十分にしか発揮できなかった「協同」の取り組みが、新しく前進することを期待している。

                               (鳥飼慶陽)