賀川豊彦の畏友・村島帰之(60)−村島「不良児の特癖(上)」

 今回は「雲の柱」昭和6年9月号(第10巻第9号)に寄稿された論文で上下に分かれて、まず短い上を掲載します。


        社会研究
        不良児の特癖(上)
                         村島帰之

 不良化し易い児童は、先天的および後天的の原因から種々な特質を持ってゐます。人は、なくて七癖と云ふ程ですから、癖のあるのが別に不思議ではありませんが、一般の成年若しくは通常児ですと、その癖を自ら矯正し若しくは抑制して行くだけの自省心を持ってゐますのに、不良化し易い傾向の児童は此の自省心を欠いてゐて、殆ど反射的に、無反省にその特癖そのまま表現して了ふのです。不良児の持ってゐる特癖の重ならぬもを挙げると、盗癖、浮浪癖、浪費癖、虚言癖、暴行癖、などがそれです。之等の特癖は一つ宛表れる事もありますが、また二つ以上の特癖が同時に同一人に現れる事もあります。次にその一つ一つを説明して行くとしませう。

   盗 癖 の 巻

 その第一の特癖は盗癖です。盗癖は他人のものを盗まうとする特癖で、所有的衝動から来ます。尤も所有的衝動はいづれの人にも、必ずあるもので、幼児が、他人の持ってゐるものを見で欲しがるのも、婦人がデパートメンドの店頭に並べられてある着物類を見て欲しがるも、同じ衝動です。盗癖のある子供の現行犯を捕へて「お前はなぜそれを盗んだか」「その品物はお前になくてならない程のものか」と訊いて見ると、必ずしも彼の必要物ではなく、只何となしに盗って見たくて盗んだのだと答へるのを訊くでせう。そしてそれは、必要を充足するための盗みではなくて、衝動的に所有慾を満たさんがためにした発作であった事を知るでせう。充分に必要品を支給してゐる富裕な家庭の子弟であるにも拘わらず、敢て盗みをする者の如きは、此の部類に属するのです。

 なほ此の所有慾は、最初、幼児にあっては。聚集癖として現れるのが通例です。蒐集癖といふのは、こどもが、路傍にある石ころを集め、或は紙片を拾ひ集め、梢々長じては廣告を集め色紙を集めるが如きものです。そして若し妨害者などの現れた場合には、これを隠匿する風を生じます。これは原始人が、取り集めた糧食を外敵に奪はれぬために、土中其他に埋蔵したのと同じ心理です。若し此の心理を知らずに「何だね、こんなつまらぬものを集めて来たりして」などと叱責して捨てて了ふやうな事が度重なれば、その子供はこれを隠匿して潜かに所有することを楽しむやうになり、貪慾性と秘密を好む性とを助長して、果ては盗癖を助長するに至る場合が少くありません。

 盗癖は又幼少年の虚栄心から来るとも云へます。他人に劣らず、より多くを持たうとする心持ちが、盗癖の原因を作る場合が少くありません。巌格な両親があって、子への躾のためと称し、その児になるべく必要以外のものを与へない方針を立てたとしで、その児が、精紳的に立派な児でなかった場合には、他人が自分よりも多くの物を持ってゐるのを見て我慢してゐる筈がありません。即ち人の持ってゐるものを自分も持ちたいと思ひ、叉時にはそれ以上を持って他の子供に誇らうとする場合に、盗癖は助長され易いのです。家庭に於ける躾の巌に過ぎる事が却って児童を悪化させる理由となるといふのも、畢竟、此の点
に胚胎するものです。

 盗癖は幼少年のいたづらから来る事もあります。盗む事の興味! それに近いものが幼少年の心に潜んでゐるのを否定する事が出来ません。さして欲しくもない竹を人家の垣から引っこぬいて来たり、途中でどっかへ捨てて了はねばならないやうな庭石を持って来たりするやうなのがそれです。それはほんの悪戯に相違ありませんが、いたづらが打嵩じて盗癖にまで成長しないと誰が云ひ得ませう。

 更に模倣による盗癖の成長については云ふまでもありますまい。人もやるから自分も面白半分之をやって見る。それが成功したのみか、遂に発見せられずに済んだといふ経験が度重なれば、彼は自発的にそれを試みるやうになって盗癖は自ら生れます。

 最後に、家の貧困が盗癖をつくる機會の多い事は言を俟つまでもありません。貧困な家庭にあっては両親共に終日家を出てゐたり、少くとも父親は不在、母親は手内職や雑用で手をとられてゐて子供に對する注意の行届かぬ事が多く、殊に悪友の誘惑があって盗癖から免れる事は頗る困難なのです。

 斯うした盗癖は苟も不良性を帯びた幼少年なら、殆ど全部之を持ってゐます。感化院に収容されてゐる幼少年について見ると、その七割三分までは此の盗癖を持ってゐると云ふ事です。

 然らば此の盗癖がさせる不良行為――窃盗行為とはどんなものでせう。

 大正十二年葺合教育會の「不良児の研究」によれば、窃盗行為の内、重なるものは、拾得品横領が第一で、不良男児の三割、女児の三割は之に属してゐました。次ではパスの悪用で男の一割強、女の一割強が之をやってゐました。拾得品の横領は或はその父兄も公々然として之をやってゐるので、大して罪悪だと思はないのかも知れません。パスの悪用も大人のやる事を模倣する事から始まります。パンチの済んだ無効切符によって乗車する事などがそれです。

 然し之等は未だ窃盗行為の甚しき例とは云ひ切れません。窃盗行為も計画的、積極的となっては、最早いたづらではなく、立派な「犯罪」です。少年犯罪の犯罪内容を記するは、本稿の目的ではないので、彼等の巧妙な犯罪――大人も舌を巻くやうな――の一二の例を引用するだけに止めて置きませう。

 神戸葺合新川の表通りを通って見ると、時々一枚のアンペラを持って路傍に立ってゐる小さな子供を見かける事があります。一寸見るとそれが手品の種を持ってゐる盗人の卵であらうとは誰一人気のつく筈もないのですが、よく注意して見ると、その顔その目は異様に輝いてゐて何物かを待ち構へてゐる態度、たゞものでないといふ事が分って来るでせう。西からも東からも手引の荷車や荷馬車などが幾台となく通って行きます。もしも其の中に食料品や飲料等々満載したものを見つけると、手挽なれば同情的の態度で「小父さんえらいやろ、押したろか」と云ひ、荷馬車なれば面白半分遊び半分の、子供の本能を発揮してゐるとしか思はれぬ「よいしょ、よいしょ」と笑ふやうな調子で、例のアンペラを目的の品物の上に被せ、その下で巧みに品物を抜き取るのです。そして路次の横手まで来ると、その品物を抱へてサッサと逃げ込んで了ひます。

 斯うして盗癖の嵩じた少年が十二三歳になると、一歩進んで盛に店頭を漁るやうになり、次には掏摸の技術を練習しけじめるのです。