「結婚と部落差別」(1976年『私たちの結婚ー部落差別を乗り越えて』序章)(上)


宮崎潤二さんの作品「神戸川崎造船所・元電気工場風景:大正十年の八時間制労働争議はここから始まった」



    『私たちの結婚―部落差別を乗り越えて』(1976年)


          序章 結婚と部落差別(上)


     『結婚は、人間がそこへと歩いてゆくというよりも、寧ろ
      結婚白身が彼の方へ人間の方ヘ――歩み寄るのである』
                  (ピカート『ゆるぎなき結婚』)



            一 基礎的な理解


 「結婚」と「部落差別」。みなさんがこのことばから最初に受けるイメージはどんなものでしょうか。それは、いかにもちぐはぐな、明暗・快苦・自然と不自然の感じはいなめないものがあります。そこでまずはじめに、このちぐはぐな感じの生ずるもとをたずねておきたいと思います。


 もともと私たちが「結婚をする」ということは、いったいどういうことなのでしょうか。このような問いは、あまりに当然すぎてその理由などあらためて問いなおす必要などない、と言われる方もあるかも知れません。実際ほとんどの場合、いちいちそのような回答をみいだして結婚をしているわけではありませんから、その指摘も一理はあるように思えます。


 しかし、私たちがはっきりと自覚するかしないかはべつとして、「結婚をする」ことのなかには、必らずそれを成り立たせる根拠かおるのだ、と言わねばなりません。


 私たちは、各々この世界にひとりの男性か女性として生れてまいります。そして、その時代や社会の一定の影響を受けつつ、悪戦苦闘しながら成長していきます。その過程のなかで、私たちは特定の異性にめぐりあい、恋にめざめるのです。こうして、いくたびかの愛のよろこびと失恋の苦悩を経験して、人生そのものの成り立ちについての、知恵を発見していくわけです。藤村のあの『桜の実の熟する時』ではありませんが、一対の男女は“機が熟して”結婚し、新しい第二の人生を門出するのです。


 そのときふたりは、結婚をたんなる勝手な思いつきや、偶然によって結び合わされているとは、けっして思わないでしょう。そこにはもっと深い、自然な絆が受け入れられています。この絆が結婚のたしかな根拠であるからです。言いかえますと、このたしかな根拠があってこそ、ふたりが結婚を決意し、約束し、新しい生活を始めることができるのだ、と言えるでしょう。


 ですから、結婚という事実が、このたしかな根拠にしたがって成立してくるかぎり、その結婚は、明るく自然でよろこばしきものであることは、あらためて申しあげるまでもないところです。


 ところがどうでしょう。「部落差別」というものは、この「結婚」とはまったく逆に、積極的な意味での存在理由や根拠といったものは、はじめから何ひとつ持ってはいないのです。


 今日でも時々「部落差別の社会的存在理由」などと言って、あたかも部落差別に積極的な存在理由でもあるかのように主張されることもあるのですが、それはただ部落差別の問題の所在を明らかにし、分裂支配の意図と実態を見極めるためにのみ用いうることばです。


 また「部落差別の本質」と言う場合でも、その「本質」はあるべからざる間違った意味での「本質」であって、けっして積極的な意味での「本質」があるのではありません。部落差別に積極的な本質など、はじめからあろうはずはないからです。その意味では、部落差別を絶対視して、運命的なものとしてみる見方や考え方から、私たち自身がきっぱりと解放されることが、どうしても必要になってくるように思われます。


 周知のとおり、部落差別は、徳川幕府が人民支配の一つの道具として、政策的につくりだした封建的身分制度に起因するものです。そして、勝手な理屈をつけて人民同士を反目させ、巧妙に分断支配を固定化させていったのです。


 その後の明治・大正・昭和に至る部落差別の歴史については、ここではふれることができませんが、少なくとも部落差別のこの起因についての理解は、今日多くの人々の共通理解となりつつあるところです。ですから、部落差別というものは反人民的で、人間を冒涜するものであり、暗く不自然なイメージをもたらすのは、あまりに当然なことであると言わねばなりません。


