『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(17)第1部「助走・探求の日々」第1章「結婚家庭と小さな家の教会」第2節「現代における教会の革新」(1の続き)

今回もはじめに、卒業後の最初の任地となった琵琶湖畔の近江八幡市郊外にある仁保教会と隣町の野洲町にあった「野洲伝道所」のころの写真を1枚取り出して掲載します。


今回のものは、正式に赴任する前の、しかも神学部の3回生の時(1961年8月)に「夏期実習」として初めて「仁保教会」に派遣された時の写真がありましたので、それを収めて置きます。50年も前のものですね。





早速、前回の続きを収めます。きれぎれで、どうも面白さがなくなりますが、ブログでの記録ですので、やむを得ませんね。



         第2節 現代における教会の革新


             特に「礼拝の在り方」に関連して


(1の続き)


    b いわゆる「説教」のみという形式は時代錯誤であるということ


礼拝は、神の行為であって、神の言葉が中心となるべきことは、われわれの貴重な発見であった。しかし、特定の人間が特別に宣教者として立てられ、その者〔説教者〕をとおして「説教」が一方的になされるということは、はたして「神の言葉」の正しい理解の上に立っているといえるのであろうか? 否、説教が高踏的・独断的・断言的になされるかぎり、われわれはそれを「神の言葉」のシンボルと考えることはできない。


当然ここで、「説教者は唯一方的に語っているのではない、そこには会衆とのまた神との無言の対話がある」と反論される方があるであろう。しかし、「コミュニケーション」という立場からも再検討を要するものであるといわねばならない。説教は「演説」でも「講演」でも「講義」でもないことはもちろんであるが、「説教という形式」そのものは「演説」や「講演」となんら変わるところはなく、また「演説」や「講義」に陥る危険性をはらみ、事実かかる危険に陥ってきたのではないか?
 

われわれは、「説教という形式」は現代的でなく、過去に時代のものであって、これに固執することは時代錯誤であるといわざるを得ない。


教会が、その意図に反して、非主体的かつ無責任な傍観者的な人間を形成してきているのは、かかるpassiveな礼拝形式、なかんずくこの「承る」式の「説教」にその原因があるのではなかろうか?
 

またこの説教の問題を「共同体」という視点から、次のように批判することができる。


われわれの共同体が、世のすべての人びとと共に、真に自立的な社会(世界)の建設を指向するのであれば、現在の教会のなかには、およそ人びとの「無用のつまずき」である前近代的な人間関係が生きており、われわれの信仰生活の中心である礼拝においてもっとも顕著であるという事実に、何をおいても目を向けなければならないはずである。


すなわち、ここには真に平等な立場で共に生きる姿勢〔全人格的な交わりの姿〕が無いのである。主体的自由人の集いの共同体、キリストにある「真人の共同体」において、はたして現在のごとき説教形式〔礼拝形式〕が正当なものであろうか。


ノローグからダイアローグへの移行こそ、あるべき姿ではないであろうか。根本的に「説教のあり方」を問いなおし、真摯な工夫が要求されていると考える。


(つづく)