『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(26)第1部「助走・探求の日々」第2章「賀川豊彦の息吹を受けて」第2節「口を閉じる」

前回に続いて、1966年4月から1968年3月までの「神戸イエス団教会時代」の、短い文章「口を閉じる」を、ここに掲載して置きます。


その前に、ここでも、当時の写真を4枚ほどアップいたします。


一枚目は、神戸イエス団教会の教会学校教師たちの教師研修会。





2枚目は、神戸イエス団教会の納骨堂が完成し「献堂記念礼拝」(1967年8月13日)が行われたときの写真。





3枚目は、神戸教会で執り行われた「按手礼式」の後で。(1967年11月27日)





最後に、4枚目は、日本基督教団兵庫教区の教師研修会に参加した牧師たち。






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          第2節 口を閉じる

      (「主と共に」22号、1968年2月20日)


人はいたずらに口を開いてはならない。口を開くに時があり、口を閉じるに時がある。この時をわきまえなければ、人にたいして害を及ぼすのみならず、自己耕作という、もっとも大切なものが、不徹底に終わることになる。


省みるとわたしは、なんとたびたびこの時を知らなかったことか、その無知を恥じざるを得ない。


教師という立場に甘えて、口を開くべき「あふれのことば」が芽生えてもいないのに、不消化のまま口を開くといった無様なことも、たびたびであった。


近年はこの病状の自己診断も少しはできるようになり、内からのあふれた感動のないことばは、決して語るまいと心に決めていたので、わたし自身はそう苦にならずに、むしろ楽しんで口を開いているように思えて、喜んでいる。


しかし、新しい出発をはじめようとするこの時にあたり、「口を閉じる」ことを自分への戒めとして命ずべきだと考えるようになった。


人のことばは、たとえ一言であっても、その人の生活経験をへた感動のことばとして表現されるとき、聞く人の心を打つものである。


ことばは生活であり、生活経験というものが大切となる。生活が深まらないかぎり、その人のことばは抽象的となり、空を飛ぶ。


生活が深まるために、「口を閉じる」ことが大切であるように思えてならないのである。そうすればおのずと、日常生活のことばが創造的な機能をはたしてくるに違いない。


とくに聖書を学ぶ上において、だれかに教えるためではなく、自らの生活のなかで学ぶことを目指したいのである。生活のなかで聖書を学び、聖書を学んで生活する、このことを貫くものでありたいと願っている。


わたしは牧師になるために、ある小企業の一労働者として再出発しようとしている。であるが、ただいまそれを公言することを慎みたいと、心に命じている。またこのことは、他人に見せるものに供したくも無く、ショウにもしたくない。


ただわたしのなすべきことは、黙々とわたしに備えられた道に生き、働き、経験を深め、それを自分自身のために、ことばをもって整理し、表現して、自己耕作に集中することなのである。


多分、日ごとの経験を重ねるなかに、何らかの形で、親しい友達などへ伝えたくなるのではないかと予想するのであるが、その場合も、親しい友だちへの打ち明け話ということを越えて、広言はすまいと考えている。


これもまた、表現の倫理とでもいえるもので、自分のなしていること、またなそうとすることを、だれにでも表明してよいというものではないということである。


人の評価とか、批判などを気にすることなく、なすべきことに専念集中する精神が大切である。秘め事をして、他人に言わぬということも、マンザラ捨てたものでもないように思うのである。


一見それは、閉鎖的な傾向にすすむかに見えるかも知れないが、わたしの真意はまったくその逆であって、開かれた心であるための禁欲のようなものである。


口を開くために、口を閉じるのである。口の開きっぱなしも、閉じっぱなしも、わたしの好むところではない。


禅師・達磨大師は、七年間弧絶して道を参究したのであるが、わたしはあの参究心に、いたく感動するのである。