賀川豊彦の畏友・村島帰之(150)−村島「アメリカ巡礼」(2)

  「雲の柱」昭和8年3月号(第12巻第3号)への掲載分です。

         アメリカ巡礼(2)         ベェニスの盛り場
                         村島帰之

    (前承)
    十一日

 日曜、ハリウッドの日本人独立教会へ説教を頼まれて行く。今は無牧で、東條さんたちが世話をして居られる教會だ。一時間ほど話をして、それから一緒に食事を頂く。

 教会を出て、高橋さんの車にのせて頂いて、けふもまた近郊見物だ。高橋さんは私のため本務を放擲してゐて下さるのだ。勿体なく思ふ。釜安さんが同行する。釜安さんは洋服屋さんで、私のレデーメードの洋服の長い裾を切ってくれたんだ。

 ハリウッドを外れて、海岸近くへ出るとナショナル・ソルジャーズ・ホームが、美しい木立に包まれて建ってゐる。欧洲戦争の犠牲者が、損れた肉体を此處で養ってゐるのだ。やがてベニスに着。

   ベニスの盛り場ヘ
 ベニスは加洲の浅草だ。ニューヨークのコネーアイランドに比すべきところだ。しかも、コーネーアイランドも、ベニスも、共に海に面して存在してゐる点は相均しい。乾燥した大陸の、そのまたドライな大都市に住む人が、肺臓一杯に新鮮な空気を吸ふて、そして一日の清遊を恣にしようとすれば、どうしても海へ出たいといふ気持になるのだらう。そして、この海辺に、自然に盛り場か出来上ったのかも知れない。

 ベニス――本場のベニスの水はきたないと聞くが、加州のベニスは太平洋の水だから綺麗だ。屈曲の小さい海岸線が、思ひ切り永く延てゐて、オシン・パークに続いてゐる。そして、ベニスとオシーン・パークの間は、トラムが通ってゐる。トラムは無軌道、無架空線の電車で無蓋若しくは一寸した天幕しかなく、客は背中合せに腰かけ、側面に足を投げ出した儘、機械力で運ばれて行くのだ。海岸は、もう半月も前なら一杯の人だったらうが、十月の声を聞いては、泳いでゐる人もない。

 ベニスは娯楽場のオムパレードである。ダンスパビリオンがある。夏場だけのダンスホールだから、パビリオンの名があるのだらうが、それでも、日本のダンスホールよりも、よっぽど立派だ。アメリカの國旗で、美しい装飾のされた勸工場のやうな建物の中でヂャズが鳴ってゐる。矢張り日本同様、テケツ制度で、六枚二十五仙、十五枚五中仙、四十枚一弗と記されてある。

 プランヂ――もちろん、飛込台もあるが、浴場は温水プールだから、外では秋凍を覚えても平気で泳いでゐるのが外からも見える。五六百の人なら楽に泳げやうといふ廣さだ。

  見世物いろいろ

 ショッㇳ――いろいろの射的。ピッグ・スライド――豚のオモチヤの辷り落し。

 グラント・ダービー――オモチャの豚の競馬。早く決勝点へ自分の豚を入れさせたものが勝になるゲーム。

 ワルツェン・ランド――日本にあるのと同じメリーゴーランドの式の二人一組の回転馬。 二つの馬が旋回してワルツを踊るやうなので此の名があるのだらう。一回の乗り賃拾銭。

 リンディー・ループ――横振りに動く大きな樽のやうなものの中で、急傾斜をして、その不気味な曲振りを楽しむもの、拾銭。

 ドラゴン・バンブー・スライド――およそ二十間もあらうといふ龍の形をした竹筒の上からラセン形になった軌道を、一気にまっしぐらにかけ降りて来るスリルを楽しむ遊びの一つ、拾五銭。

 十哩旅行−−スピードとスリルを狙ったもの。前記のスライドと異るところは、前者が立体的に出来てゐて急転直下によるスリルを喜ぶのと反對に、後者は平面的に延びてゐて、それが胎内めぐりのやうに幾うねりうねるので、延長は十哩にも達しやうといふ長尺もの。その永い道中を或は平面を走って安心してゐると、急に瀧のやうに落されてキャッといってゐる間に、またイヤといふほど高い處へはね上げられるといふ式。

