賀川豊彦の畏友・村島帰之(144)−村島「アメリカ巡礼」(2)

  「雲の柱」昭和7年11月号(第11巻第11号)への寄稿分です。

          アメリカ巡礼(2)
          香港近郊
                         村島帰之

     (前承)
     金門公団見物

   十八日
 午前九時起床。午後から秋谷兄と一緒に外出する。
 ホテルに近い支那街には、到るところ、日貨排斥のポスターが貼られてゐる。満州事変のためだ。或時は空中から支那式の色とりどりのビラもまいたさうだ。この街の中に交って商賣をしてゐる日本の商店や理髪屋は困ってゐるといふ。

 ここには約二萬の支那人がゐるさうだ。電車で金門公団へ行く。太平洋海岸まで長さ三哩半、幅半哩に亘る広いチェーカーの大公園で、森あり、湖あり、瀧あリ、銅像あり、運動場ありといふ、変化に富んだ公園だ。

    博 物 館
 まづ博物館へ這入る。ここは全然入場料を徴収しないので、一年に五十萬から百萬人の入場者があるといふ。日曜などは一日に五千人以上入場する。

 エッチングの聚集の多いことにまづ驚く。彫刻の中で、ソーロ王の像などが目についた。ブロンズの部では「神戸楠公さんの銅製燈籠一對」が私たちの足を止めた。どうして此処へ陳列されるやうになったのか不思議だ。奈翁の寝たといふ寝台やアメリカインデアンのトーテムなども興を惹いた。

 博物館を出ると、前は音楽堂だ。ギリシヤ劇場式の舞台で、ルネッサンス式の建築だ。観客席らしい設備はなく、一帯の樹木の下に、約一萬人を坐らせる木のベンチが置いてあるだけだ。樹木は十三州から集めた記念樹であるとか。

    日本茶

 ついでに、博物誼の隣りの日本茶園を見に行く。こゝは故萩原真氏が作り上げたもの。桜門あり、鳥居あり、お宮さんあり、佛像あり、池あり、石橋あり、土蔵あり、鐘楼ありといったニッポン・オン・パレードだ。中央の茶店では渋茶と盬せんべいを賣ってゐる。
多くの西洋人がそこで渋茶を啜ってゐる。
 少々疲れた。博物館の北方の日時計などを見乍ら帰途につく。

    ウオー、フイルド劇場
 夜は勇を鼓してウオー、フィールド劇場へ。パンツをはいた案内女が案内してくれる。入場料六拾銭。

 映画「スカイ、ライン」では、ニューヨークの景色の出て来るのが、何よりもなつかしく見た。もう一度ニューヨークへ引返したいやうな気がする。

 ここはオーケストラが善いので有名ださうだ。コンダクターは、タクトが巧いのみならず、とても滑稽が上手で、観衆をヤンヤといはせる。黒ん坊のアルトや、女装のソプラノは、コンダクターの滑稽と相埃って大拍手だ。

 日本でなら、何の誰といはれるほどの音楽家は、これほど道化る寛容さはあるまい。日本人は余りに澄しすぎるのではあるまいか。私たちはアメリカ人の捌け方を取る。

    赤毛布の話

   十九日

 昼飯はワッフルと牛乳で済ます。朝飯が遅かったので腹が減らないからだ。慶大野球団の腰本寿君が、渡米中、レストラントのメニューが判らないので、いつもホットケーキを喰べてゐたと話してゐた事が思ひ出される。

 実際、こっちのメニューが複雑だ。同じミートでも、その肉の部分によってその名が違ふし、スープでもいろいろあるから厄介だ。なまじ、通ぶって注文すると、飛んでもないものが来る。K牧師は、船中でメニューの最初から順々に注文したらスープ許り来たといふ話がある。私も若し往航の船中で、同行の小川さんからコーチを受けてゐなかったら、屹度、今日もワッフル、あすもワッフルをやってゐたかも知れない。たゞに喰べもの許りではない。萬事に赤毛布を曝露しなかったのは賀川・小川両先輩の指導の賜物だ。

 赤毛布といへば、誰でもが演ずる赤毛布の第一課は、西洋風呂に這入るのに日本風呂同様に掛かり湯をして這入ることだ。これがために水が階下に漏って大騒動を演じたといふ話は到るところで聞く。

 第二課は便所でだ。水洗式便所に這入った事のない人に、水を出すことを知らない。また知ってゐても、容易に水の止らないのに驚いて、もう一度引く、いよいよ止らない。あわててまたもや引く・・・といった按配だ。そして漸くの事に水の止るのを見て出やうとするとキーがあかない。あかぬ筈はないのだが、あわててゐるのであかぬのだ。私は予ねてから此の事をきいて知ってゐたので、便所に這入る際にキーの構造を調べて後、徐ろにドアを閉めろ事をした。

 汽車が停車湯に停ってゐる間はたとへ用便をしても水を流さぬ規則になってゐる。誤ってフラッシュして了へば、停車場構内に黄金の山を築く訳だ。で、停車時間の永いステーションでは、ボーイが外からキーをかける事がある。さうした場合、用便中の乗客は、汽車が発車して、ボーイがキーをはづしてくれるまで出られない。同行の某氏は、ボーイが冗談半分にキーを掛けたので、数分間雪隠詰めになった。

 またこれはさきの日に別れた同行の某氏が船中での失敗談だが、某氏、便所から部屋へ戻って来ての曰くに、「酉洋式の便所といふものは、ばかにお尻の冷めたいものですなア」と。彼氏は木枠をおろして尻に敷かずに、瀬戸をそのまゝ尻にして用を辨じたのである。これでは尻の冷へる筈だ。
 話が尾篭になって来た。元の日記に帰らう。

     (つづく)