「キリスト教界の部落問題ー加藤氏の「提起」をうけて」(1987年11月、雑誌『部落』)


宮崎潤二さんの作品「ニュージーランドクライストチャーチ市図書館」



 キリスト教界の部落問題


    加藤氏の「提起」をうけて


      1987年11月 雑誌『部落』


                 一


 加藤西郷氏の「提起」に対して考えるところを記すよう求められた。氏の「宗教者と部落問題――新たな地平の開けを求めて」と題する今回の「提起」は、これまで教団並びに宗教者の多くがたびたび陥ってきた問題点の出処帰趨を丹念に見極められたもので、氏自身の基本的立場を明らかにしながら、六項目にわたる具体的な検討課題が積極的なかたちで提示されている。


 全体にわたって興味のつきない重要な論点が含まれており、その一々について吟味・検討をおこなう「応答」も必要とおもわれるが、本特集の主旨と紙数の制約を考えて、ここではただ二つの点についてのみふれさせていただき、その責めを果たすことにする。


 一つは、加藤氏がこれまで最も注意してこの課題を追求してこられた「基本的立場」について、他の一つは、「最近、気になる一つの傾向」として、いくらかひかえめに指摘されている問題との関連で、私の所属するキリスト教界の現況について、それぞれ概略述べることにしたい。


                 


 まず、「提起」に示されている氏の「基本的立場」の積極的な意義と重要性についてである。よく知られているように加藤氏は、「ドーン計画」の町・吉備町における住民の自立と自治、連帯と融合の足あとを学ばれるなかで、「そこに、宗教の持つ本来的な働きが目に見えない力として働いている」事実を、当地の真宗寺院・西光寺の歩みをとおして検証して来られた。そこで示されている氏の「基本的立場」とは、「部落問題の解決という課題に対して宗教は積極的な役割を果たし得る」とするものである。


 こうした見方は、宗教者ならばあまりに当然すぎるほどの常識的立場であると言わねばならないが、こと部落問題に関わっては、ほとんど常に宗教者は「悲しき面容(おももち)」して「自己反省」することのみに重心がかかりすぎ、キリスト教界にあっても、後述するような「気になる傾向」を脱し得ないでいるなかでの発言であるだけに、この「立場」は強いインパクトをもつ立張として人々に受け入れられてきた見方である。


 もちろん、加藤氏の見方は、単なる常識的立場を超えた宗教理解の新しさと共に、宗教批判の方法論に関する新しい見方が貫かれている点に注目する必要がある。
 例えば、次のような記述がみられる。


 《宗教は単なるドグマではなく、自己成立の根本事実、世界成立の根本事実を指し示すものとして、すべての人が人間として在ることの共通の場を開示するものとして働くものである》(傍点鳥飼)


 すべての人が、この「根本事実」に「立ち帰り」、そこをふまえて静かに、或いは果敢に「主体的な宗教的抗議」を展開することができるのだ、と言われるのである。


 いっけん難解にひびく右のような表現は、まさに本来的意味における「基本的立場」とも言える重要な論点を含んでいるようにおもわれる。


 また「提起」の最初のところで、加藤氏は、部落問題の解決をはかるという取り組み自体が、「宗教的問いの範囲内にある」と言われ、さらに政治的・社会的解放がその根本において「宗教的解放という意味をもっている」という、興味ぶかい主張が展開されている。こうした主張は、先の「自己成立の根本事実」と言われるものとの関連で、さらにふみこんだ吟味を期待したいところであり、別の機会に是非ご教示をいただきたい点のひとつである。


                
 

 次に、キリスト教界の現況の一端にふれてみたい。
 加藤氏の指摘のとおり、残念ながらキリスト教界も「教団はただ対策のみに終わり、宗教者個人はただ心情的に反省を深くするだけ」で「あたかも『基本法制定』という一つの選択の道しかないかの如く、その署名集めに狂奔し、今日に至っている」現状に大差はない。異なるのはただ、「狂奔」するほど署名に熱は入らなかったというところである。


 氏は、宗教界の現況を評して「まるで、翼賛体制である」と言われるが、私の所属する日本キリスト教団は、一九七五年五月の「解同」による「話し合い」以後の教団レベルの過熱ぶりは他の宗教教団と異ならず、対外的にもこの春まで同宗連の議長教団の任を負ってきたのもその現われである。


 そして、教団内には一九八一年に「部落解放センター」が設置され、先の「署名集め」をはじめ、主として教団内の「差別事象」との関わりなどが継続されている。


 ここでは、今日もなお未解決のまま続いている問題で、「差別事象」のひとつとされる「賀川問題」について、その概略を紹介しておくことにしたい。


 昨年、名古屋で開かれた第一五回部落問題全国研究集会の分科会「宗教と部落問題」でも、キリスト教界における「賀川問題」と題して、その経過と問題点、さらに解決への方向を報告する機会を与えられたが、その後この問題を積極的・生産的に解いていくために『賀川豊彦と部落問題』と題する小著をあらわすべく準備をすすめてきた。


