『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(21)第1部「助走・探求の日々」第1章「結婚家庭と小さな家の教会」第2節「現代における教会の革新」(続き)

若き日のドキュメントをここに掲載しながら、毎回むかしの写真を収めていますが、やはり京都での同志社大学神学部での写真も挟んでおきたくなりました。


そこで今回は、1958年4月に大学に入学したあと、創立者新島襄のお墓の墓参があって、皆まだ真面目に学生服姿で収まっているクラスメイトの写真と、もう1枚、6年間学んだ同志社神学館(今は記念館となっている)をバックに、土居真俊教授と共に写したもの(1958年7月)と、2枚を入れます。







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          第2節 現代における教会の革新


             特に「礼拝のあり方」に関連して


     (2の続き)

それゆえ今やわれわれは「説教」〔神の言葉〕を再発見したのである。
神の行為〔言葉〕は、非日常的・彼岸的・神秘的なものに留まってはならないのであって、それは日常的・此岸的・現実的な力をもつ具体的な出来事である。かかる意味から、たとえ「神の言葉」が「宣言」または「宣教」という性格をもつにせよ、それは具体的なここの人格にむかっての「実存的問いかけ」すなわち「発題」として語りかけられ問いかけられるのであると理解する。


換言すれば、「説教」は「発題」であって「問題提起」である。
その「発題」から「話し合い」へ発展する。「話し合い」のための「発題」である。いままでの「説教をよく聞いて信仰の糧とし生活の指針とする」ということだけでは「説教」への参与は不十分であるといわねばならない。


「発題者」はたんに教職のみに留まらず、あらゆる人がそこに参加し、自らのものにすることが望ましい。


教職は「話し合い」のなかで本当に意味のあるコメントのできるように助言者の位置にあることが大切である。これこそ「御言葉の奉仕者」であるといえよう。


このことは、宗教改革の貴重な遺産である万人祭司の建前から当然のことといわねばならない。過去の「礼拝」は説教中心であってほかの者は受動的な立場に甘んじていたが、新しく形成すべき教会〔出合いの家〕の「主日の出合い」においては、教職ひとりだけでなく、全参席者のそれぞれが立役者である。


有能なタレントがどれほどあっても用いられなかった教会から、ユニークな個人の能力が発見され、最大限に発揮される教会へ革新される。


ともすれば教会は、信徒の存在を個人と個性を無視したたんなる頭数の多さを問う材料としか見ないという誘惑が強かったといえる。


しかし、新しく生まれるべき教会〔出合いの家〕は、主体的な責任を自覚した自立的な人間が形成されていくのであり、そこに生まれる「交わり」こそ、教会の真の姿であり、教会の本質的な中核である。


この貴重な「出合い」は、日常生活の充実となり、あらゆる意味での人間の生きる作業となっていくのである。「ここにキリスト者が互いに日々に新たに生きるものとして、共同の交わりのなかで支えられ、愛のなかに修練しあう」 ことができるのである。


以上のように、新しく形成さるべき教会の姿へ革新されるとき、教職の職務も明確になるのである。


教職は全生活をその「出合いの家」によって支えられ、その任務に専念し、専門的に働くワーカーであるといえよう。教職は妙なところでありもしない権威を振りかざしてはならないし、信徒もまた教職のうちに人間性をこえた超人間的(神的)なものを求めてはならない。


教職はリアルな人間であって、一生「人間であること」を貫かんとする(神を神とする)ことが重要である。信徒は教職の言葉(たとえ講壇から語られるものであっても)批判的に理解する必要があるし、教職もまた「話し合い」をとおして、信徒・求道者の対立的な考えの持ち主の率直な意見を聞き、そこから学ぶ用意がなければならないのである。まさしくこの「出合い」において、福音のもっとも基本的な事柄が生起するのである。


  (次回から3へ続く)