 シャッテイング・ガレリー――坑道めぐり。これもスリルを狙ったもので、暗闇を使ったところが味噌だ。

 さらに面白いものは、Dush me if you can と記して、板の上に一人の男が立ってゐる。板の下は深いプールだ。正面には的があって、一つ五仙でボールを借り、その的に向って投げる。巧く的に這入ると、男の立ってゐる板がひっくり返って、その男は水の中へまっさか様に落ちる仕掛になってゐる。つまり、殊忍性とナンセンスを狙ったゲームで、巌格な紳士の作法や守ることを強制されてゐても、根が移民のアメリカ人だ。たまには、他人を水の中へ敲き込みたいショックにかられる。そこを狙ったこれも一種のスリル満足機関の一つだらう。

 私はスリルも怖しいし、水落しも可哀相だしとあって、結局、フライイング・サーカスと名づけられた日本在り来りの飛行塔に乗ってベニスを高所から烏瞰しただけだった。

 海に面したところでは、客の目方をいひ当てるハカリ屋がゐた。見料は貳拾五銭だが、若し測って見でいひ当てが三ポンド以上違ってゐたら、大きな菓子か人形をくれるといふ事だ。私は、疲っぼちで恥しいので、それもやって見ず。

    オーション・パーク
 そこで、トラムに乗ってオーション・パークヘ出かける。ノロノロ行くので、いつでも飛ぴ乗り、飛び降りが出来さうだ。そのスローモーションに身を委せて、海の景色を眺めつつ連れて行くのも一興だ。

 オーション・パークには桟橋が海に突き出てゐて、そこには大きなシュート(船辷り)があり、ぞの周囲では釣の設備も出来てゐる。沖には一隻の船が繋留してゐる。そこが釣場になってゐて、通船も出てる。

 桟橋の前面一帯にはここもまた多くの娯楽機関がつまってゐる。
 デス オン ザ ギロチン――看板を見ると Sensational thrilling と書かれてある。アメリカ人の好きなスリルの上に、さらにセンセーショナルと形容詞が附加されてあるのだから、物見高い白人が黒山のやうにたかってゐる。私もうしろから覗き込んだ。

 有難いことには、アメリカの人間も、イタリー移民全盛時代と違って、今日では一般に丈が低くなってゐるので、五尺四寸近い私は、背丈の方では格別劣ってはゐず、背延びさへすれば、前面の光景が覗かれるのだ。

 見れば、そこには一人の女が倒れてゐる。そしてその傍らに二人の大男が、おそろしいギロチンを持って立ってゐるのだ。傍らの書いたものを見ると、これからその女をギロチンにかけで首をきって見せるといふのだ。もちろんそれは鏡を応用するトリックに相違ない。女が倒れてゐるところは人気を呼ぶためらしい。

 プレック・エニー−−前面に無数のガラスが置いてある。ボールを一個五銭で借りて、そのガラスに向って投げるのだ。一撃によってガラスが微塵とぐだけた刹那、日頃、婦人や上役から抑圧されて、うっくつしてゐた気分が、一時に解悄するといふ一種の解心剤?だ。或はカンシヤク玉解消剤といふか。

 スパード・ウェー――こども専門の自動車一回拾銭。
 この外、プレーボールだの、ホイップだの、スキル・ボールだの、ポニー・ライドだのチコナーピレだの、スキー・ポールだの、フーチヤングだのと、あらゆるゲームが並んでゐる。

 中には、「大声でお前の運を試みよ」といひ乍ら大小のオモチヤや菓子の籤引を賣ってゐるのもある。

 大仕掛のゲームでは、1200ポイント・ゲームといって、数を合せるのもある。

 かうして、加州の男女は、ふところにありったけの金のなくなるまで、愉贏を争ったり、スリルを味ったりして半日を暮すのだ、

 週休制度の発達が、そして、自動車の普及がかうした遠方から多くの客をこの盛り場へ送って来るのだ。

 私にとっても、最も打ち寛いだ興味の深い半日だった。ゆっくりとゲームでも味いたかったのだが、晩に説教を引受けてゐるので、せき立てられるやうにして羅府をさして急いで戻った。

 晩はパサデナ市の田島牧師の教曾て話した後、十一時頃まで同牧師邸で話込む。

     (この号はここまでで終わり)