 いまようやく、その下書きが完成したところであるが、キリスト教関係者のなかでも、「賀川問題」と言ってもあまりまだ知られていない点が多く、この小著が今後の討議を深める上で参考になればと期待している。


 いわゆる「賀川問題」と今日呼んでいるものは二つあって、一つは『賀川豊彦全集』問題と言われるものであり、他の一つは日本キリスト教団の『「賀川豊彦現代社会」問題に関する討議資料』問題である。


 前者の「全集」問題は歴史が古く、賀川の没後一九六二年に『全集』(二四巻)が刊行されるのであるが、その第八巻に賀川の主著とも目される『貧民心理の研究』と『精神運動と社会運動』が収められ、特に『貧民心理の研究』のなかの「問題個所」の「削除」要求
がなされるのが、その発端である。


 くわしい経緯は省かざるを得ないが、第一刷および第二刷(一九七四年)では「解説」に不備を残したとはいえ、「削除」されず刊行されたのが、初版からちょうど二〇年後の一九八二年の第三刷では出版元の「自主規制」で、「貧民心理の研究」の第一編第七章「日本に於ける貧民及貧民窟」及び『精神運動と社会運動』の後編四「兵庫県内特種部落の起原に就て」が「削除」されてしまったのである。


 そしてさらにこの問題は、右の「削除」措置をこえて『全集』第八巻そのものが「差別文書」として「確認」され、『全集』の「補遺」で『賀川豊彦と部落問題資料集』を新しく編集・刊行するとの出版元の「回答」が出されるに至るのである。


 こうしてその後、果てしのない「話し合い」が続いているのであるが、この問題は、より広範な研究者等も加わって出版ルールを確立させ、新しい方針を見出す努力が求められていると言わねばならない。


 また、後者の教団の『討議資料』問題は、上記の問題とも関連するが、教団内の一九八四年以降の新しい問題である。


 その年の教団総会において異例のことではあるが、「故賀川豊彦氏及び氏に関する諸文書の再検討に関する件」が「建議」され常議員会付託となり、新たな展開をみるのである。


 「賀川氏の差別文書問題は、今やキリスト教界全体の差別体質の実例として問題にされている」といった論調のもとに、昨年(一九八六年)二月に問題の『討議資料』が出され、教団内全教会にこれが配布されたのである。


 これは、内容的にあまりにずさんなものであったために、関係者の顰蹙を買い、私もすぐに教団議長あての「意見書」を提出したが、責任あるかたちでの「応答」はいまだ無いままである。


 また、昨年一一月の教団総会で、或る牧師によってこの問題に関連したパンフが作成・配布され、関係者に広く読まれたのであるが、その後教団の「部落解放センター」からこのパンフに対する「疑義」と「話し合い」が求められ、その場で「撤回」が要求されるといった事態も生んでいるのである。


 加藤氏の「提起」を待つまでもなく、今日もっとも重要なことは、「表現の最大限の自由が保障」され、「教団の民主化と対話能力の回復」がはかられなければならないのである。ほんらい宗教者の間でこそ、開かれた研究・討議と相互批判が可能であるはずであるのに、何をおそれてか特定の路線に固執して他を排することで野合している、とみられても仕方のない傾向性が残されている。


 そして、「教団政治」のなかでよくみられることであるが、部落問題もその時の一つの「テーマ」にすぎず、「教団政治」の道具に利用されるということもありうることである。


                 


 最後にひとこと、加藤氏が「奇妙なこと」として指摘される、一九八二年の「“差別戒名”など宗教界の当面する諸問題についての全解連の態度」への既成教団の対応の問題についてふれておく。


 あの「全解連の態度」は、当時の状況のなかで一定の役割を果たし、各地の“対話活動”を積極的に広げていく指針ともなったものである。「態度」そのものへの吟味は、『部落解放の基調――宗教と部落問題』(福岡・創言杜)のなかでいくらかふれさせていただいたが、解放運動団体が、宗教教団もしくは宗教者と地道な“対話活動”を継続していくことの意義は、極めて大きいものがある。


 特に、宗教者に必要な「部落問題に必要な歴史的・科学的観点」とか、「その解決をはかるに必要な具体的・実践的な方途」についての研讃は、やはり部落解放に直接かかわる運動関係者との自由な交流と対話をとおして、より豊かに高められていくのであり、運動の側からのそうした自覚的な働きかけが、今後も強く期待されているところである。


             (日本キリスト教団・番町出合いの家牧師)