賀川豊彦の畏友―村島帰之(70)−村島「太平洋を行くー賀川先生に随伴して」(8)

 「雲の柱」昭和6年10月号(第10巻第10号)に寄稿された本稿最終回分です。


        太平洋を行く(8)
        賀川先生に随伴して
                             村島帰之


    (前承)   
      
   十八日(土曜日)

 海は依然として荒れてゐる。尤も荒れるといっても大した事ばない。ただ、晴れないといふ程度だ。時には小雨をさへ伴ふ。デッキプレーも出来ない。
 昨夜、少し寝つきが遅かったので、けさは寝坊をしてゐたので食事も部屋でする。
 そこへ小川先生がやって来て、
 「船長があなたに是非おいで願ひたいといってゐるから」と呼びに見えた。二十分ほどしてボーイがまた呼びに来た。そこで、キャプティンの部屋へ行く。K先生や稲葉督學官明智、平井、小川氏等も先着してゐて、、船長は、松本丸の船長としてイタリーの駆逐艦の遭難者を救助した話をきかせてくれた。これは別に書く機会があらうと思ふ。船長はその功で贈られた勲三等の勲章を見せてくれた。

 船長室からの帰途、甲板を見ると、異様なとかげでともお玉杓子ともつかぬ物体が桶に入れられて、何千匹となくゐるのだ。そして小鳥もゐる。聞けば、異様な怪物はイモリで米人の愛翫用に輸出せられるのだといふ。腹の赤い、汲色の、見るからにグロテスクなものを愛翫するとは、米人の感覚は大分日本人とは距離があると思はしめた。

 午餐後、例によって快談。米人の下等社會で用ゐる俗語の研究をする。
 そこへ二人の米婦人がK先生を訪れて来て俗語の研究と聞き顔をしかめた。
 彼女たちはナメラスカ州の独逸系の老人だが、ハイヂャーマニーと、ローヂャーマニーのあることを説明した。
 話が飛んで第二世問題に移った。ホノルルでは日本人の第二世が警察署長を勤めてゐるといふことだ。
 二世ではないが、副大統領カーチスには黒人の血が交ってゐるとの事だ。

 午後、大島正徳博士の「日本人の心理的特質」と題し、日本人には独創性はないが、器用で模倣性に富むといふ話があり、余り眠いので中座して暫時まどろむ。
 午後二時、さきの米婦人からの招待があったが眠いのでやめて寝る。

 夕飯は、茶椀むしに久し振りに對面する。食後、ジヤトル領事館員大谷省三氏の嬢ちゃん(四歳)を對手にして、折紙などをして遊ぶ。郷里の愛児を偲びながら。
 仕事もせず、空しく一日を費して了った。低気圧がカムチャツカに来てゐるさうで、ゆれるのはそのためだ――。
 無電も明日かぎりだ。バンクーパー着の日まで打てるのだが、電報が殺倒するので、一日前に締切るのだといふ。

   十九日(日曜日)

 濃霧は完全に晴れた。潮の色も青黒く烏が飛び交ふ。大陸の近づいた証拠だ。北緯四十九度に下り、西緯に百三十七度となって、横浜へは三千六百哩を隔てるが、晩香坡へは最早六百五十哩に近づいた。
 航路十二日ときいて、永いことと思ってゐたが、殆ど何事をもせぬうちに既に十日が経過して了った。
 朝九時半から西洋人の子供のためにS・Sを開き、K先生は「パウロの旅行」と題して英語での話があった。

 十時、けたたましい警鈴が鳴る。出火の知らせだ。しかし、本物ではなく演習だ。ホースから元気よく水が走る。続いて短艇操作教練。ライフボートがインクライン式で一分間で水面に下りる。其上にはビスケットや水やマッチや無線電信や花火までが入れてあゐ。至れり、尽くせだ。チーフオフィサーは一行の為に特にその花火をあげて見せてくれた。

