『在家労働牧師を目指してー「番町出合いの家」の記録』(8)序章「よろこびのうちに生きる」第5節「『私たちの結婚』を編んで」

今回の序章「よろこびのうちに生きる」第4節で取り上げている『私たちの結婚ー部落差別を乗り越えて』に関しては、すでにこのブログの8月16日から24日までのところで紹介が終わっていますので、ここでは参考までに、本書の表紙だけをお示しして置きます。




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     在家牧師をめざしてー「番町出合いの家」の記録(8)



       序章 よろこびのうちに生きる



        第5節 『私たちの結婚』を編んで



しかし、この運動の初発性がそのまま無批判に是認されてよいと言うのではない。ここにもなお清算されるべき近代主義《Modernisumus》を同伴させていたのであり、その後の戦争を挟んでの試行錯誤と悪戦苦闘の歴史のもつ問題性は、今日もわれわれに引き継がれているといわねばならない。


部落解放理論の探求においても、また具体的な実践・運動方法においても、これまで貴重な遺産を遺しているが,われわれはこれをさらに厳密に,根源的基点から批判的に検討・吟味していく必要があるのである。


部落解放運動は、たんなる内的な被差別感情や、ふっきれない怨念を基礎とすることはできない。とりわけ部落解放理論の基礎視座は、これらを超克する積極的視点が回復されなければならないのである。(拙稿「部落解放理論とは何か》『RADIX』第八号所収」


昭和25年3月号の雑誌『部落問題』は「部落と結婚」を特集し、次のような「あとがき」を載せていた。


「『わが青春に悔いなき』人生を,部落の若人達は幾人ほほえんでいるでしょうか。因習を超えて結ばれた愛が、生木を裂くが如く破れんとしている事実、わたしたちは余りの多く知っています。
しかしながら、冷たい長い冬の、荊の道を辿りながら、堅く結ばれた愛を見事にみのらせた美しい事例を,今は,二つ三つと数えることができるようになりました。」


このように言われてから、はや四半世紀が過ぎた。その間、部落問題をめぐる状況も大きく変化し、「愛を見事にみのらせた美しい事例」も、今ではけっして珍しいことではないのである。


最近《1975年》、部落問題との関連の仕事のひとつとして、差別を乗り越えて結婚を実現させた18組の夫妻を訪ね,その打ち明け話をきく機会を得た。そして、そのなかの13組の証言を収録・編集し、『私たちの結婚―部落差別を乗り越えて』〔兵庫部落問題研究所、1976年〕として刊行した。


この問題への従来の接近方法は、差別の厚い壁ゆえに結婚が実らず、時には若い生命さえ捨てざるをえなかった諸事例に焦点をあて、今日における部落差別の厳しさを告発することに主眼がおかれてきた。


しかし、今回のわれわれの方法は、人間としてのもっとも基本的な関係の成立のひとつである「結婚の絆」は、まったくの虚偽形態に過ぎない部落差別などによって、断じて踏みにじられてはならないことをはっきり押えた上で、直面する一つ一つの壁を、ていねいに乗り越えてゆく、若者たちの力強い歩みを、より前面に証示することにあった。


事実,現代の若者たちは、部落差別のからくりを歴史的・社会構造的にも正しく見抜いている場合が多い。そして、不当な壁に直面すればするほど、逆にふたりの「愛の絆」がいっそう明らかになり、結婚の成立が,ただ単にふたりの思いつきや偶然によるのではなく、隠れた固い絆によることが、あらためて了解されてくる。それと同時に他方,結婚成立の積極的な根拠が正しく受け入れられることが、部落差別の虚偽性をもっとも根源的な基点から見破る、ひとつの大きな鍵ともなるのである。


この仕事のなかで、われわれに強い印象をとどめた点は、新しい友情の世界の息づきである。壁を乗り越えるために、苦しみを共にする若い男女を支援し、祝福し、励ます友情の輪の美しさである。ふたりの愛とこれらの友情の結晶が、堅く閉ざしていた心の扉を開かせることにもなり、深い反省のうちに、真実の親子・兄弟関係が回復されてゆくのである。