「新しい人権の確立を求めて」(9)(「火の柱」1988年9月10月)



新しい人権の確立を求めて」(9)


1988年8月3日−全体協議・発題−






(前回に続く)             
 

 また、賀川豊彦の平和主義、非暴力主義と関連いたしますが、日本の部落解放運動のあゆみの中でも、戦前・戦中・戦後、近年に至るまでいつも難問を抱えてきました。


 賀川が全国水平社の取り組みの基調に関わって、彼の動力源でもあった「愛の福音」とは違って、賀川の目には「憎悪の福音」などと彼の呼ぶような、解放運動の基調を揺るがす問題を、率直に包み隠さず批判したことが、特に今日、問題提起をする人々の「賀川批判」の一つになっています。


 普通、既成の部落解放運動に「連帯する」ことが正しくて、その運動に対してその方針や実践内容に「批判する」ことなど、「差別している側」のものにはゆるされることではない、という傾向が支配しがちです。

 残念な事に、人権問題に取り組む運動、とりわけ部落解放運動の場合に、特に私たちが経験してきた国の特別措置が法的に整う段階以降に、私的な利権や恣意的な憎悪を抑制できずに暴力的に転落していく無残な姿を目にしてきましたが、そうした事実に対してマスコミを始め沈黙を重ねてきた歴史を知っています。

 やはりそうした傾きに対しては、率直にわかり易く批判的な対応をすることは、多少の勇気のいることとはいえ、ごく自然なことです。神戸の部落問題の解決に関わることになって以来、その問題は大事なことでしたし、歪められた部落解放運動や「同和行政」「同和教育」といったものを、力をあわせて乗り越えて、より正しい方向性を見出して行く取り組みが、神戸においては積み重ねられて来たように思います。

 ですから、賀川豊彦が当時の水平運動の「差別糾弾闘争」などを「憎悪の福音」に落ちたといって批判的な意思表示をしたこと自体は、決して問題ではないと思いますし、むしろ彼の姿勢からいま、宗教者も学び取らねば成らないのではないかと思います。


 単なる時代の流れに乗っていくのではなく、卒直に批判をしあうことは、とても大事なことだと思います。誰も真理・真実を我が手に握っているものはないわけですから、お互いに相互批判を重ねることは大切ですし、それが友情の表現でもあり、礼儀であるわけです。一方的にひとを断罪することからは、物事の解決にはいたらないことは、はっきりしています。


 ですから、私の今回の書き下ろしも「対話を求めて」のものであることはいうまでもありません。私がこれを書きました時に、イエスの友会の石田先生も、ご自分の意見を公表されましたが、やはりいつの時にあっても、自由で真剣な表現活動は、とても大事にしなければならないことです。


 いま「賀川豊彦学会」が出来ましたり、色々新しい取り組みが進んでおりますが、そういう研究面においても実践面におきましても、自由な開かれた対話ということが、ここから進展していくことを、期待しております。


   (続く)