賀川豊彦の畏友・村島帰之(61)−村島「不良児の特癖(下)」

 今回は前回の続編で「雲の柱」昭和6年11月号(第10巻第11号)に寄稿された長い論稿です。


       社会研究
       不良児の特癖(下)
                         村島帰之

    浮浪癖の巻

 遊牧時代を歴史の冒頭に持つ人類は、先天的にコスモポリタンの要素を多分に持ってゐます。恋人の眼のやうに澄んだ蒼穹を仰ぎ見た時、はてしも知られぬ青海原を望む時、初老に近い私達でも、心ひそかに放浪を憧憬れる気持に支配されるのを禁じ得ないものです。まして、希望に活き、成長の首途にある動揺時代の少年が、永く一定の空間と、時間に拘束されてゐるのに得耐えずして、浮浪し出すのは心理的に言って何の不思議もないことです。少年の心は、啻に放浪そのものの喜びを感するだけでなく、あまつさへ、その行手には輝やかしい大きな幸幅と歓楽が、彼を待ち受けてゐてくれると信じてゐるのです。特に寂しい農村に育った少年は、光明の都會が、どんなにか彼に魅力を持つ事でせう。彼等はその光を望んで夏の蟲のやうに飛出して来るのです。

 数年前、八濱徳三郎氏が同氏の経営する少年ホームで取扱った浮浪少年百五十三名について調査した處によると、その中の八十三名、即ち五割四分までは「一定の目的もなく、漫然上阪したもの」であったと云ふ事です。かうした例は家出娘にもあります。或る女風呂屋からの戻りさ、ふらふらと都が恋しくなって、手拭とシャボン箱を持った儘、夢遊病者のやうに出奔して来ました。少年にもこの夢遊病的の発作の見舞ふ事があるのです。勿論、かうした事は少年心理の上から見て有り得る事だといふだけで、凡ての少年が凡て浮浪するものだといふのでは素よりありません。善き環境と、素質とが与へられてゐたらかうした心理作用も只だ夢のやうな憧憬として、夏の雲のやうに、いつか名残りも止めずに過ぎ去って了ふのです。不良児の浮浪癖を誘致する第一の原囚は善からぬ環境であります。家庭に於て優待を受けてゐない少年や、叉虐待ではなくても過厳なる躾のために、自由を望んでやまぬ少年などは、隙を窺って浮浪し始めます。前者の多くは無産者の子女であり、後者は中流の家庭に多く見られます。

 無産者の家庭では、その子女をお乳母日傘で遊ばせて置く事が出来ないため、之を生計扶助のために使役して、殆ど娯楽らしい娯楽をも与へてゐません。その為に彼等は知らず知らず憧れの世界を持つやうになるのです。無産者子弟の娯楽と云へば、その第一は活動寫真でありますが、彼等はそのフヰルムの面白さを忘れる事が出来ず、ソッと家を出て活動寫真館に足を運びます。それがいつしか夜遊びの習慣となり、遂には拭ふ可からざる浮浪癖ともなるのです。尤も、活動寫真のやうな娯楽でなくとも、無産者子弟がその周囲に廣場を持ってゐず、叉その住居も狭きに失して「遊び」をする事が許されぬ場合、彼等を駆って浮浪せしむる原囚となる事もあります。即ち廣い家と廣い庭を持ってゐる有産者の子女と異り、九尺二間に住ってゐる無産者の子女は、遊ばうとしても遊び場所がない。家の中は素より、家の附近で遊んでゐても、直ぐ大人から叱責や干渉を受ければなりません。さうした時、彼等が安全地帯を求めて移って行くとしたら、それは屹度自家を離れで遠き賑やかな街か、盛り場に相違ありません。そこには彼等を叱責する大人の眼の光らないのみならず、却って彼等の変化性を満足せしむるに足るいろいろな見世物が多様に展開されでゐます。彼等が家を忘れ時間を超越して此の街から次の街へ、更に次の盛り場へと浮浪して行くのは、これ亦自然の勢いと云はねばなりませぬ。此の意味から云って子供に廣場を与へるといふ事は、不良少年を少くする一方法でなければなりませぬ。即ち都市に於ける小公園の設置、寺院境内の公開などが必要で、不良児問題と都市計画との開係の浅からぬを思はしめます。況や小所得者住宅改善問題が此の問題に切実な関係のある事は云ふまでもありませぬ。

