賀川豊彦の畏友・村島帰之(21)−『賀川豊彦病中闘史』(20)


      賀川豊彦病中闘史(第20回)

    
      十一 大争議のあと

          争議の心配から血の汗
 神戸川崎三菱両造船所四万五千人の大罷業事件については此處では記すのをやめる。この大争議は労資しのぎを削って闘ったが、リーダーたる賀川が、罷業は認めても暴力行為を否認して、あくまで合法的、秩序正しい争議を主張したため、手ッ取り早い解決は見られず、荏再一ヶ月余におよんだ。そのため四万五千の罷業團員の家族――三人家内と暇定しても十二三万人を越える多数の人々――が生活に困窮しているのを見て、賀川は罷業以上に心配をした。

 後になって、賀川が当時着ていたシャツを夫人が洗濯しようとして取り出して見たところ、血がついていた。別に怪我をしたのではない。あまり心配したので、血が滲み出たのであろうというのである。いわゆる血の汗というのは必らすしも架空の言葉ではないことが判った。

 罷業團の示威運動が繰り返され、團員の一人常峰俊一が死ぬという椿事さえ惹起し、憲兵隊の出動を見ていよいよ争議は白熱化し、ついに新開地における警戒線の大衝突事件となり、大弾圧となった。七月三十日午後四時頃、賀川が罷業團本部で策戦をめぐらしていると、突然、戸外に轟く銃声、すわ、と見る間に、警官が飛び込んで来た。賀川は幹部たちが反抗の気勢を示すのを軽く制して「静かに静かに」を連呼し、みんなに坐るようにといった。戸外を見ると、百名余りの警官が周回を取りかこんでいる。彼はみんなに手本を示すように、自身が先頭に立って、五名の警官に護られて、その儘三宮警察へ引かれて行った。

 こうして賀川は野倉萬治以下幹部と共に警察署からさらに神戸橘分監に送られた。監獄では賀川がひどく健康を害しているのを見て、特に女囚監の方に収容した。そして未決監におること十三日で、一まず釈放された。

 罷業は労働者側の惨敗に終った。そして「ああ八月の陽も暗く・・・」という敗戦の歌が作られた。

 この争議四十日間に、賀川は心身を労し、体重は一貫三百匁を減じて十貫足らすになったが、出獄後も収監者の家族の世話や裁判の手続、差入などで、目の廻るような忙しさがつづいた。

       肋膜炎の再発

 賀川が罷業團の指揮に任じ、ついに未決監につながれたということは、彼の名を天下に轟かす契機となり、「死線を越えて」は飛ぶようにして売れ、講演に、執筆に引張りだことたった。彼の名に憧れて、都から鄙から新川を訪れて来る有名無名の客が門前に市をなした。         

 こうした忙しさは、賀川の健康の安全辨を吹き飛ばしてしまった。彼は暫く忘れていた咳の出初めたことに気づいた。そういえば、からだが妙にだるく、熱もあるらしい。馬島ドクトルに診せると、胸部前面から背部へかけて肋膜炎を起こしているというので、また水治療法通いを始めることとした。肋膜炎は湿布によって、たまった水をとったりするほどだから、水治療法が適していることは事明の理であった。果して、賀川の肋膜炎は大事に至らずしてすんだ。
 此處で一応、水治療法というものの明をして置くのもむだではあるまい。

 
       
        一種のあん法療法
 水治療法で(ハイドロテラピー)というのは一種の温奄法療法で、患者の症状によって、或は腹部に、或ば胸部に、或は喉に熱湯を絞った摂氏三十八度乃至四十五度の毛布の温湿布を巻いて治療ずる療法である。全身裸体となって、治療台に仰臥して治療を受けること約二十分、その間、患者は小田巻のように毛布に巻かれたままじっとしているのである。頭部及び心臓には氷嚢をのせ、足には小さな温湿布を施されて……。

こうしてじっとしていると、まるで土耳古風呂にはいって蒸される時のように、瀧為す汗が肩から、腹から額からだらりだらりと流れ出る。これは単なる汗ではなく、種々の体内の排泄物をも含むもので、同時に、血行は速度を早めて循環し、新陳代謝が促進されるのである。

 尤も、病症によっては、あまり多量の発汗は有害なので、湿布を巻く代りに、熱布を単に患部の上に乗せるにとどめる場合もある。

 こうして血行の十分に促進された身体は、やがて湿布を取りはずし、噴霧器(スプレー)の前に立たせられ、灌注法が施される。

灌注法は、湯屋などにあるシャワーで、ただ、普通一般に行われるような頭部からの灌注だけではなく、係員がふいご式の注水器(ファンズース)を手にとり、ポンプによって水圧の加った約四十度の湯(神経衰弱症の者には微温または水)を或は雨状に、或は扇状に、或は放線状に、患者の腹背に適当に放射する。

 温湿布で温められて弛緩した筋肉や皮膚は急に緊張し、血液の循環は再び確実なる歩みをつゞけ、水圧による摩擦、打拍等の機械的刺戟も加わって、いよいよ新陳代謝の亢進を来し、身体の抵抗力が増進して行くのである。

 灌注法がすんで再び元の治療台上に戻って仰臥していると、湯ざめを防ぐために油を塗布し、全身のマッサージをしてくれる。摩擦と按摩が血行を三度整える。
 湿布からマッサージまで約三十分、患者は蕩然としてその儘そこで暫く仰臥をつづける。入院患者は自分の病室に戻り、血行の平静に復するまで床上に安臥する。

 この水治療法は血行の促進と新陳代謝の亢進により、血球の数及びへモグロビンの含有の増加を来し、細胞組織を更生させ、諸病を合理的に治癒せしめる。つまり、血液の交流を促して、病菌を撲滅させるというわけである。この意味から急性胃腸病、大脳カタル、盲腸炎、肋膜炎、肺炎、疫痢、百日咳及び神経系諸症に効能があるという。

 賀川はこの水治療法が好きで、現に筆者もそのすすめで入院して肋膜炎を治した。賀川の姉の菊子も、レウマチスで永らく患っていたが、彼のすすめで入院し、軽快して退院してからも、同院にいた看護婦を常傭にして自宅で、温湿布療法をつゞけていた。
 
    (つづく)