『在家労働牧師をめざしてー「番町出合いの家」の記録』(28)第2部「新しい生活の中から」第3章「働くこと・生きること」(日録・解放)

今回から、第2部「新しい生活の中から」に入ります。


高校生の時に宿った夢、それは将来、農村の小さな教会で働くという夢でした。
その夢を抱いて、同志社での6年間の学びを終え、夢が叶って、滋賀県の琵琶湖畔にある「仁保」と「野洲」で「結婚家庭」をはじめました。そこで「現代における教会の革新」とかいって「礼拝のあり方」など、小さな実験をはじめていたことは、第1章において取り出して見ました。


嬉しいことにここでは、二人の子供を授かることなどもあって「出稼ぎ」を決意し、1966年には神戸に出てまいりました。ここでは、賀川豊彦の息吹に触れつつ、新たに「労働牧師」として生きる夢を宿すことになります。そして牧師試験をへて、さらに新たな実験へと自ら前進していくところまでを第2章で少しく触れてみました。


こうして愈々1968年4月より、当時まだ「未解放部落・番町」などと公然と呼ばれていた神戸の下町の住民として、6畳一間の「文化住宅」を借りて生活を開始し、仕事場もゴム工場の雑役を見つけて、新しい生活がスタートしたのでした。


牧師夫婦だけで、信徒の方はひとりもないという、世にも珍しい、世界でも類のない公認の「伝道所」が、「番町出合いの家」という名前で誕生しました。


今回から始まる第2部は、その最初期のドキュメントです。
ここに掲載するものは、すべていちど印刷して、友人たちに公開したものですが、特にこの第3章の「日録・解放」は、どうも余分な熱気がこもっていて、いま改めてアップするのは、実はちょっと躊躇いたします。しかし、そういう時も私にはあったことを隠さないほうが正直でよいのでは、と考えて思い切ってそのまま、予定通り続けることにしました

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本文に進む前に、ここで当時の写真を、数枚入れて置きます。


まず、当時のまちを写した写真です。こうした風景はもちろん珍しいものではありませんが、共同水道や共同便所といった、劣悪な住環境は、都市のど真ん中に改善されないまま放置された状態でした。これらをすべてクリアランスして、新しいまちへと作り直していくことが、大きな課題でもありました。





次は、労働現場となった私のゴム工場の内部です。ゴム工場といっても一様ではなく、数多くの分業で成り立っていて、私の見つけた職場は、ゴムの原料をラバーに仕上げる「ロール場」と言われるところで、最初はもちろん雑役の仕事です。





そしてもう一枚は、仕事着のまま妻子と共に写した1枚です。





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          第2部 新しい生活の中から


           第3章 働くこと・生きること



            『日録・解放』1967・12〜1968・5


             はじめのことば 解放!


1968年8月2日、金曜日。午前中の労働を終え、弁当を腹にいれ、心身ともに落ち着いた、昼休みの貴重なときである。


昼休みは、友だちと話し込んだり、将棋をさしたり、昼寝をしたりして様々であるが、ぼくは殆ど本を読んだり、思い浮かんだことを書き留めたりするために用いることにしている。


ある日「身体は精神のため、精神は身体のために存在している。身体と精神はひとつである」とメモしていたが、人間サマの生活は、快調・不調の交互の継続である、と言えるようである。


今日は快調である。きつい仕事でシャツは汗でぐっしょりなのだが、これがまた心地よい。精神と身体にハリが感じられる。こんなときは、疲れはない!


