賀川豊彦の畏友・村島帰之(9)−『賀川豊彦病中闘史』(8)

 村島帰之・しづゑ共著『愛と死の別れ―野の花にかよう夫婦の手紙』において、しづゑさんの絵と共に彼への手紙のなかに「うた」がいくつも収められています。

 今回もその「絵」(なんてん)と「うた」を少し収めさせていただいてから、今日の本題に進みます。


     賜りしいのちを天よおろそかに
       思ほすなゆめ常臥なりとも

     幾春秋夫をみとりて一筋に
       ありしわれの三ッ月を病む

     しあわせの明日とも知らず賜りし
       きょうのしあわせ珠と抱かん

     虔ましくわれら在らしめ賜りし
       命のかぎりともしと燃えん


     ♯        ♯       ♯


      賀川豊彦病中闘史(第8回)

二 悲しみの子

   (前承)

      キリストの弟子となるまで

 その頃、賀川は従兄の新居格(現在の評論家)に誘われて教会へ行ったこともあったが、基督教には、むしろ反感を抱いていた。

 中学の三年になって、友人に誘われ、英語を習う目的で徳島新町橋の基督教会所に出入するようになった。教会所には宣教師ローガンが居てこんにゃく版刷のキリスト伝のプリントをくれたが二三回行っただけでやめてしまった。その後、ローガンの義弟のマヤス博士が来たというので、また行って見た。マヤスは春風駘蕩たるやさしい紳士で、賀川少年に、英語を覚えたいのなら、バイブルを暗記するのが一番善いと教えてくれた。そこで、英語を覚える手段としてバイブルを読みはじめたのが、賀川をキリストの弟子たらしめる因となった。マヤスは最初にルカ傅第十二章二十七節を暗記せよといった。

 「百合を思い見よ。紡がず織らざるなり。されど、われ汝らに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、その装いこの花の一つにもしかざりき。今日ありて明日炉に投げ入れらるる野の草をも、神はかく装い給えば、まして汝らおや・・」

 賀川は四歳の時から徳島の田舎に育って、野の花には親しみをもっていた。その野の花の一つにも神の愛の注がれていることを知って、敏感な彼は何ともいえないインスピレーションをうけた。彼は後年、或る書物の中で、その時の感銘を次のように記している。

 『この時のインスピレーションは今も忘れる事ができない。聖句の中から神の声がまざまざと聞えた。神が直接にわたしに呼びかけていられるようにも思われた。「お前は純潔を求めるか、それとも、不良の方へ行こうとするのか。もしお前が、けがれかかった心をぬぐいきよめて、純潔の生活にはいりたいのなら、野に咲く百合の花の気持になって天地を見直すがいい」・・・そういう声が巌かにわたしの耳にひゞいた。わたしはふしぎな力にとらえられた。
 「そうだ、大地に神というものがなかったら、こんなにまで美しい百合の花は咲かぬだろう。神は確かにある。わたしは神によって、心の中を浄められ、心に百合の花を咲かせてもらわねばならぬ」・・・そう考えつくと共に、わたしはその時から、大地の父たる神をかたく信するようになった。……』

 神を信するようになった賀川は、その喜びを周囲の人々に話して一しょに喜んでもらいたかった。しかし周囲はみな耶蘇嫌いで喜んでもらうどころの話ではない。公然と神に祈ることすら憚かられて、祈りたくなると、人目につかぬように頭から蒲團をかぶって祈った。

 翌年、賀川の十五歳の春、兄の放蕩から、ついに賀川家は破産した。そのため、中学寄宿舎を出て、叔父の家へ寄食する身となった。叔父は多額納税者の一人で裕福だったが、大の耶蘇嫌いで、賀川が夜教会の集会へ行って、九時をすぎて帰って来ると、戸を閉じて中へ入れてくれなかった。しかし、一度、神を知り、神を信するようになった賀川は、そんなことで意を翻すようなことはなく、熱心に教会へ通った。そして明治三十七年二月十四日、彼は基督の弟子となるべく、マヤスから洗礼を受けた。この時、賀川は十六歳であった。

 洗礼をうけた年の暮、朝鮮に渡って再起を圖っていた兄端一は、事業の緒につかぬうちに同地で空しく客死した。そこで賀川は破産した賀川家の戸主となった。

 賀川は彼自身が兄の轍を踏ます、キリストの道へ進んだことを心から喜んだ。彼は記している。

 『わたしはいつも考える。わたしのような者がキリストにつくようになったのは、全く神の導きである、と。もし、わたしがキリストを知らなかったら、かならず、兄の二の舞をしていたであろう。そして、もしわたしが放蕩に身を持ち崩していたら、きっと、わたしは病気のために早死していたに違いない。わたしはそれでなくても、病身だったのだから・・・』

 確かにそうだった。彼の入信は、彼を堕落と病気の二つから救ってくれたのである。
 此處で賀川の闘病五十年について記す順序とはなった。

    (つづく)