私の青春とキリスト教(『講座:青年』第4巻「青春はどこへ」所収第3回

今回も最初に、藤原昭三先生の若き日の教師時代の作品群「中学生のスケッチ」より1枚を掲げます。



今日の箇所「共に生きるー自由と対話」には、「内村鑑三」と「賀川豊彦」に触れられています。私たちの世代ぐらいまでは「内村鑑三」の読者も多く、特に「青春時代の読書」としては、彼は欠かせないものでした。


私自身も相方の父から「内村鑑三全集」を譲り受け、さらに「番町出合いの家」創設の折りには、神戸イエス団教会の名誉牧師・辻本四郎先生(当時93歳で矍鑠としておられました)から、特別に寄贈すると言われ、内村の『聖書之研究』の揃いのバックナンバー(大変なお宝ですが)をいただきました。


その後わかってきたことですが、賀川豊彦に触発されて、賀川と共に活動した人々の中にも、辻牧師と同じように、内村鑑三の著作に養われてきた人々が、多くおられました。


賀川豊彦オフィシャルサイト」で長期連載させて頂いた「武内勝資料」でも、大量の『聖書之研究』が残されていましたし、先日「賀川ミュージアム」に寄贈された「吉田源治郎資料」(これも先の「オフィシャルサイト」で長期連載)の中にも、内村全集を含む彼の著作が含まれていました。


こここに収めるものは、大正5年10月発行の『聖書之研究』第193号、英文(邦訳付き)巻頭文です。判読困難かもしれませんが、ここでいう「唯一の事業」は、単なる「救済事業」や「救霊事業」ではないことを強調しています。一見これは、賀川らの働きを意識して、批判している言葉として読むことができますが、こうした内村の声に耳を傾けながら、賀川とその仲間たちの活動は展開していったのでしょう。



さて、本日の本文を掲載いたします。なお、今回も最後の頁が途中で切れています。次回にその続きが入りますのであしからず。