ペンをもつこの指先も、あふれ出る何かを覚える。快調なとき、ぼくは自分の指先や手のひらを動かしてみればすぐ分かる。いのちが満ち満ちていて、それがそのまま指先に現れるからである。


さて、今晩から寸暇を惜しんで取り掛かろうとしている、この日録の「はじめのことば」を書き留めておこう。


まず、日録の名前であるが、既に一ヵ月ほど前から、名前だけはできていた。名付けて『解放』である。


4ヵ月間の「未解放部落・番町」での生活のなかから、自覚的につかみ取った言葉、それが『解放』なのだ。


ベルジャエフの『真理とは何か』や『奴隷と自由』は強い励ましになった。「部落」およびゴム産業の現状も、深い問題意識を呼び覚ましてくれた。


ぼくのこれまでの生活のなかには欠落していた言葉、それが『解放』であったのだ。


あらためて個人的にも社会的にも、旧いわれから、そして形骸化した諸伝統から解放されて、自立した新しいわれ、解放されたわれを、つねに探求していくことの悦びを知ったのである。


『解放』 この言葉によって新しく響いてくる声を洞見しながら歩まねばならない。


当然と言えば当然かもしれないが、既存の制度的キリスト教用語のなかには『解放』という言語は未発見のままである。


キリスト教の「基本語」のひとつだとぼくは確信するのだが、あの一万円ほどもする『基督教大事典』のなかにも、この言葉は載らないのである。


ではこんにちの思想界においてはどうなのであろうか。浅学のせいか、それもあまりお目にかかることはないのである。


先年、創文社で刊行された『新倫理辞典』のなかにもないのであるが、この言葉は、思想の「基本語」ではないのだろうか。


一ヶ月近く前、藤田省三著『維新の精神』を再読したのだが、そこには「解放の精神」が行間に強く現われていて感動を新たにした。


さらに先日は、岡村明彦・むのたけじ著『一九六八年』を読み、同様の感動を覚えた。いま、キング牧師の『自由への大いなる歩み』を読み返しながら、新鮮な教示を受けている。


こうして考えてみると、いわゆる「キリスト教界」といい「思想界」といい、「人間の基本語」を見落として平気な一群とは別に、『解放(のことば)』――言語と事実とはひとつなのだ――を「人間の基本語」として回復させるために生きている一群が存在しているのである。


例示するまでもなく、ベトナム民族解放! アメリカ黒人解放! 沖縄解放! 労働者解放! 部落解放! これらの「人間解放」のいぶきは、全世界的・宇宙的広がりと深さをもって、すでに燃え続けているのである。


真実の思想は、解放の思想である。真実の宗教は、解放の宗教である。真実の人間は、解放の人間である。


解放は闘いのなかでの出来事である。偽りの歴史への闘い! 偽りの現実への直面! その闘いへと突き動かす、正気の自己への立ち返り! 旧いわれから新しいわれへ! この展開をこそ、切実に求めているのである。


核時代における宗教者・思想家・教育者・この「ひとりの人間」の役割は、誠に重大である。


歴史というものは、偽りの歴史――これは何と言おうか、成り行きとでも言えるもの――と、真実の歴史――これは成り行きに対し、真実の基底から抵抗する解放の闘いの歴史――との闘争で織り成される、とぼくは考えている。


偽りの歴史に乗っかって生き延び、その歴史を温存し助長するような役割しか果たして来なかった諸思想・諸宗教・諸人間は、なにぶん虚偽に依存している存在であるゆえに、必ず真実の歴史の舞台から見捨てられてしまうのである。いな、すでにとっくの昔から見捨てられているのである。


解放の闘いは、歴史をつくる生活者の闘いである。


イヤハヤ、休憩時間も残り少なくなってきた。解放の思想・解放の宗教・解放の人間の探求は、日ごとに一歩一歩続けられる。日々、学び取ったものを走り書きする。


この日録は、人に見せるためにつくるのではない。自己耕作の結果、産み落とされる子どもである。
だからこれを素材として自分自身のために用いる。内容としては、毎日のメモを収める。


4ヶ月前のメモを、今こうしてガリ版採録すれば、当然そこに「旧いわれ」を感じる。時を覚える。こうした日々の継続が重要なのである。


そしてこれは、友だちに、友情のしるしとしてお送りするため、数10部つくりたい。ぼくの切なる願いは、このまちの解放運動の担い手たち自らが共同して、「生きた解放の言葉」を手作りの文集にして刊行していくことである。そのためのウオームアップを、こうしてやり始めるという次第である。要は「解放」のためなのである。


さあ、午後の仕事である。これからまた、全身これ汗!


                         工場の着替え室にて