 十一時から礼拝、日米人約四十名出席、阿部青山學院中學部長の説教があった。

 昼飯後二時から海員のための宗教講演を開催。彼の司令でまづ成瀬氏の禁酒演説があり、これについで、K先生は「現代文明と宗教生活」と題し左の如き講演があった。

 現代人は「心を閑却して、その出張所ともいふべき五官の方にのみ気をとられてゐる。そこで目の経済、耳の経済、ロの経済が発達して、肝腎の精神が発達してゐない。現代人が、煙草や酒に消費する金額の如何に多いことか。而もその結果は如何であるか。精神病者に見るも、酒や梅毒から来る麻痺患者が頗る多い。犯罪者もこれ等の五官及び色慾からする者が大部分を占めてゐる。
 かくして國民の元気が消粍し、未来の文明を誤らざる方向に進めやうとする熱意に欠くに至った。即ち艮心宗教が鈍ってゐるのだ。
 若し、これと反對に「心を中心とした生活をするならば、苦しみもまた嬉しさに変わる。自己の力で出来れば、神の力がその衷に宿ってこれを達成しくれるのだ。癩病院にある長田穂波氏が、肉体が腐っても、なほ腐らぬ魂のあることを知って、その魂を讃美する詩を作って喜びを唄ってゐる。
 色慾文明に對しても、苦しみに對しても、確平たる不動の精紳を持たねばならない。そうすれば宇宙精神を突破しやうとする精神力が湧いて来るのだ。その精神は平常は眠ってゐる。それを平常も持たねばならない、機械文明の今日にあっても、機械文化と共に精紳文化を調和させるやうせねばならない。
 それは愛の力による。でなければ得られない。須らく各人が神の力を自己に宿すことだ。

 なほ、K先生は一粒の麦のモデルについて話した。主人公は現在徳島教會の長老を勤めろ森繁氏だ。氏は十五歳の時、大阪木津川の材木屋に奉公中、五圓の金を盗んだが、徳島市西新町で基督教の説教をきき、悔改め、鳶職になって儲けて五円の金を返した。ついで日露役のとう時、マヤス博士に導かれて、徳島の富田浦町の貧民を愛することを覚えた。その後旅順の戦争に出征したが、出征中も小遣として支給せらろゝ五銭を貯金し、徳島貧民窟の全身不隨の貧民へ送ってゐた。K先生はマヤス博士と同貧民窟を訪問した時、送金が来てゐるのを見て、これに倣はと考へた。これはK先生の貧民窟入の一因であった。

 講演の後、カナダ労働組合主事日刊民衆新聞社記者の露木海蔵氏から、カナダの労働事情について訊く。夜は彼の主催で、食堂に茶話會を開き、廣島商業選手一同を招待し、席上賀川先生から話を聞く。

 先生は青年の最も注意すべきものとして性慾をあげた。これが警戒を怠れば、學生としても優秀なる成績を挙げ得られぬのみならず、卒業して後も、立派な実業家になれぬと警告された。また、アメリカヘ入っても、浮薄な日本人第二世などに學ばず、質素にして、剛健の気性に富んだ中流米人に學べと教へた。山崎会長の挨拶があって十一時前閉會。學生には多大のショックを与えたらしかった。山崎氏は禁酒誓明に對する船内の迫害を述べた。學生のエール合唱も感激そのものだった。

   二十日(月曜日)

 いよいよアメリカ大陸へ近づいたので、船内は上陸の準備で忙しい。デッキゴルフを米人と小川先生及び彼とする。非常なるクロスゲームで、つひに日本軍が勝った。なかなかに策戦を必要とするゲームだ。

 K先生は昨日あたりから揮毫攻めだ。内地でゐたら、とても暇のない先生ではあるが、船中では、不可避的閑暇で、のんびりとして得意の絵などを書かれる。昼飯を終ってから、山下首席運転士の案内でデッキを見る。
 すべてが機械によってゐるのみならす、肝腎の舵取も羅針盤さへ定めておけばオートマチックで、人を要せすして船は進む。
 機械文明の極致だ。緯度極度の測定や、水深の測り方などを詳しく聞いた。救命ブイの 中に、ウイスキー呼子の備付けられてあるのも面白く見た。

 つづいて機関部へ行って岩垂機関長の案内で、ディゼルエンヂンの各部を見せて貰ふ。昔の石炭時代と事変わって、精微を極めた機械ずくめの代り、七人の人がポヂションについて居れば船は安全に進むのだ。シリンダーの大きなのに驚く。波は穏やかだ。外気も温い。明日はもうアメリカだ。

 長かったやうで短かかりし船の旅。恵まれた船の名その儘に、平安な十二日の船の旅。
 K先生にとって休養の十二日であったと共に、彼にとっても始めて経験する楽しき旅の十二日だった。船の上に、船に働く船人の上に、願はくば平安よ、在れ! 

       (終り)