 その他無産者子弟の浮浪癖は「淋しいから」といふ心理的原囚から来るものであります。二六時中、家のものにかしづかれ父母の膝下に団欒の時を持つ事の出来る有産者の子女と異って父も母も兄も皆パンを得るために外へ出て働かねばならぬ無産者の家庭に育つ子女は、時に全く孤独の時間を持たねばならぬ事があります。さうした孤独状態に置かれる児が、光と音楽と彩りを訪ねて浮浪し出す事は無理からぬ事であります。

 なほ、かうした遊び場所の欠如や、孤独から来る浮浪以外、その家庭に於て虐待を受けてゐる少年が自由を求めて浮浪の旅に出るのも之れ亦不思議とするに足りない事実でせう。英國に於ける調査では、浮浪児童の五割七分までは家庭において虐待を受けてゐた少年であったと云ひます。わが國に於ける浮浪少年の中に、継児のあるのなども、此の虐待による浮浪を思はせるではありませんか。叉虐待とまでは行かずとも、家庭において遺棄状態に置かれてあるために、自然浮浪したと云ふものが甚だ多いのです。浮浪少年の中でも所謂盗児團に属する最も低級な不良少年は多くは此の遺棄状態から来て盗児團に拾はれたものであります。拙著「ドン底の闇から」に掲げた神戸新開地に巣喰ふ盗児は、揃ひも揃って此の種原因から浮浪して来たものでありました。今、左に数人の来歴を転載して見ませう。

  N・Y (十五歳) N・M(十一歳)
 両人は兄弟である。父は繼父で、母のみが生みの親である。N・Yは川崎造船所へ働きに行き、N・Mは小學校通學中であるが、性質怠惰で通學せぬため、繼父は屡々折檻のため食事を与へなかった。彼はそれを僻んで兄を誘ひ遂に不良の群に這入って了った。育母は泣いて同人の将末を悲しんでゐる。

  I・K (十三歳)
 母親なく、現在の父は繼父で、幼少の頃母の連子として繼父の許に養育されてゐる中、実母に死別し、次第に手癖悪く、近所の金品を盗むため、近所から抗議が出る始末に、繼父も先妻の連子と云ふ處から自宅に寄せつけぬので不良の群に這人った。

  T・T(十四歳)
 父に死別れ、郷里山口県から神戸に来たが、母親は無情にも同人を振棄てて姿を隠したので天涯孤独の身となり寄る辺なく不良の群に這入った。

  K・K (十四歳)
 香川県生れ、母に死別れて後、父親は飯焚女を後妻に直し、親子三人神戸に来たが、父は手足纒ひの同人が邪魔になるので、振棄てて後妻と共に姿を隠したのが原因で不良の群に這入った。
        
 五名共に何れも繼児又は孤児として冷い家庭に生れた恵まれざる少年であります。特に後の三人はその親から全く捨てられたもので、浮浪せざらんとしても能はざるものであります。

 斯うした実例を見る時、我等は浮浪少年を攻むる言葉を知らないのです。恵まれぬ浮浪少年に必要かものは親の愛です。彼等は愛の飢饉から生れた毒草なのです。

 以上述べたのは、無産者の家庭に生れた浮浪少年ですが、然し此處に注意を要する事は、浮浪少年が凡て無産者の子女に限られてゐるものでない事です。何の不自由もなく育った豪家の子女にして浮浪するものが又意外に多い事を知らねばなりませぬ。ただその数が前者に比して少いと云ふだけの事です。即ち子供を余りに大切がって、あらゆる誘惑や危瞼から遮断し、温室で植物を培養するやうな態度を探ってゐる、所謂上流の家庭の子女が、その窮屈な家庭を脱し、自由の世界へ飛出すといふ例が少くないのです。

