『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(23)第1部「助走。探求の日々」第1章「結婚家庭と小さな出合いの家」第2節「現代における教会の革新」(続き)

このところはじめに、「仁保・野洲」時代に撮されていた写真を少し掲載しています。


今回も、当時一緒に学び合っていた高校生達のものを、収めて置きます。









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         第2節 現代における教会の革新

         
             特に「礼拝のあり方」に関連して


   (前回の続き)

またわれわれは、この「話し合い」のなかで、みんなが同じ平面に立っており、神のほかだれ一人として絶対的存在はなく、教職も信徒も求道者も、あなたもわたしも、まったく同じ人間なのだという認識を新たにする。


われわれが強く感じていることは、「話してみれば、特にえらい人も、特に駄目な人もいない」ということである。


教職者をいちだん高いところに祭り上げていたという素朴な感情のベールは容赦なく剥ぎ取られる。しかし、真に主体的に生きる決意をした人間は、もはやそのことを恐れないであろう。


かかる人間平等の精神は、「話し合い」のなかにこそ自覚されるのであって、封建的身分関係が、現代においても温存している日本の教会のなかで、われわれの試みが何らかの意味を有すると信ずるひとつの点である。


「発題」によってはじまった「話し合い」が、必ずしも適切な結論にまでもたらされるとは限らない。むしろ問題が広められ深められたままで終わってしまうことのほうが多い。


しかし、このことこそわれわれにとってふさわしいものである。
われわれは新しく生きんとする決意とともに、新たな問題を携えて「出合いの家」を散じていく。


ある主婦は言った。「毎日の雑用の中でアクセク働きながらも、日曜日にみんなと話し合ったことを思い返しては、あれこれとひとりで考える癖がつきました」と。


さらに、われわれの願いは、この「話し合い」が地域の人びとへと開放され、提供されることである。そのとき「主日の出合い」〔必ずしも主日でなくてもよいのだが〕は文字どおり「みんなの集い」「みんなの出合い」となるであろう。


またそのとき、現在の小さなメンバーのそれぞれは、「話し合い」の司会者あるいは助言者・接待役というよき「御言葉の奉仕者」として、人びとに仕えることができるであろう。これはけっして夢ではないであろう。


野洲も仁保も日本各地の農村地帯と同様に急激に変化しつつあるとはいえ、人びとの生活と精神の奥深くには、いまだ信じられぬくらいの前近代的封建的な風習やものの考え方が根強く生きている。


今まで「教会」はこうした現実に目を向けなかった。「教会」は世俗なる地域社会から区別された「聖なる領域」に留まって、ただ「魂の救い」にのみ専心してきた。


しかしわれわれは、「出合いの家」がこの地域にあることの意義は、地域の問題をともに担うこと、なかんずく封建的・非民主的な地域のガンと闘うことのなかにこそあると信じるのである。


そしてかかる闘いが、「主日の出合い」のなかですでに、ささやかではあるが開始されているとの確信をもつのである。


真の神賛美は、われわれが共に課題にとりくんでいき、かつ苦しむことの中で、おのずから沸きいずるものではなかろうか。


おのずから神の聖名を褒め称えずに入られないような、生き生きした「出合い」のときを、こんごも協力し合ってつくり出していきたいと思う。