「宗教界の部落問題ー「対話」ははじまるか」(第3回)(1997年12月、雑誌『部落』特別号)


穂積肇さんの作品「イヨマンテ(熊送り)」



  宗教界の部落問題−「対話」ははじまるか


     1997年12月 雑誌『部落』特別号


           (第3回)



       3 「対話の時代」ははじまるか


 さて、一九九六年度の「宗教と部落問題」をめぐる状況の一端を取り出してみた。これでもわかるように、宗教界の異常な「フィーバー」ぶりは、部落問題解決の今日の一般的な状況とは余りにかけ離れた事態であることが、あらためて確認させられる。これも確かに「今日の部落問題」のひとつに違いないが、「残されている問題は、部落問題というよりは今は『解同問題』である」などと各左面でつぶやかれはじめて久しいなか、「宗教界の部落問題」は、「『解同問題』を背景にした『宗教教団問題』である」とみるのが現実的な見方であるように思われる。


 部落問題がここまで解決してきて、その到達段階が総合的に確認され、「特別法」が事実上「終結」をむかえた一九九六年度であるが、まさにいま「解同問題後遺症」とでもいえるような課題が各所に残り、そのひとつが「宗教界」にも増幅されてしまっているのである。そこで最後に、こうした事態を解決する上でのとりくみについて言及しておきたい。


     (I) 全解連関係者の「宗教界との対話」運動


 周知のとおり、一丸八二年一月に全解連は「“差別戒名”など宗教界の当面する諸問題についての全解連の態度」を発表し、「同宗連」などの「部落問題フィーバー」にたいする「問題解決のための提案」を提起し「全解連の課題」を具体的に明らかにした。そしてそこでも「まず、宗教界にみられる部落問題タブーをなくし、おたがいに対等・平等の立場であることを認めあって、宗教と部落問題に関する自由な発言や討論を保障する対話運動を、多面的に起こすことが大切である」と呼び掛けたのである。


 こうした「呼び掛け」に応えて、たとえば、全解連舞鶴地協の場合、宗教関係者との「同和問題についての自由な意見交換」が足掛けI〇年も積みかさねられてきた。九五年一二月には西舞鶴仏教会との懇談が実現し、二〇名余の住職の方たちが出席している。九六年三月の雑誌『部落』にその時の模様が報告されているが、仏教会の会長がつぎのように挨拶している。


 「今日は、私たちの自主的な研修の機会として懇談会を開催させて頂いた。法の最終期限を目前に、同和問題の解決めざして活動している全解連の取り組みや、同和問題解決のありかたについて聞かせて頂きたい。……お互いの意見を自由に認めあう中でこそ、相互の信頼感が深まり、同和問題を解決する道だと思う。今後も引き続き、こうした話し会いの機会を持ちたい。」


 また、全解連が主催する「部落問題全国研究集会」でも、一九九六年六月の岡山では「『差別表現』を考える」分科会で「宗教界の現状」が取り上げられ、本年(九ヒ年)一〇月の集会では久々に「宗教と部落問題」の単独の分科会が設定され、幅広い議論が繰広げられる。


 さらには、部落問題研究所が主催する「全国部落問題夏期講座」でも、一九九六年七月の集会では「宗教と人権問題」の分科会があり、加藤西郷先生とわたしが担当させていただいた。本年七月の「夏期講座」でも「『対話の時代』のはじまり」の分科会で「宗教・人権・部落問題」と題して拙い報告をさせていただいたりもした(雑誌『部落』九六年一一月号には「宗教と人権問題」が特集され、当日の二本の報告と前掲のごとく「西本願寺宗会議員除名事件」が収められた)。その他、全解連関係の地域研究集会などでも、各地で「宗教と部落問題」の学習会がとりくまれている。


 そして、日本宗教者平和協議会では、前記の鈴木徹衆理事長を先頭にして「解同の宗教教団への介入問題」をこれまで一貫して取り上げ、各地で自主的な「学習会」や「懇談会」が継続されている。同協議会常任理事の大原光夫師(浄土真宗本願寺派布教使)は、一九九六年七月から八月にかけて五回にわたり「宗教界に何か起こっているか―宗教と部落問題」というレポートを『解放の道』に寄稿して問題提起した。こうして本年七月には、同協議会と全解連との「懇談」も重ねられている。