 一体、少年は社交性に富んでゐるものです。しかもその社交の對照は同年輩のものを最も喜ぶのです。家庭内で十数人の召使を対手として遊ぶ事よりも、家を出て一人の外の小児と遊ぶ事の方がどれだけ嬉しいか知れたものではありません。子供には子供の世界があるのです。同類意識があります。それは大人の窺知し得ないところのものであります。それを「悪い子と遊んで悪い事や悪い言葉を覚えるといけないから」といって家庭に閉じ込めるのは、風に当てるといけないからといって植物の向日性を無視し、植木を室内に入れるのと同一轍です。家に閉じ込められた植木が、戸の隙間や壁の隙間から蔓を伸ばして外に出るやうに、これ等の少年が間隙を狙って浮浪し出すのは、当然過ぎる程当然な事であります。

 世の親は、小児の此の向日性――社交性を顧慮する必要があると思ひます。勿論さう云へばとて、放任主義が善いといふのではありません。放任主義に對しては待受けてゐたやうにして誘惑の毒矢がどこからとなく飛んで来るからです。

 さなきだに浮浪癖の幾分を持ってゐるやうなここどもを不注意に放任して行く時は、先輩の浮浪児が来て親切に之を誘導する事は判りきった事実です。といって余りに之を折檻する事は考へ物です。少年には反発性があるからであります。此處に一つの興味ある実例があります。

 或る處に一人の浮浪性に富んだ少年がありました。彼は毎夜のやうに盛り場へ出かけて行って、帰宅するのは十一時近くでした。母親は幾度か叱責しましたが、その甲斐がありませんでした。或る夜、彼は例の如く晩遅くまで帰っては来ません。余りに毎度の事であり、且つ尋常一様の叱言では反省しさうにも思うへないので母は一策を案出しました、それは、折檻のため今宵は閉め出して、どんなに戸を敲いても開けてやるまい――と云ふ事でした。十一時近くになって児は戻って来ました。戸は堅く閉ざされてありました。「開けて下さい」「開けて頂戴」と児は幾度か門の戸を敲いたのでした。けれども母は容易に戸をあけてはやりませんでした。今に泣いて詑びるであらう。もう決して夜遊びはせぬと誓ふだらう。それまでは滅多に開けるものではない――さう思ひ乍らぐっとこらへて居ました。戸を敲く音が断続しました。もうあやまるだらう。――さう思ってゐると、戸を敲く音がハタと止った。ああ、敲きくたびれたのであらう。今度こそは詑言をいってあけてくれとせがむだらう――さうした母の期待は外れて、その後はもはやコトと云ふ物音一つしません。母は流石に気をもみ出しました。戸外で寝て了ったのではあるまいか、と思ったからです。母は急いで立って行って戸を開けました。飛付くやうにして這入って来るであらうと予期してゐた愛児の姿が見えません。戸外を見廻して見ましたが、どこにも寝込んで居る形跡もありません。

 ああ愚かなる母よ! あなたは余りに愛児を知らな過ぎました。あなたは愛児への折檻をのみ考へて、科學的な愛児に對する省察を欠いてゐたのです。本当の子に對する愛は盲目的の愛ではありませぬ。可愛いからとて、胃腸の弱い児に無闇に食物を与へる母がどこにあるでせう。本当の母性愛は、科學を取入れた愛であります。生理的にも、心理的にも、社會的にも子を正しく理解して愛する愛こそ真の愛であらねばなりませぬ。

 愚かなる母よ、あなたはあなたの愛児に浮浪癖のある事を忘れてゐたのではなかったですか。あなたは仰しゃるでせう。「いいえ、忘れればこそそれを矯めやうとして折檻したのです」と。ああ然し、皆薬は適度に適所に与へれげ難症をも癒します。が度を過せば癒すどころか、その人の命を絶つではありませんか。あなたの折檻は度を過した毒薬でした。

 愛児は戸を敲いた。けれども戸は開かれない。叉敲きました矢張り答へがありません。その時少年はどうしましたか。さなくとも、彼は浮浪癖のある少年であります。殊に彼は家よりも懐かしい光の巷を徜徉ふて、名残を惜み乍ら帰って来た處です。わが家の戸が開かれないとすればどうするでせう。戸外で眠らうか、莫迦な、くびすを引返すたら、そこには未だ宵のやうな盛り場かあるのではないか、さうだ、行かう、再び盛り場へ!

