「雲の柱」昭和14年7月号(第18巻第7号)への寄稿分です。 本邦労働運動と基督教(6) 村島帰之 高山氏神戸を去る 大正六年の友愛會神戸聯合會は、熱心な基督教信者である高山豊三氏の指導によって漸次内容の充実を見た。何しろ、神戸は川崎、三菱両造船所…
「雲の柱」昭和14年6月号(第18巻第6号)への寄稿分です。 本邦労働運動と基督教(5) 村島帰之 大正三〜六年の友愛會 大正六年五月、アメリカから無事帰朝した賀川豊彦氏はその足で二年八ヶ月間留守をした神戸の貧民窟葺合新川へ這入り、再びセツラーとし…
「雲の柱」昭和14年4月号(第18巻第4号)への寄稿分です。 本邦労働運動と基督教(4) 村島帰之 ユニテリアン協會の私生児 今日でこそ日本一の労働組合として押しも押されもせぬ全日本労働總同盟ではあるが、大正元年八月一日、「友愛會」の名を以て弧々の…
「雲の柱」昭和14年3月号(第18巻第3号)への寄稿分です。 本邦労働運動と基督教(3) 村島帰之 明治末期の社會運動 明治年間の本邦労働運動は、三十三年、鉄工組合が五千四百名の労働組合員を擁してゐたのを絶頂とし、同年の治安警察法発布に件ふ弾圧から…
「雲の柱」昭和14年2月号(第18巻第2号)への寄稿分です。 大正労働運動と基督教(2) 特に賀川豊彦氏の及ぼしたる影響 村島帰之 日本工業界の黄金時代 日本の工業は、日清戦争直後において産業上の革命を経験し、日露及欧洲大戦役を転機にして一大飛躍を遂…
「雲の柱」昭和14年1月号(第18巻第1号)への寄稿分です。 本邦労働運動と基督教(1) 特に関西の組合運動に及ぼせる賀川氏の影響 村島帰之 はしがき 極めて大雑把に、今日までのわが国における無産運動の地方色を概見することが許されるなら、私は斯う言ひ…
「雲の柱」昭和11年8月号(第15巻第8号)への寄稿文です。 回顧二十年 あの頃の神戸新川 村島帰之 高山兄 賀川先生を尊敬する二十若い人々から決まったやうに私の受ける質問は、先生が新川の貧民窟の路次に住んで居られた頃の状景です。 そうでせう。先生の…
「雲の柱」昭和9年11月号(第13巻第11号)への寄稿分です。 風水害地の人間愛(2) 村島帰之 (前承) 母に比べると父は劣ります。私も父ですが――或る處では一家族がみな電桂によぢ上りました。一番先に上ったのは父親で、その次が娘さん、そして一…
「雲の柱」昭和9年11月号(第13巻第11号)への寄稿分です。 風水害地の人間愛(1) 村島帰之 大阪毎日新聞社會事業部では、風水害直後の九月三十日から大阪の水害地に五箇所の托児所を開いてゐますが、その内の一つ、大阪の南端鶴町の托児所を篤志で…
「雲の柱」昭和8年7月号(第12巻第7号)への寄稿分です。 アメリカ巡礼 アメリカよサヨナラ 村島帰之 十月廿七日 小川ホテルのパーラーで知合ひになった清水さんが、自分の自動車で桑港市中を案内してやらうといはれる。清水さんは自分のオフィスに勤め…
「雲の柱」昭和8年6月号(第12巻第6号)への寄稿分です。 アメリカ巡礼(3) サンクインテン監獄を見る 村島帰之 (前承) 食堂 食堂へ這入る。恰度正午近くで、食堂一ぱいに御馳走が並べられてあった。 「これで何人分ですか」ときくと、驚くではない…
「雲の柱」昭和8年6月号(第12巻第6号)への寄稿分です。 アメリカ巡礼(2) サンクインテン監獄を見る 村島帰之 (前承) 鉄砲持った看守 いよいよ中に這入る。と、構内は廣々としてゐて、海沿ひに花園さへ作られてある。石で畳んだ鋪道を進むと、正…
「雲の柱」昭和8年6月号(第12巻第6号)への寄稿分です。 アメリカ巡礼(1) サンクインテン監獄を見る 村島帰之 桑港マーケット街 十月二十五日 いよいよアメリカを去る日が近づいて来た。殊に、同行の賀川、小川両先生に先へ行って了はれた後の淋し…
「雲の柱」昭和8年5月号(第12巻第5号)への寄稿分です。 アメリカ巡礼(3) 羅府からサンタマリアまで 村島帰之 (前承) 高橋さんとの別れ 十五日 空気のあくまで澄んだ海辺の丘上の一夜は、迚も寝心地の善いものであった。それで八時過まで寝込んで…
「雲の柱」昭和8年5月号(第12巻第5号)への寄稿分です。 アメリカ巡礼(2) 羅府からサンタマリアまで 村島帰之 (前承) モンテベロー 夕方から約束によりモンテベローの植松三代作氏邸へ出かげる。例により、高橋常次郎氏のドライブである。 植松さ…
