賀川豊彦の畏友・村島帰之(143)−村島「アメリカ巡礼」(1)

「雲の柱」昭和7年11月号(第11巻第11号)への寄稿分です。

         アメリカ巡礼(1)
         香港近郊
                         村島帰之


     再び桑港へ
   十月十七日

 午前八時、桑港ステーション着。
 久し振りのサンフランシスコだ。前回にはオークランドを経、桑港湾をフェリーで渡って桑港に這入ったので、海上から見た桑港の第一印象は美しいものであったが、此の度は、直ぐ市中へ降ろされたので町幅の狭いゴタゴタした町のやうに印象された。

 ロサンゼルスは、何といっても新興都市だ。新鮮昧と活気とに満ちみちてゐる。が、桑港は既成都市だ。どっちかといへば保守的な都市ともいへやう。たとへば家の建方にしてさうだ。羅府の住宅は、気の利いたコテーヂ風かさなくば流行のミッションスタイルを倣し西班牙風のもので、前にはローンなどを作ってゐるが、桑港のそれは依然たるコロニー風のスタイルだ。どれもこれも二階の出窓かあぶなっかしさうに突き出てゐて、形においても、また彩においても変化に乏しい。

 道路に至っては比較にならない。ロサンゼルスは善くも道幅をこんなに広く取ったものだと感心させられるほどだ。その代り、自動車の往来の頻繁なことは、到底、桑港の比ではない。

 何といったって羅府は「青年」だ。これからの都市だ。将来は、桑港を抜いて太平洋沿岸一の都市となることは明瞭だ。

 桑港は「成年」だ。従って落着きがある。応揚さがある。紳士の風がある。
 エロータクシーを雇って、加州通りの小川ホテルヘ行く。マネージャーの秋谷一郎兄はまだ眠ってゐた。

 桑港は寒い。私は室内に這入っても外套を脱がないので、帳場さんが同情して、表側の温い部屋へ通してくれた。
 サンタババラ以来、風呂に這入ってゐないので、バスに這入る。
 朝飯を秋谷兄と共にして後、暫くベッドに這入ってまどろむ。

 午後、パーラーで三菱商事の山田雅一氏と語る。氏は燃料部滑油係を勤めて居られるので、石油の話が出る。私がロサンゼルスのシグナルヒルの油井を親察した話をすると、「日本全体の石油噴出量は一年五百萬石です。恰度、シグナルヒルの一月分にしか当らないのです。」と話される。またサンピトロで、重油の給油所を見たことをいふと、三菱でもあすこへ船をつけて、重油を日本へ運んでゐるといふ話。

 さらに米國に於けるガソリン販賣戦に話が及んで、英資本の貝印が、あなどれぬ勢力だと話される。
 日本にも、どこかでシグナルヒルのやうな油井が掘り当らぬものかと泌々思ふ。

    ボードビル行
 夕飯後、秋谷一郎兄および令妹百合子さんと三入でフォックス劇場へ出かける。サタデーの夜と来てゐるので、客は列を作って入場を待つ。押され乍―−といっても日本のやうに無理に押しはしない。立派に統制のとれてゐるのは羨ましい――中へ這入ると、恰度、ニューヨークのロキシー劇場で見たやうな大きなホールがあって、そこで場内の椅子のあくのを待たせる。

 高い天蓋はステンドグラスになってゐて、周囲はローマの宮殿をイミテーㇳしたゴチッグ式の彫刻と金の色彩で一杯だ。太い中肥りの円柱がガッチリとそれを支えてゐる。ロキシーに劣らぬ豪壮美だ。

 漸くの事に、シーㇳがあいて席を占める。オーケストラが始まってゐる。
 音楽に造詣の深い妹さんが説明してくれられる。
 桑港で誇るべきものはオーケストラだ。日本にはこれだけのオーケストラは余り見られまい――との事だ。オーケストラの中にはハープも交ってゐる。それだけが女性で他は全部男性である。

 フリッピンの独唱があって、映画「フランシスキッド」が始まる。メキシコのカウボーイとセニョリータの恋を扱ったものだ。続いてステーヂが始まる。パラソルを主題としたのや、乳母車を引いた子守を扱ったものなどがある。殊に後者は人形振りを用ゐて、日本の人形振りを、西洋式に行ったやうな愉快なダンスがあって、ミッドナイトショーの客を喜ばせた。
 ミッドドナイトショーは土曜日に限って行はれる深夜興業で、客もハメを外して野次るのだ。

 筋骨の柔かな女の乱舞がある。足を手と同じやうに動かして乱舞する姿が、どうしても人間とは見えない。逆さまの位置から舊位置に戻った時の上気した赤ら顔の彼女を見た時、私は興奮の拍子をする代りに、同情の吐息をついた。

 音楽道化があって、自転車の曲乗り――樽のやうなものの中を圓形に乗り廻すのだ。車が頂辺に行った時には、明かに頭が下になって、当然、下へ落ちねばならぬのが、物理學の法則によって落ちずにゐるのがハラㇵラされ乍ら不思議に眺められた。

 次に、スクリーンに現れて来ゐ歌の文句を見ながら、ピアノに合せて會衆一同が流行唄を唄ふ。歌のコーチだ。甘ったるい恋の小唄が、普通の會話にやゝ抑揚をつけた程度の譜で、急テンポで唄はれて行く。

 會衆のコーラスに、同一音譜のくりかへされて行くに従って漸次高まって行った。歌が終ると、急霰の拍手、そして口笛、足踏み!
 観衆が芝居をし、音楽を奏してゐるのだ。そこには舞台と観客席の区別がない。これが本当の民衆娯楽だと思ふ。
 ホテルに戻ったのは十二時半。劇場の内ではまだ宵だと思はれてゐたのに。

    (つづく)