 母が戸をあけた時分には彼は、盛り場へ行ってゐたのであります。十一時過の盛り場は電燈の輝きと、絵看板の彩りに変りはなくとも、舞台は変ってゐます。活動も芝居も果てて、人の流れは引汐のやうに引いて了ってゐて、そこには盛り場を巣とする不良少年の群がうろついてゐるだけです。そこへ瓢然として一少年が現れたのです。「おい君どうしたんだい」不良少年は此の漂泊者を歓んで迎へたのです。「閉め出されたのだね。一晩位ひ何だい。僕達と一緒に来給へ、コーヒーを奢らう。そして遅くなったら僕達と一緒に寝やう。お母さんとこへは、あした朝婦れば善いさ」 先輩の言葉は蜜のやうに甘かったのです。少年はその蜜を嘗めた事は云ふまでもありません。

 翌朝家に帰ると母は以前よりも強い折檻を加へました。折檻が強ければ強いほど脱出を希ふ心は燃えました。況んや彼を吸引する密の泉があるにおいておやです。彼は幾度か脱出しました。

 さうした経験を繰返すうち、彼は立派な浮浪少年となり剰へ先輩の不良少年に仕込まれて家の金品を持出して仲問に悦ばるる事を悦ぶやうになり、更に自家以外の金品にまで手を延ばすやうにたったのです。世の親達は此の挿話を何と見給ふや――。

 然らば之等の浮浪癖は、如何なる形となって現れて来るのであらうか。その最も代表的かものは前にも挙げた通り夜遊びであります。

 浮浪癖のある少年少女は絶えす家を外にして遊びに耽る事を望んでゐますが、その中でも昼間の外出は、保護者も当然の事として敢て之を阻止しやうとはしません。が、もしもそれが夜間にまで及ぶ場合には「何だね、こんなに晩くまでどこをうろついてゐるんだ」と叱責し且つそれを阻止するやうになるのは常に我々の目撃し、若しくは経験して来たところです。

 然し、たとヘー度や二度叱責を受けても、一度此の味を知った以上、夜遊びの楽しみは容易に放擲し得べきものではありません。光の巷は、年若い者に名状し難い魅力を持つものだからであります。

 夜は地上の凡てのものを美化して、夢のやうな世界を現出せしめます。梟などと違っで、夜も物を見る事の出来る眼を与へられた人間は、人間の特権として夜の世界に小迷ひ出る事を好むのです。或る精神病學者は、我々が火をなつかしみ、光を憧れるのは、我々の先祖の原始人が火によって敵である猛獣を防禦したといふその神秘的な事実が、潜在意識としで隔世的に現れて来る結果であると言ってゐます。光を憧れる心は、それ程強く人間性に根ざした感情なのです。況んや年若い少年少女が此の虜となるのは寧ろ当然の事なのかも知れません。

 昆虫でも性慾興奮時になると「傾光性」といって、光を慕ふで集ると云ふ特性かあり、そのために我と我が身を焼いて了ふと言はれますが、性の目覚めの来る前後の少年少女の夜遊びは此の傾光性に酷似してゐるといふ事が出来ませう。特に此の傾光性を裏書するものは、同じ年頃の少年でも、此の夜遊びの癖は少年よりも少女に多い事であります。性の目覚めの早いだけ少女の傾光性は少年よりも強く来ると云ふのでせう。そして夜遊びを好む多くの浮浪少女の前途は、その時刻が、凡て悪を包む夜である事と、その性が、悪漢の毒牙にかかり易い女性である事によって非常なる危瞼に曝されることになります。浮浪性のあるどん底街の少女などが、殆んど例外なく男性の陥穿に陥って倫落の淵へ沈むに至るのは寧ろ当然の事といはなければなりませぬ。

 夜遊びに次で多いものは「活動寫真に耽る事」です。がこれは夜遊びと離れる事の出来ない開係を持ってゐます。浮浪癖のある少年は、ふらふらと盛り場へさまよひ出ては活動写真館に這入るのですが、若し入場券を買ふ金の持合せのなかった場合には活動寫真の看板を仰ぎ見る事によって、わづかに自らを慰めるのです。然し、更に活動寫真を見たいといふ慾望の昂まるに及んでは、彼は遂に家の者の目を掠めて金を持出し、更に他人の財物を窃取するに至るのです。此處に至って、浮浪癖は遂に社會的な不良行為を生み出す事となるのであります。