 ところで、全解連本部は、本年(一九九七年)七月八日に浄土真宗本願寺派大谷派を訪ね「部落問題に関する懇談会の申し入れ」をおこなった。これにたいする「回答」は、大谷派からは同月二三日付け「文書」で「現在のところ見合せ」とする旨の、また本願寺派からは同月一六日付けの教団内部向け「通知」で懇談の「見合わせ」の意思表示をしている。因に、後者の本願寺派基幹運動本部長名で出された「通知」には、つぎのような「基本方針」が掲げられている。


 「一 全解連の各祁府県連から懇談の「申し入れ」があった場合は、「過去帳調査」の事前に、かかる混乱を避ける意味からも、見合わせて頂きますようお願いいたします。
  二 なお、具体的に懇談の「申し入れ」があった場合は、すべて基幹運動本部が対応する旨を先方に説明してください。また、「申し入れ」の事実関係は、速やかに基幹運動本部にご連絡ください。
  三 その他、全解連を含む他の運動団体の地方機関紙等で関連記事が掲戟されている場合も、その都度速やかにご連絡ください。」


 解同の「点検糾弾」の「対応」に追われる教団のこうした反応は、むかし行政が「暴力的な糾弾」に屈服して「窓口一本化」を強いられたあのころの異常さを思い起こさせる。このような宗教教団の閉鎖的な「対応」ぶりは、当該教団内部の病巣をいっそう拡大するだけである。


        (2)「対話の時代」ははじまるか


 ところで、すでに言及したように、部落問題解決の到達段階は、宗教界がこれまで解放同盟を窓口にした「現地研修」や「闘争」に同伴するなかで学びつづけてきたような「差別の現実」とは異なり、いまや「部落」とか「部落出身」という、かつての古い枠組から基本的に解き放たれている「現実」にあるのである。既述のように、解放同盟や宗教界には、固定的な「差別」「被差別」のとらわれが、頑固に残存している。


 しかし、宗教界といえども決して日本社会の外にあるのではない。俗の俗なる世界のただ中で生きている。したがって、部落問題の現状認識に関しても、「糾弾」を受けて「対応」を強いられた教団幹部の一部はべつにして、大半の教団幹部をふくめて末寺・門徒レベルの大多数は、現在一般市民がいだいている「常識」に生きているのである。


 わたしたちは三〇年前に生きているのでも、二〇年前に生きているのでも、一〇年前に生きているのでもない。「特別法」が基本的に終結し「新しい時代の到来」をむかえた「現在」を生きているのである。この「現在」を「信じて生きている」在家信徒の「常識」を抜かして、宗教教団の運営は出来ないし、してはならないのである。


 宗教教団が部落問題の解決に何程かの貢献をするためには、まず「部落問題」に関する基礎的な理解、とりわけ「現状理解」を正確にすることが求められる。そのために、広く「聞かれた対話と学習」が意欲され、特定の「運動団体」との「連帯」ではない、宗教教団の自治と主体的な独自な関わりを、地道に創りあげていく必要がある。


 この間の宗教界の不幸は、引きつった「確認糾弾」への「対応」に追われ、必要な「間」が取れなかったことである。「間」が抜けてしまったところに最大の問題があった。宗教界と解放同盟はいま一見「蜜月」のような印象を与えるかも知れないが、解同の或る幹部のボヤキの言葉――「宗教界は運動団体に対する対応だけはうまくなったが、表面的なジェスチャーばかりだ」―−のように、その関係は決して正常なものではない。まさに「野合」の関係といわれてもしかたのないものであった。


 宗教界は早く本来の「間」を取り戻し、公明正大な正常な自治を回復しなければならない。それがなければ、教団内部の自由な対話が息づくことも、伝統教団の下からの創造的な変革も、本当にははじまることはない。


