「震災短信メモ」1995年3月(コープこうべ「協同学苑」での「賀川豊彦研究会」会報)


 震災短信メモ(1995年3月)


 コープこうべ「協同学苑」での『賀川豊彦研究会』会報


               神戸●鳥飼慶陽


●この度の震災で、無残にも文字どおり「(地)震(火)災」で廃墟と化した神戸市長田区「御蔵菅原地区」の名は、全国に知れ渡りました。そして、かつて暫くのあいだゴムエ員として汗を流したこともあるこの長田のゴム街も、一瞬のうちに広範囲にわたって工場も民家もほとんど倒壊・壊滅してしまいました。我が家は「御蔵菅原地区」とすぐ隣接する14階建の高層住宅、その11階に住んでいましたが、これもついに非情にも「使用禁止」の黒紙が張られ、避難生活を強いられることになりました。11階のベランダから眺める夕日は特に美しく、高取山や六甲の山々、そして時折聞こえてくるドラの音や遠くかすかに見える船尾の白波も・・・以来、住み慣れた家を追われ、悲しいかな「家なき子」に‥


地震体験の恐怖は誰も同じで、11階だから特別とは思えませんが、ビル毎ダンスをしているような、何かミキサーにでも入れられているようなものでした。もちろんしかし、倒壊した家で生き延びられた方々や、無念にも生きたまま焼け死んでいかれた方を見送られた方々のことを考えれば、私達の被害は比較にならないほど小さなものかも知れません。
                      

●仕事場である「兵庫部落問題研究所」は中央区の元町通りにあって、丁度この辺りは比 較的被害の少ない地域で、最小のダメイジで済み、2ヵ月経った今、ようやく仕事が徐々 に動き出したところです。急濾、ここを私の一時の避難場所にさせてもらっているので、 仕事場は今なお整理のつかないままですが、「月刊部落問題」という小誌を2・3月合併号の「地震特集」として編集し終えたところです。復興へのいぶきを伝える初仕事ができたことに、何か手ごたえのある満足感を覚えているところです。


●番町地域で賀川記念館が長く学童保育に取り組んでこられた施設を、神戸ワーカーズ・コープのきもいりで「天隣配食センター」として昨年夏から新しくスタートさせ、高齢者の方々に親しまれ、順調に発展していた矢先に、この度の震災が襲い、専任スタッフのひとりも失ってしまいました。この開拓的な仕事も、またゼロからの出直しです。


●また同じくワーカーズ・コープのホー−ムヘルプ部門でもこうした非常時のなかでこそその真価が大きく発揮される分野のようで、これまでの実績を生かした地道な取り組みは、研究所に集まってこられるスタッフ会議の熱気をみても、心を熱くされるものがあります。


●さらに神戸ワーカーズ・コープでは、大震災を機に「地域・住民が主人公の安全なまちづくりをめざす」復興へのひとつの取り組みとして、新たに「労働者協同組合建設コープ」の設立の準備がすすめられ、近々に着手する予定になっています。


●震災には流言がっきものですが、2月10日付けの「ジャパンタイムズ」で、部落問題や在日外国人問題に対する「事実誤認」の報道が行われ、神戸市長などがすぐに抗議と記事の訂正を求め、タイムズ側も「遺憾の意」を示し2刷以降の削除措置をするといった出来事もありました。


●研究所で専門家などを交えての「市民復興計画検討会議」が何回か開かれ、近く積極的な「提言」をまとめて発表することになっていますが、これから「神戸住宅・まちづくりセンター」なども本格的に機能していきながら、息の長い活動が始まろうとしています。


●同和地域に関連する新たな課題も次々にでてきています。●小さなキリスト教関係の交わりも、こうした時こそ有り難いものでした。●この2か月、余りに多くの経験をさせられました。知人・友人・先輩などとの再会や電話・文通の交わりもさることながら、思いがけない人々との新しい出会いは、言葉に言い尽くせないものばかりです。(当分の間、連絡先は 650神戸市中央区元町通り7丁目2-11 電話078-351-5265です。)