 夜遊び、活動寫真に次ぐものは「脱け遊び」でありますが、保護者の眼を掠めて抜け出す事を繰返してゐるうちには、その秘密を愛し、人の眼を掠める事を悦ぶ性状が、遂に犯罪ヘー歩を踏入れさせる結果をも馴致するに至るのです。

 以上挙げた夜遊び、活動寫真、抜け遊びは、浮浪癖が生む不良行為の最も一般的のものであって、最初はほんの家庭内における悪戯として親の叱責を受ける位が関の山であったものが、漸次昂進するにつれて、いつかその不良行為が社會化され、國法を犯す事となり、つひに刑罰を受けねばならぬやうな羽目にまで立至る事となります。故に之等の浮浪癖のある児を持った親は、其の浮浪癖が他人に迷惑を及ぼさぬ程度だからと云って之を看過するやうな事をせす、未だ程度の低い時に充分に訓戒を加へ、これを善導するやうに心掛けねば、後日臍をかむやうな目に會ふ事は必定であります。

 然らば、浮浪性が不良行為を齎す事は判ったが、之等の浮浪性から来る不良行為の直接の原因を作ったものは何でありませうか。即ち浮浪癖のあるものを馳って遂に不良行為をなすに至らしめたものは何でありましたでせうか。前にあげた「夜遊び」「活動寫真に耽る」「脱け遊び」の三つに就て之を見ると次の如きものがあります。(左表は大正十二年三月、神戸葺合教育會児童愛護研究會の調査にかかるもであります)

          夜遊びする 活動写真に耽る 脱け遊び  計
叱責せられたため    1      −      9    10
家庭生活不快のため   2      1       5     8
誘惑せられたため    4      9      13    26
活動寫真の影響     3      3       4    10  
模  倣        3      2       1     6
住居狭溢のため     25      −      1    26
家庭不取締のため    6      −      6    12
淋しさを感じたため   7      −      3    10
買喰の習慣のため    −      −      1     1
家庭の巌に過ぐるため  2      −      −    2
游びに耽ゐため     26      −      11    37
面白味を感ずるため   1      28      1    30
特種の興味を有するため 1      4       1     6
不艮行為を為さんため  2      −      2     4
學校を嫌ふため     −      −      1     1
遅刻したため      −      −      6     6
通學距離遠きため    −      −      2     2
友人の迫害を厭ふて   −      −      4     4
   計        83      47      71    201

 即ち最も多いのは「遊びに耽るため」で「面白味を感じて」「誘惑せられて」「住居狭溢」が之に次でゐます。換言すれば前回に述べたやうに、環境の不良に件ふ個性の悪化が不良行為を生ましめる場合が最も多く、安逸放埓を好むものがこれに次ぎ、他人の誘惑が第三位を占めてゐるのを発見する事が出来ます。

 特に家庭として考慮すべき事は「家庭の面白くないため」(八人)「家庭不取締のため」(十二人)「家庭の巌に過ぐるため」(二人)などと家庭の罪に帰すべきものが二百人中二十数人、即ち一割以上を占めてゐる事であります。

 浮浪少年を作り、不良行為をなさしめる事を欲しない親達はまづその家庭を浄化し、こどもに取って望ましい温く悦しい場所であらしめねばならぬ事を知って頂き度いのです。

     浪費癖の巻

 浪費癖も亦不良性を帯びる少年の附きものです。貨幣の價値を知らぬ間は兎も角、一度ゼ二と云ふものの持つ不可思議な全能力を知るや、恐らくどの子供も皆、必要、不必要を超越して全能力を試して見度い慾望に襲はれるに違ひありません。或る高貴の御方が外國へ赴かせられて始めて御自身「銭」なるものをお仕払ひ遊ばすやうになってから、その「銭の支払」といふ事がいたく御意に叶ってその後幾度か御自身店頭に立たせられたと拝聞しますが、まして頑是ない子供が此の不思議な経験を知っては、さして腹が減ってゐずとも、叉格別必要なものがなくても「お母ちゃんおぜぜ」とねがるやうになるのは寧ろ当然の事といはればなりません。殊に叉銭は遍通性をもってゐて、使用者の必要程度如何に拘らず、その反對給附として必ずその望むところのものが与へられるために、銭と、それによって購ひ得らるる「物」に對する彼の慾望は無限に延びて停止する處を知らないのであります。浪費癖は此の間隙から生れます。