「雲の柱」昭和8年5月号(第12巻第5号)への寄稿分です。 アメリカ巡礼(1) 羅府からサンタマリアまで 村島帰之 羅府少年審判所 十月十三日 午後から教会聯盟社會部の斉藤さんの案内で、高橋さんや久保田さんや徳武義さんと共に、羅府の郊外にある少…
「雲の柱」昭和8年4月号(第12巻第4号)への寄稿分です。 なつかし・羅府の日本街 羅府地震の報を聞いて、なつかしき同胞の身を 案じ乍ら、思ひ出を歌ふ 村島帰之アメリカ式の長い上衣に 膝の膨れたヅボンをはいて 短い足を内股に うつむいて歩くのは誰…
「雲の柱」昭和8年3月号(第12巻第3号)への掲載分です。 アメリカ巡礼(2) ベェニスの盛り場 村島帰之 (前承) 十一日 日曜、ハリウッドの日本人独立教会へ説教を頼まれて行く。今は無牧で、東條さんたちが世話をして居られる教會だ。一時間ほど話…
「雲の柱」昭和8年3月号(第12巻第3号)への掲載分です。 アメリカ巡礼(1) ベェニスの盛り場 村島帰之 二十五年病臥の奥住夫人 南加小児院に程近い小丘の上に、奥住夫人を訪ふ。夫人は今から二十五年前、電車に轢かれ両足を失ひ、爾来、今日まで四半…
「雲の柱」昭和8年1月号(第12巻第1号)への寄稿分です。 アメリカ巡礼 羅府の日本小児園を見る 村島帰之 十月六日 午前十時、渡辺牧師が自動車で迎へに来てくれられたので、これに同乗して同氏の牧して居られる教會に行く。そして約一時間、婦人會の人…
「雲の柱」昭和7年12月号(第11巻第12号)への寄稿分です。 アメリカ巡礼(2) サンフランシスコ 村島帰之 (前承) 友遠きより来る 正午、小川ホテルに帰って、スキ焼を賀川、小川、今井、秋谷、村島の五人でする。賀川先生が煮き役だ。そこへ、ロ…
「雲の柱」昭和7年12月号(第11巻第12号)への寄稿分です。 アメリカ巡礼(1) サンフランシスコ 村島帰之 ハロイン 十月二十日 買物をしやうと思って、マーケット街を歩く。日本人の手になった菊の花がショーウィンドに匂ってゐる。各種の品物は弗…
「雲の柱」昭和7年11月号(第11巻第11号)への寄稿分です。 アメリカ巡礼(3) 香港近郊 村島帰之 (前承) フェーリーに乗る 正午、バークレーから今井よね子さんが訪れて来て下さる。そして、これからオークランドおよびバークレーを案内してやら…
「雲の柱」昭和7年11月号(第11巻第11号)への寄稿分です。 アメリカ巡礼(2) 香港近郊 村島帰之 (前承) 金門公団見物 十八日 午前九時起床。午後から秋谷兄と一緒に外出する。 ホテルに近い支那街には、到るところ、日貨排斥のポスターが貼られ…
「雲の柱」昭和7年11月号(第11巻第11号)への寄稿分です。 アメリカ巡礼(1) 香港近郊 村島帰之 再び桑港へ 十月十七日 午前八時、桑港ステーション着。 久し振りのサンフランシスコだ。前回にはオークランドを経、桑港湾をフェリーで渡って桑港に…
「雲の柱」昭和7年10月号(第11巻第10号)への寄稿分です。 アメリカ巡礼 競技場と博物館 村島帰之 オリムピリク・スタヂアム 八日 けふもまた高橋さんの好意に甘へ、同氏のミシンでエキスポデション公園の博物館を見に行く。 美しい花壇が、ひろびろと展げ…
「雲の柱」昭和7年9月号(第11巻第9号)への寄稿文です。 アメリカ巡礼(2) 羅府・ハリウッド 村島帰之 (前承) 十月五日 朝食を高橋さん處で頂いてから日本の話などをしてゐるうちに正午になった。 約束によって都ホテルに平田博士を訪問、予ねて博士か…
「雲の柱」昭和7年9月号(第11巻第9号)への寄稿文です。 アメリカ巡礼(1) 羅府・ハリウッド 村島帰之 羅府監獄へ 十月四日 今日は日曜日だ。早天礼拝を済ませて午前九時、南加クリスト教聯盟社會部の斎藤さんの案内で監獄見物に出がける。但し、今日は在…
「雲の柱」昭和7年8月号(第11巻第8号)への寄稿分です。 アメリカ巡礼(4) サンペトロの日本人漁村を訪ふ 村島帰之 (承前) 羅府港埠頭 日本の漁師村にアバユウをつげて、程近い波止揚につく。日本郵船會社のつく處、いはゆるロスアンゼルス港である。羅…
「雲の柱」昭和7年8月号(第11巻第8号)への寄稿分です。 アメリカ巡礼(3) サンペトロの日本人漁村を訪ふ 村島帰之 (承前) 漁師の第二世 日本の漁師には青年は居ない。その筈である一九二四年以後は日本人がやって来ないからだ。叉寫真結婚の禁止で一九…