賀川豊彦の畏友・村島帰之(142)−村島「アメリカ巡礼」

  「雲の柱」昭和7年10月号(第11巻第10号)への寄稿分です。

        アメリカ巡礼
        競技場と博物館
                          村島帰之

   オリムピリク・スタヂアム
  八日
 けふもまた高橋さんの好意に甘へ、同氏のミシンでエキスポデション公園の博物館を見に行く。
 美しい花壇が、ひろびろと展げられてゐる。空はカラリと晴れて、日光が直射するけれど、湿気がないので、然し暑いとも感じない。公園の上空を、タイヤーの廣告飛行船が、夢のやうに飛んで行く。故國の五月節句の空を偲ばせる。

 「あの飛行船には一弗出すとのせてくれますよ」
と高橋さんが説明される。廣告と収益の一挙両得だ。室代よりも入場料で算盤のとれてゐるエンバイヤーステーㇳビルなどと考え合せて、さすが弗の國らしいと考えさせられる。

 博物館は朝十時にならないと開かないので、程近いオリンピックスタデイアムを見に行く。一九三二年夏、萬國オリムピック大會の開かれる場所だ。砦のやうに壁をめぐらした大スタヂアムだが、公園が廣いのでさう宏大だとも思へないが、十萬の観衆を容れるといふから相当以上のものである。

 今春、ロサンゼルス市の百五十年祭が此處で開かれて、各町から電飾した自動車に思ひ思ひの飾り物をしてその趣巧を競ひつゝ此處に繰込んだといふ事だ。けふは鍵が下りてゐて入場出来ないが、綱のネッㇳの外から中を窺ふと、数萬のシートのあるスタンドが、美しい曲線と直線とを見せて、来年の大会を待つものの如くだ。
 「来年の夏、もう一度いらっしゃいよ」
と高橋さんがいふ。全く…

   自然博物館
 博物館が開いたらしいので早速這入る。一階はどこの博物館でも見受けるアメリカインデアンの風俗などで満されてゐたが、彼等の正装に今日の軍人のそれと同じやうな肩章のあるのを見て人間心理の今も昔も大して変りなきか思はされた。二階には貨幣や刀剣や陶器の類が處狭きまで並べられてあった。

 自動車および飛行機の発達の跡を示したものゝ中では一九一〇〜二四年の間、英國皇帝ジョーヂ二世の乗用されたといふ特別大型の自動車が注目を惹いた。第一公式の馬車に只モーターをつけたといふだけのことで、スマートなところは少しもなく、只重々しい感じがする許りであつた。

 フォードの自動車が年代順に並べあるのも興を惹いた。
 「深田牧師のミシンは今から三十年前のものだ」
など、深田兄のミシンの批評をする。

 地下は全部これ古代動物の骨! 中でもエシパイア・エレファントの巨大なる骨には一驚を喫した。勿論全部が真物ではないが、その幾分が地下の石油層の中から発掘されたのだといふ。動物の骨格は年代と共に小さくなって、その代り、人智によって作られる営造物が反對に年々大きくなって行くのだ。

 エヱパイア・エレファントの生れ変りが、今日のエンパイア・ステートビルその他の高層建築だといへばいへぬことはなからう。

 歴史博物館を出て、向ひ側の産業博物館を見る。貨物そっくりの模型の各種果樹園が、加州の自然の彩りといふものを示してくれる。加州といふところが、如何に果実に恵まれ、その美しき自然の色に彩られてゐるかをしみじみと見ることが出来た。

 地階は鉱産物。地底の秘密をさぐる思ひで、ひと気のない地階に降りる。地上の社会の出来事なんぞは忘れて了ふ超現実だ。

 博物館を出て家へ帰る途中、スタヂアムの裏側を通ると、オリムビック大會までに建て上げるといふので、スイミングスタヂアムのコンクリートエ事の最中であった。来年の夏は此處に日章旗が揚るのだ、と想像することは決して悪い気持ではない。祖国愛を知らぬアメリカ生まれの日本人第二世のためにも、それは望ましいことに相違ない。

    古本を買ひに

 午後から静岡牧師の案内で古本屋漁りに行く約束なので、視察を博物館だけにして、ハースト系のロサンゼルス・エキザミナーの社の前を通って教会へ帰る。

 静岡兄は既に来て待ってゐてくれられた。此度は静岡兄のミシンで出かける。古本屋は直ぐ判ったが、ミシンをパーキングする場所が容易に見つからないので、あっちこっちとうろつく。車道と歩道の境界を、赤く一線で塗ってあるところは、停車することを許されない。ところが赤く塗られてゐないところは、殆ど余地のないまでに自動車が詰ってゐる。仕方がないので古本屋は直ぐ目の前に見えてゐても、数町を距てた處にパークするより仕方がない。

 「善く盗まれませんね」
 「いいえ、屡々やられるんですよ。届出が早いと、警察のラデオで、各交通巡査に、盗難自動車の番号がアナウンスされますから、割合早く判りますが、愚図々々してゐては駄目です。」

 何しろ、ロサンゼルスだけにでも五十萬台のミジンがあるといふのだ。住民二人に一台の割合で持たれてゐるのだから、恐らくわが國での自動車以上の普及率であらう。往来といふものは自動車のために埋めつくされてゐるやうな感じがするほどだ。

 静岡兄は愛書家だけに、どこの古本屋にもお馴染らしく、笑顔で迎へられる。
 ほしい本が矢鱈にある。ニューヨークの古本屋よりも欲しい本が多い。犯罪學に関するものを十数冊買うこととする。

 静岡兄は、
 「待ちなさいよ。僕が値切ってあげますから」
 と、交渉してしてくれられた。正札のついてゐるものを、と思ってゐると、十弗のものを八弗に負けた。
 「本屋の奴、僕を日本のヂューだといふんですよ。でも、買けてくれるんだから、値切らないと損です」
と、これも不景気のせいだらう。

 静岡兄の買った分は小切手で支払ってゐる。
 「小切手詐欺が多いので、なかなか小切手では取ってくれないんですが、僕は信用があるんで………」
 と、静岡兄は鼻を高くする。日本だったら、とてもこれほど容易く人を信用しないだらうに、と信用絶語の発達を羨しく思った。

   鍋焼うどん

 静岡兄につれられて、日本人街に食事に行く。丸の中に日本字で八と書いた商標をドアに記した丸八と呼ばれるうどんやだ。
 「鍋焼うどんを二つ」
 ああ、これがアメリカの一都市でである。
 「へえ、お待遠うさま」
 アルミの鍋に盛られたものは、正しく手打のうどんだ。蒲鉾も這入ってゐる。いゝや、しいたけさへも。

 棚の上を見ゐと、鰻の代用に用ふらしい柳川の罐詰や浅草海苔の罐が並べられてある。
 富士山の額はいはずもがな。
 客もみな同胞だ。話かけても見たいが、しかし……。

 夜は清水兄のホームヘ徳さんや高橋さんと一緒によばれる。清水夫人は學生として渡米し、その後結婚したのだが、學校へ行かぬと日本へ送還されるので、子たちの出来た今も、なほ學校へ行って居られるのだ。移民法の不当を泌々考へさせられる。

 食事をすませて、よばれ立ちではあるが、少しでも視察の能率をあげたいので、ミシンでブロードウェーの第一街まで送って貰って、そこからは勝手知ったブロードウェーをうろつく。そしてバレスキューヘ這入る。ニューヨークほどの露骨さはないが、裸形の受けることに変わりはない。唯花道のないのは、好色客には物足りないでもらう。

     (この号はこれで終わり)