 大正九年七月、貳拾八円の金をふところにして家出した花ちゃんといふ九歳の少女は、発育不良で舌も緑に廻らないねんねえであったが、大阪から電車で京都に赴き、手当り次第に買物をした点数約八点を数へたと言ひます。今その品目を記すと、

白縮の肌襦袢  1    女持銭入   1    手提バック  1
羽二重友禅帯  1    紋染兵古帯  1    洋傘     1
家族合せ    1    風呂敷    1

 この他に未だ買って途中で紛失したり、或は食べてしまったものもあるでせうから、買物点散は、もっと多数に上ったに違ひありません。花ちゃんは、家出前にも、前後五拾圓近くの金を持出して医者へ行って、勝手に蚊に喰はれた跡を手術して貰ったり、靴を買ったり、文房具を山ほど背負い込んだりした事があると云ひます。此の子などは、全く銭を使ふ事の面白さから、浪費癖を助長するに至ったものに違ひありません。

 斯うした浪費癖が喰べ物の上に現はれて来ると買喰癖となり、たまには少年の社交的方面に現はれて、歓心を買ふために無暗と人に金品をやりたがる癖となります。神戸葺合教育會の調査では、各不良性を通じ、浪費性が最首位を占め、その具体的の不良行為は、千百六十人中、(一)金銭の浪費そのもの百八十五人、(二)買喰ひ二百八十五人、(三)妄に人に金品を与ふるもの二百二人でありました。

 金銭浪費の原因の重なるものを挙げると、家にあるものを欲せすに、店頭のものが無上に欲しいといふのなどがあります。(これは大阪言葉の所謂テンヤ物買−−店屋物買ひの謂か――といふ)蓋し店屋に於ては自家において体得の出来ない変化性の満足と、貨幣使用の経験と、選択の悦びとが同時に得られるからであります。

 かういふ風に、店屋ものが附近の少年に魅力を持ってゐる矢先、親が必要以上に多くの金を与へるために、不知不識の裡に少年をして浪費癖を嵩じさせる結果となる事が少くありません。それのみならす、ドン底社會においては、教養のない母親などで、つまらぬ近所への虚栄心から、出来るだけ多くの小遣銭を其の子に与へて自己満足を感じてゐる者があります。「隣りでは一日に五銭しかやってないが、わたいとこは貳拾銭やってる」などといふ母親がそれであります。さうした母親の子は、いつしか立派に浪費癖が出来て、何かの機會に母が小遣いの額を減ずるか、若くは与へない場合に、遂ひ他人の金銭を窃取して浪費の料とするに至るのです。葺合教育會の調査した不良小學生百七十名の一日の小遣銭の高を示すと左の如きものがあります。

5銭以内 5銭以上 10銭以上 20銭以上 50銭以上 1円以上 計
男  90    25    13     7    3    2  140
女  19    3     5     1    1    1  30

 一日に壹圓以上の小遣い! それは多分、自ら労働して賃銀を得てゐるものでありませうが、仮令それにしても、浪費癖を助長せしたる結果となりはせぬかとの危惧を我等に抱かせます。

 買喰は多少の差こそあれ、どの家庭にも、叉どの子供にも行はれるところであります。叉その原因も、さきに述べたやうな浪費癖から来る心理作用のみの所作ではなく、消化機能の欲求の然らしむる点ででもある事は云ふまでもありません。即ち新陳代謝の激しく行はれる少年にとっては三度の食事だけでは不足で、その消化機能の欲求が買喰を促すのです。

 葺合教育會の不良児調査では男の児の五割五歩、女の児の七割は買喰癖を持ってゐるといひます(男の児よりも女の児にこれの多い事も注意に値ひするであらう)若し之等の少年少女に「あなたは何故買喰をするか」と問ふなら、彼は屹度「何となく口が寂しくて」といふでありませう。それは既に買喰が習癖となってゐる証拠であります。叉「何故店のものを欲しがるか」と云へば、前に述べた如く「店頭のものなるが故に美味だ」と答へるでありませう。特に一度一度便った品を買ひ求め得らるる悦びは、大人とても同感であります。

