賀川豊彦の畏友・村島帰之(2)−『賀川豊彦病中闘史』(1)

前回第1回で「村島帰之(よりゆき)」の「略年譜」を掲げました。全く不十分な試作品です。間違いも多いと思いますが、私の「村島学習」のための忘備録のようなものとして、ご参考までに。

さて、今回からテキスト化をすすめる村島の著作『賀川豊彦病中闘史』は、昭和26年8月1日、キリスト教文書伝道団・ともしび社によって刊行されています。手元にあるものはその昭和27年の再販本です(表紙は上掲)。

「ともしびシリーズⅤ」で奥付の「著者紹介」には次のように記されています。

「村島帰之ーー早稲田大学卒業、大阪毎日新聞記者、同社会事業団主事、白十字会(結核予防事業団体)専務理事、関西学院文学部、早稲田大学高等師範部、同大学教育学部講師○大正の初め人道主義時代の労働運動に関与して賀川氏と相知り、基督教に導かれ大正十三年同氏により受洗す○賀川氏の労働運動、協同組合運動、農民運動、社会事業及び精神運動の各分野にわたり協働して今日に至る。交友三十五年。
 著書ーー「どん底生活」「生活不安」「生活」「善き隣人」「産業と結核」「美しき献身」「労働争議の実際」「太陽学校」(社会事業文献賞受領)他二十数種
 現在ーー学校法人平和学園長、同高等学校長」


本書のとびらには「最近の賀川豊彦氏夫妻(松澤にて)」撮られた下の写真が収められています。賀川豊彦とハルは明治21年生まれの同い年ですが、この時(昭和26年)は63歳です。



なおその後、本書は第三版が昭和33年11月に同社より同じ内容で刊行されました。その後の版があるのかは未確認です。参考までに第三版は表紙は次のように新しくされています。



そしてこの第三版のとびらには、それまでの写真を新しく差し替えて「賀川豊彦先生と春子夫人」という説明が加えられて収められています。