 教団政治を担っている人々は、いまのところまだ、外部への「対応」はもちろん、内部への「点検学習」や「研修」などにみられる過熱した異常さには、ハッキリとはまだ気付いていない。


 前記のように、宗教教団は「対応」は上手であるが、肝心の部落問題に関する基礎理解への関心に欠ける場合が殆どだからである。一番いけないのは、認識と実践の間違いに気付かず、ただ「運動」に同伴して過熱するという「二重の過ち」を犯してしまうことである。


 「運動」の過ちは本来の運動の力によって正されねばならない。全解連が宗教教団に対して、積極的に「懇談」を働きかけているが、公式・非公式に、在家レベルを基本とした多様な「話し合い」を積み重ねていくことが重要である。地域がここまで変貌をとげてきたのに、地域の寺院や教団がむかしのままではどうにもならない。


 教団の現状を憂い、本来の教団に立ち戻ることを願う運動関係者は、実は無数に存在するのである。先の舞鶴地協のごとくに、運動関係者が地道に、地域の宗教関係者と真の信頼関係を育てていくことの意味は大きい。


 また、教団の「異常」は教団自らがそれを正すのでなければならない。教団はそれぞれ教団政治につきものの「内部事情」をかかえている。一時は外部の「運動」を教団政治に利用し「運動」は「宗教界」を利用する「持ちつ持たれつ」の「腐れ縁」が固定化する。それはしかし「形ばかり」であって、決して永続するものではない。時がくれば、必ずその足もとから正されていくのである。間違いは、はしめから間違いだからである。


 『解放の道』京都版(九七年九月五日付け)には、「西本願寺団体参拝研修会」に参加した女性の方の寄稿がある。ここにも「研修会」の中で、率直な「話し合い」がおこなわれ、若い僧侶の発言として「ここは部落解放同盟の言う通りになっています。僕はこのことについては立場は言えないが、おかしいと思っているのです」という言葉が記されている。


 「おかしいと思っている」のは「研修会」に参加している大方の思いである。その意味では、すでに部落問題解決の分野でも「対話の時代」ははじまっているのである。自由は単に守るものではない。自由は存分に発揮され、享有(エンジョイ)されるものである。


               結  語


 本稿では「宗教と部落問題」に関連して、特にグロテスクなかたちで表面化した諸問題を中心に取り上げたに過ぎない。なかでも「点検糾弾」やこれへの無残な「対応」の姿は、いわば「非問題」の類のものである。


 むしろ、こうした現状を打開すべく、各地で地道にとりくまれている方々の相互交流や、今回は全く言及しなかったこの分野の研究活動の切瑳琢磨と相互の検討吟味を積極的に取り上げる方が、より生産的であったかも知れない。


 その点では、直接的に「運動レベル」や「教団レベル」のことと同時に、自由な市民的・地域的な「交流・対話・出合い」の「話し合い連動」―−津山市でI〇数年も積みかさねられている「本音シンポジウム」のような――が、今後ますます実を結んでいくに違いない。


 個人的な小さな試みをこの場で触れるのはどうかと考えるが、本年(一九九七年)二月に『「対話の時代」のはじまり―宗教・人権・部落問題』(兵庫部落問題研究所刊)というブックレットをつくり「対話」を呼び掛けてみた。


 これは、地域で生活をはじめて三〇年になるのを期に、わたしたちの所属する日本キリスト教団関係者への「対話的メッセージ」である。思いがけずこれは、仏教関係の方々や宗教にひごろ関心を持っていない方々の目にも留まっているようであるが、「新しい時代の到来」をうけて、個人的な思いを率直に開陳させていただいた。これも「一九九六年度の部落問題」の「宗教と部落問題」のひとつに加えていただき、多方面からの厳しいご批判を頂くことができれば有難い。


 なお本年(一九九七年)一〇月、北九州市で開催される第二六回部落問題全国研究集会の分科会「宗教と部落問題」での「基調報告」には、別の視角からの草稿を用意した。


(本稿では、手元の雑誌・新聞などを参照したが煩雑になるので必要なもの以外はすべて出典を割愛したことをお断わりしておく。)
                         (一九九七年九月)