『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』第1部「助走。探求の日々」第2章「賀川豊彦の息吹きを受けて」第1節「待ち望む」

前回までの第1章では、最初に働き場所となった滋賀県近江八幡市の郊外の小さな家の教会における生活の記録の一部を綴ってきました。


数多くの記すべきことはありますが、とりあえず二つのドキュメントをあげて、若き日の写真なども添えてみました。


1964年の春、卒業と時を同じくして、私たちの結婚家庭がスタートしました。そして嬉しいことに、翌年の春と翌々年(1968年)の春と続けて、ふたりの子どもを授かることになりました。


その間、教会の働きのほかに、近江兄弟社学園で聖書科の授業を受け持ったり、教会のなかで塾のようなことを試みたりいたしましたが、主として生活上の困難ということから、一時「出稼ぎ」に出る必要が起こり、その「出稼ぎの場所」として紹介されたのが、奇しくも私たちの第2の赴任先となった「神戸イエス団教会」であったのです。


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ここから、第1部「助走・探求の日々」の第2章「賀川豊彦の息吹を受けて」へと進んでまいります。


「神戸イエス団教会」の時代は、わずかまる2年間という短い期間でしたが、ここでの「探求の日々」は、実に濃密な日々でした。それは、すぐその後に始まる私たちの「新しい生活」の方向性を決定づける日々でもありました。


この章で取り出すドキュメントはほんのわずかですので、せめて当時の写真を数枚ずつアップして、進めてみます。


まず1枚目は、神戸イエス団で古い歴史をもつ「古着市」の写真です。
1963年に完成した賀川記念館でも、もちろん「古着市」は継続して開催されていました。


多くの方々が「古着」を提供してくださり、ご近所の皆さんには大変喜ばれ、教会の人たちも総出で頑張って、毎年盛況を極めておりました。





賀川記念館のなかには、神戸イエス団教会と友愛幼児園とが同居していて、私たちの住まいも記念館の中にありました。新しい記念館には、若い優秀なスタッフが揃い、友愛幼児園の先生方もみな素敵な方達で・・・。その当時の写真を、下に2枚入れます。このころの写真は白黒で、少しずつカラーに変わりころです。テレビはまだ白黒デスタ、多分。







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          第2章 賀川豊彦の息吹を受けて
        
              1966〜1968


            第1節 待ち望む

           (「主と共に」20号、1967年12月20日)


今年〔1967年〕の夏、牧師試験の論文「現代と希望」を作成して、その一部を「主と共に」(国府忠信氏主筆)に寄稿させていただいた。


その中で、こんにちの時代が直面し超克が待たれている「神の希望」の内容とその根拠をたずねてみた。今そのこととも関連した「待ち望む」ということを考えてみる。


実はこの一事「待ち望む」ことが、われわれの生活にどれほどの張りをもたらしていることか、そこには、われわれの想像をこえた力がひそんでいることを知るのである。


人間の基本語のひとつに何を上げるかと問われるならば、迷うことなくわたしは、率直に「待ち望む」ことをあげたいと思う。


われわれキリスト者の称名すべき「主の祈り」は、「待ち望む」ことを教えている。


祈りは「待ち望む」ことであり、生活は祈りである。生活は「待ち望む」ことで貫かれるとき、真実の生活となる。


抵抗が実をむすび、平和が到来するその日を「待ち望む」、沖縄の祖国復帰を「待ち望む」、貧困と差別が根絶され「人間みな兄弟」の具現する、その日を「待ち望む」。


ただ無思慮に、受身的に待ち望むのでなく、すでにその日を先どりしながら、その約束を信じ、目を覚まして積極的に「待ち望む」。これが、われわれの祈りである。


われわれの歴史は神の歴史である。神の歴史における審判と完成は、まったく具体的現実的である。歴史への愛、社会への愛、人への愛を回復しなければならない。


歴史を神の歴史として受け取りなおすとき、「神を待ち望む」おもいが息づいてくる。神を主語として自己を述語とする智慧が宿る。


その人は、神を待ち望みつつ生き、神を望みつつ死んでいく。これが「幸いなるもの」の生と死である。
 

エスの生涯は、人の歩む道をあらわす原型である。「人の子」の道は、「人」の道である。あの創造的言動・しもべとしての仕え人、見捨てられたあの人の生涯は、今を生きるものたちを招く確かな道である。それは、荷の軽い、歩みやすい道である。
 

「神を待ち望む」ことは、宗教的熱狂とは無縁である。
エスは一無位の大工のセガレであった。だれでも誰々のセガレであるのとまったく同じに、「その頭にはかむりもなく、その衣には飾りもなく、貧しく低き大工として、主は若き日を過ぎたまえり」〔賛美歌122番〕とあるように。


「人の子」イエスのたどられた道は、神を主語とした「待ち望む」道であった。
 「すべて主を待ち望む者はさいわいである」(イザヤ30・18)
 

幸いなる人生が待っている。神はわれわれを忍耐をもって待っておられる。


ある日、わたしは「主を待ち望むことは、神の深い忍耐に応えることだ」と記していた。


待ち給う主に出合い、新しい道が開けていく。楽しみなことである。