「『出会いと対話の時代』がはじまる」(上)(2000年「部落問題全国研究集会」)


宮崎潤二さんの作品「ぺトロパプロフスクの要塞」





 出会いと対話の時代」がはじまる(上)


   一開かれた宗教界ヘ―


        部落問題全国研究集会 2000年11月11日


 
               はじめに


 ここ四年連続して「宗教と部落問題」の分科会が設けられ「宗教教団への異常な介入と宗教者の自主性」という同じテーマが掲げられています。おそらくこれは、宗教界が現在もなお「同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議」(略称「同宗連」)の枠組みのもとにあって、全解連からの「対話」の呼びかけに対しても、いまだに硬く扉を閉ざしたままであることによるものと思われます。


 しかし、宗教界とて地上から離れてひとり天上に存在しているわけではありません。むしろ俗の俗なる世界の只中に存在しています。だからこそ、現状のような事態から抜け出ることも出来ず、逆にいつまでも従来のままの状態に迎合し続けことが出来るのでしょう。そしてまた同時に、教団政治を担う位置におかれた人々も決して一枚岩ではなく、その多くは教団のおかれた現状に対して、少なからぬ疑問や不信を持ち続けていることも、たびたび耳にするところです。見方を変えれば、個々の宗教者に接して見れば、予想通りそれぞれに常識的な見識を持つ人々が多いのです。


 実際、昨年の分科会でも報告がありましたように、例えば浄土真宗本願寺派の中で「真宗フリートーク」という「対話運動」が地道に積み重なられています。今年もおそらく関係者の方々から、その後のことなど詳しくお聞きできると思いますが、全国の住職の方々が「宗教と部落問題」について、あのように自由に意見交換できることは、素晴らしいことだと思います。


 そこで今回の報告は、これまでとは少しく語調をかえ、<「出会いと対話」がはじまる>と題して、個人的な経験をふまえ、現在の思いを率直に語らせて頂きます。そして参加者の皆さんとともに、新しい一歩を踏み出して、二−世紀の明日を迎えることにいたします。そしてその事を通して、これまでの「閉じられた宗教界」から「開かれた宗教界」へと変革されていく道筋を確めてみたいと思います。


            一 「出会いと対話」


 はじめに私事で恐縮ですが、お話を分かりやすくするために個人的な関わりを短くふれさせていただきます。古い話にさかのぼりますが、縁あって私は一九六〇年代の半ばに、賀川豊彦の活動拠点のひとつである神戸の下町の教会から招聘を受けました。ここはかつて日本一のスラムとして世界に知られていた地域ですが、戦後二〇年ほど経過していた当時もまだ極端に劣悪な生活環境が残されたまま放置されていました。


 そして思うところあって、一九六八年春からは、同じ神戸の下町でこれも日本一の「未解放部落」として問題が山積していた長田区に家族四人で移り住み、新しい生活をスタートさせました。狭い六畳一間の我が家が、公認の「番町出合いの家」という「家の教会」となり、日々の労働の場を、同じ区内のゴム工場にして、ロールエの雑役の仕事につきました。同時にまた日常的に部落解放運動にも関わりをもつようになりました。地域の中に、また仕事場の中に、新しい友達もできて「出会いと対話」を日々エンジョイする生活が始まりました。私の青春時代のことです。


 私にとって「出会いと対話」は、すでに学生時代からのキーワードでした。人間にとって、また宗教にとって、私の場合それは「基本語」のひとつでした。


 雑誌「部落」の今年六月号で、久しぶりに「宗教と部落問題」の特集が組まれ、求められてそこに「部落問題の対話的解決のすすめーキリスト教在家牧師の小さな模索」と題した拙い原稿を書きました。この小さな作品は分科会の当日コピーをしてお渡しできるかもしれませんが、その書き出しのところに、これまで歩みをともにしてきた全解連神戸市協のお歴々の会議で「軽い小話」を求められて話した中身のメモを入れました。


 そのときは興に乗って、六〇年代の後半から現在までの日々を振り返りながら、地域の住環境の改善や仕事・健康・福祉・教育など生活全般にわたる、まさに「基本的人権の享有」の実現の取り組みに加わって、一緒に苦労をともにできた「むかし話」のとりとめのない「打ち明け話」をさせていただきました。二〇代の終わりから「新しい生活」をはじめて、何といまははや六〇歳の節目の年になりました。


 はじめのゴムエ場は五年余りつづけ、公民館の嘱託のあと現在まで長く兵庫部落問題研究所の裏方で働きつづけています。牧師をいわゆる職業としない自立した「労働牧師」の道を実験してきましたが、この実験の味は捨てがたく、私自身にとっては貴重なものだと改めて思わせられています。


 牧師は本来「巡礼の旅人」とはいえ、おそらくこれからもこの道を貫きつつ、宗教とは何なのか、牧師とか教会とは何なのか、常に引き続いて新鮮に問いつづけながら、そのなかで「宗教と部落問題」の課題も、自分自身のこととして学びつづけて行きたいと願っているところです。


   (次回に続く)