『在家労働牧師を目指して―「番町出合いの家」の記録』(7)序章「よろこびのうちに生きる」第4節「部落解放理論の基礎視座」

今回は、標記の通り、序章「よろこびのうちに生きる」第4節「部落解放理論の基礎視座」を掲載します。

ここに取り上げている「全国水平社」の創立発起者のひとり阪本清一郎さんと西光万吉さんら4人で写した写真が手元にありますので、1枚これをアップして置きます。前列左が阪本さん、右が西光さんです。





なお、別のブログ「滝沢克己―新しい対話的世界」でいま、1978年に九州大学新聞の依頼で寄稿した全国水平社の「創立宣言の批判的検討」を掲載し始めていますが、いまここに掲載しているものは1977年に書き上げたもので、批判的視点は出ていません。

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          序章 よろこびのうちに生きる



          4 部落解放理論の基礎視座


労働の場をゴム工場の雑役工に、居住の場をいわゆる未解放部落に定めたのであるが、とくにこの「部落解放」の課題は、一住民・一生活者としての不可避的なとりくみとして関わることとなる。


周知のとおり、部落解放の全国的な組織的運動は、大正11年のあの「全国水平社」の創立を起点としている。この運動の基調となるものは、同年2月、水平社創立発起者のひとり西光万吉の起草といわれる、次の呼びかけ趣意書『よき日の為に』に窺うことができる。


「人間は元来勦はる可きものじゃなく尊敬す可きもんだ――哀れっぽい事を云って人間を安っぽくしちゃいけねぇ。〔中略〕吾々の運命は生きねばならぬ運命だ。親鸞の弟子たる宗教家?によって誤られたる運命の凝視、あるいは諦観は、吾々親鸞の同行によって正されねばならない。即ち、それは吾々が悲嘆と苦悩に疲れ果てて茫然としてゐる事ではなく――終わりまで待つものは救わるべし――と云ったナザレのイエスの心もちに生きる事だ。〔中略〕吾々は大胆に前を見る。そこにはもうゴルゴンの影もない。火と水と二河のむこうによき日が照りかがやいている。そしてそこへ吾等の足下から素晴らしい道が通じている。〔中略〕吾等の前に無碍道がある。〔中略〕起きて見ろ――夜明けだ。吾々は長い夜の憤怒と悲嘆と怨恨と呪詛とやがて茫然の悪夢を払ひのけて新しい血に甦へらねばならぬ。」


ここには、確かに足下の無碍道への基本感覚とその息づきを了解できる。日本における最初に人権宣言とも言われる「水平社創立宣言」〔西光万吉起草〕も、人間であることを極度に冒涜され,心身の苦痛をまぬがれ得ない境遇の只中で、「なお誇り得る人間の血は、涸れずにあった」ことへの驚きと感謝をこめて、新しくとらえなおされた「人間の誇り」を高調している。人間の恣意や境遇によっては微動だにしない固い基盤に撞着し、この支えと励ましに照応して、ただちに立ち上がり得る実在根拠・可能根拠が、ここには気付かれているのである。