『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(27)第1部「助走・探求の日々」第2章「賀川豊彦の息吹を受けて」第3節「牧師労働ゼミナール・準備運動」

この「第3節 牧師労働ゼミナール・準備運動」では、第2回目のゼミ報告に寄稿したものを収めています。すでにこのときは、「労働牧師」としてあゆみ出す夢が宿り、新しい道を踏み出す直前のものです。


「神戸イエス団教会」での2年間は、牧師試験の受験準備の時でもありましたが、それよりも「牧師として生きる」あり方を、自分自身の事として探り当てる大切な時でもありました。


手元には、1967年1月22日〜28日まで取り組まれた『牧師労働ゼミ報告書』が遺されています。そしてその時の数枚の写真も。先輩牧師の方々と共に、得難い共同生活の中での労働体験でした。












この『報告書』を読み直してみますと、このときすでい、私はつぎのようなことを書いていました。。


「・・・僕は今、密かに感じているのだが、1週間の修行を更に延長して、何の肩書きもないひとりの働き人として修行に出ること、これは僕に是非必要なことだと思っている。否これは、単に個人的な修行ということだけではなく、僕の働き場は、そんなところに備えられているのではないか、という思いに導かれるのである。・・・」


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この牧師労働ゼミナールは、翌年(1968年)のほぼ同じ時期(1月21日〜27日)にも開催されました。これには新たに、大阪の牧師仲間も加わり、規模も少し多くなり、女性牧師もふたり参加されています。


このときの写真は、報告書の中に組み込まれていますが、ここには、『第2回牧師労働ゼミ報告書』の参加した牧師たちの写真を収めた表紙のみ、掲載して置きます。




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では、今回の第3節を、掲載いたします。



      第3節 牧師労働ゼミナール・準備運動
 

わたしにとって、今年(1968年)の牧師労働ゼミナールは、新しい生活を開始する前のいわば「準備運動」だった。昨年すでにその夢は宿り、志は固まっていたのであるが、今回はそれが確定的になり、その助走が始まっている、そんな感じである。


 新鮮で親密な共同生活をふたたび経験し、そのなかでも、毎夜の聖書の共同研究―これはほかならぬテーマの展開であるが―を軸にして、さらにわれわれの共同の課題を受け取りなおすことが出来た。


すなわち、「わたしについて来たいと思うなら―修行・卑下・社会性」にすでに明確に示されているように、肉体労働をともなう共同生活のなかで、あらためてイエスのことばと行動を学びなおし、そこからわれわれ自身の「人間となる・牧師となる」ことの内容およびその方向性、加えてさらに現実の教会のあるべき形への新しい希望など「真剣にそして自由」に探ねあうことが出来た。


とくに今回のゼミナールには、生活を共にしていただいた中森幾之進牧師のことばと生活は、われわれの試みの響きを、いっそう深く広いものにしていただけたと思う。


それぞれの体得したポイントは異なるけれども、わたし自身の率直な感想をここに記して、今後に役立てたいと思う。


先ずひとつは、こんにち「牧師となる」ということは一体どういうことなのだろうか。これは、この期間中切実に問われつづけたことであり、いっそう本質的かつ実存的な問いへと深まっていった。


自分の足元、生きている現場に即して探求すべき事柄となっていった。


これまで短い期間、しかも不徹底な探求の歩みであるが、教職という任にあって、教会の使命とそれを阻害する問題性のありかを探ってきた。


神戸に来る前の最初の任地は、滋賀県の農村にある小さな教会であった。
そのときの最大の関心は、「礼拝」および「説教」のあり方の問題であった。小冊子「現代における教会の革新―特に礼拝のあり方に関連して」はその拙いレポートである。


われわれは、これらの課題をさらに一歩すすめる場合、自らの生き方のひずみを立て直すという、もっとも基本的な場所・出発点に引き戻されることになった。


いまこの出発点から新しく生きはじめるところに、思いもかけない不思議な道が開けてくることを、発見したように思うのである。


つまり、礼拝〔説教〕が新しくされるためには、それに参画するわれわれ自身が新しくされなければならない。このことがまず先行することを知ったのである。


そしてふたつには、「信徒と教職」の機能的な分有論についてのことである。
一日の労働をおえてドヤ〔尼崎教会〕に帰り、近くの銭湯で、はだか談義をよくやった。そのときの話題のひとつに、「言葉と行為の統一と相即性―言行一致の重要性」ということがあった。


教職にあるものは、行為をともなわない言葉によって、信徒においては言葉のともなわない行為によって、相互に阻害されており、共に生活の生きた力と智慧と信仰の把握が十分に開拓されにくい、という問題意識であった。


たしかに普通、教職は文字どおり「教える」職にあり、信徒はそれを聴いて生きるものと考えられている。


現状の機能を前提にして考えればそういうものだということになるが、教職・信徒ともに、言葉と行為が統一的に相即して生活するという一事が、共通の根本的な課題となっているということである。


教職も、信徒もともに「ひとりの生活者として生きる」というところに重心を構えて生きはじめるとき、対信徒・対教職といった疎外現象は解決され、新たなつながりがそこに生起してくることを、深く感じるのである。


この新しい歩みをとおして、われわれの共通の課題を深めていくとき、思いがけない展開が始まっていくことを、いま予感するのである。


聖書の学び方、礼拝の仕方、教会というもののとらえ方など、そのほか一切のものへの、生きた感覚と知性が回復されていくように思えてならない。


われわれの関心のプロセスを今ひるがえってみると、教会論→礼拝論→信徒論〔教職論〕という方向をたどり、キリスト論(イエス・キリスト論)→に裏打ちされて、新しい信徒論〔教職論〕→礼拝論→教会論へとUターンをなしつつある、という思いがしている。


以上、いま「準備運動」をしながら考えていることを記して「ゼミナール体験記」とする。

(1968年1月21〜27日:第2回牧師労働ゼミナール報告書〔兵庫教区職域伝道委員会主催〕「ついて来たいと思うなら―修行・卑下・社会性」より)