 然し、斯うした心理的な理由だけではなく環境から来た社會的理由のある事も亦疑ふ余地はありません。今その主なものを挙げると、その一は飲食物の制限であり、その二は調理の無変化であり、その三は店舗の誘惑であります。

 ドン底社會では三度の食事の補充として買喰をする場合が少くありません。両親共に働きに出てゐて炊事をする特別の人もないため、家ではほんの空腹凌ぎの飯と、香の物位を食べて嗜好物は店頭で取らうといふのであります。甚だしいのになると全然食事を自家で摂らず、若千金を与へて、店頭で好むものを需めて腹をふくらせる者さへあるほどであります。

 然し買喰も、両親の指示の下に行はれてゐる間は問題ではありません。喰べたい、喰ひ 度い。然し小遣ひは与へられてゐません。ままよと許り他人の金を窃取し、若しくは店頭の物を掠め取るに至って、買喰ひはつひに犯罪となるのです。殊に、誘惑の魔の手は彼の周囲を囲んでゐて彼を誘導するのです。筆者が数年前釜ケ崎を調査した際には、同所約四丁の街路の両側にめし屋及び酒屋十軒、魚屋、八百屋六軒、餅屋三軒、芋屋三軒、六方焼六軒、菓子屋三軒、蜜柑屋三軒、肉屋三軒、天プラ屋、うどん屋、粟おこし屋各一軒その他合計八十軒の飲食店があった(拙著「ドン底生活」二八頁)。かうしたものの前に直面してゐては、遂ひ盗心の出るのも当然でありませう。

 大正七年浦和刑務所報告には、買喰癖を有するもので、金銭を得んがために家の金品叉は他人の金品を窃取したものの多い事を示すために、左の如く在監少年の罪質別によって買喰の金銭の出所を現してゐます。

           窃盗  強盗  詐欺  横領  放火  計 
家の金銭か持出す   36 ―   3    −   1   40
他人の金銭を持出す  14   1    1    1   1   18
主人の金銭を持出す  3   −   −    −   −   3
掛先金にて      2   −   −    1    −   3
友人より借りて    2   −   −    −   −   2
學校の月謝を使込   1   −   −    −   −   1
友人より騙取     1   −   −    −   −   1
主人の物品全賣りて  2   −   −    −   −   2
米を持出して売却   2   −   −    −   −   2
家及他人の金銭を持出 17   −  2    −    1   19
賽銭を盗む      1   −   −   −    −   1
   計       81   1   6    2    2   92

 即ち家の金銭を持出した者が最も多く、他人の金品を持出した者、自家及び他人の金品を持出した者が之に次でゐます。叉主人の金を持出し、若しくはその物品を賣った者は奉公中の買喰癖のこどもでありませうし 、月謝使込みは學生でせう。賽銭泥棒に至っては言語道断です。

 彼等は何時頃から買喰を始めたかといふのに、上記の調査では、七歳でといふものが全体の二割八分を占め、八歳の二割一分が之に次でゐます。即ち買喰の習癖は幼年期に始ってゐるので、八割六分までは十二歳未満で始ったと記されてゐます。斯くて年の長けると共にその習癖を助長し、遂に國法を犯すやうになったのであります。

 最後に人の歓心を得んとして物を与へたがるのは弱蟲の不良児に多い。「おい、そのお菓子を俺に寄越せ、さうしたらお前を中佐にしてやる」などと餓鬼大将にいはれて、大将の気に入るために、折角の菓子をも与へる小供があります。そしてこれが嵩じては、大将の歓心を得たい許りに自家の金品を持出すやうになるのであります。二、三年前、大阪蘆原署部内で今井営進會なる不良児團があって、その團長今井栄一(十九)が、部下の少年から毎日參銭宛の税金を取ってゐましたが、中に某といふ少年は一年半に渡って税金を完納してゐたといふ例もある。

 浪費癖を矯正する方法は第一に交友を選ぶ事、第二に食事を充分に与へて間食を節する事、第三に金銭を余計に与へぬ事などでありますが、それには両親がまづ率先して模範を示す必要があります。親が酔っぱらって帰っては、児に買喰をするなともいへまいでせうから――。(完)