 したがって、とくに戦後世代の若い青年たちにとっては、封建時代の悲しさ残りものの重圧におしつぶされ、自分たちの一生を無駄にしてよいなどと考えるものは、ひとりもいないはずです。しかし、あとでみるとおり、まだまだ現在でも部落差別の壁は厚くきびしい場合もあり、自然な結婚の絆が無残にも絶ち切られることも少なくはないのです。


 この壁を乗りこえるための必要条件として、一つには、ふたりの結婚の絆が正しく受けとめられていること、二つには、部落差別のからくりをきっちり見抜くこと、があげられなければならないでしょう。これについては、あとで少し詳しくふれたいと思いますので、ここではただ「結婚は人生の最も根拠のある自然なものであるに反して、部落差別は支配者の恣意にもとづく根拠のないものだ」という点を強調するにとどめ、話を先にすすめたいと思います。



           二 結婚差別の諸事例


 普通、愛し合う若いふたりは、悦びの中に結婚への甘い夢をいだいて交際をつづけます。しかし、部落出身の青年男女の場合、多かれ少なかれ交際をはじめる前から、心のどこかに部落出身という重荷を背負って生きることを強いられています。部落差別が今日大きく解消への過程を進んでいるとはいえ、部落の解放が達成されるまでは、この苦悩は強いられることになると言わねばなりません。


 しかし、誤解があってはいけません。この強いられている苦悩、背負うべき重荷は、先にみたように、けっして絶対的・運命的なものではありません。それは、解決することができ乗りこえることのできるものであり、したがって、解決すべきものであるのです。


 しかしながら、こんにちまで、部落差別の壁が厚かったために、数多くの青年男女がこの厚い壁に直面して、心の奥から湧きおこる自然な思いを、自ら打ち消していかざるをえなかったのです。またあるいは、この壁を乗りこえるために、全力をよりしぼって骨身をけずり、ついに力尽きて自らの生命を絶つという、悲痛な事件が少なからず起きてきたのです。
 以下に、結婚差別の諸事例を、断片的にあげておきたいと思います。
 

 一九七六年に神戸市が製作した「市民のための部落問題入門」のオートスライド『第一部・部落はつくられた』の中で、次の「遺書」が取りあげられています。


       ……いま紅葉谷にきています
      新緑がまぶしいほどきれいです
      弱冠20歳でこの世とおさらばかと思うと
      残念で仕方ありません………
      あまりに早く恋を知りすぎました
      苦しみでしかありません
      誰の責任でもない
      結局、俺が弱かっただけです
      広い天国に晶一人は可愛いそうです
      やっぱり俺は、あの子の父親なんです
      晶は俺が育てます
      晶の泣き声が聞こえます
      父子手をつないで君を見守っていますよ
      頑張ってください


 この「遺書」は、部落出身のある青年が、一九七二年五月三日の憲法記念日に、愛する女性に宛てて書きのこしたものです。女性の親族のつよい反対で、新しい生命が胎内に宿っていたにもかかわらず、そのいのちの芽も強制的に絶たれてしまい、ついに結婚も断念させられ、彼は「広い天国」の世界に身をゆだねることになったのです。


         *         *


 福本まり子さんの遺書『悲濤』(部落問題研究所、一丸七四年改訂版)や、『わたしやそれでも生きてきた』(同上、一九七四年新版)に収められた、中島一子さんの「死の前のてがみ」、南沢恵美子さんの「光のなかをあゆみたい」などは、こんにち数多くの人々に読まれつづけています。あの中島さんの「死の前のてがみ」は、フォーク歌手・岡林信康さんによって、「手紙」と題してうたわれたものです。「チューリップのアップリケ」や「友よ」などで若者たちの心をとらえ、私たちの地域でもやぐらを組んで、「フォークーソング大会」を開いたこともあり、いまなお記憶にあたらしいところです。


      一 私の好きな満さんが
        おじいさんからお店をもらい
        ふたり一緒にくらすんだと
        うれしそうに話してたけど
        私と一緒になるのだったら
        お店をゆずらないと言われたの
        お店をゆずらないと言われたの


      二 私は彼の幸せのため
        身を引こうと思ってます
        ふたり一緒になれないのなら
        死のうとまで彼は言った
        だからすべてをあげたこと
        くやんではいない 別れても
        くやんではいない 別れても


      三 もしも差別がなかったら
        好きな人とお店がもてた
        部落に生れたそのことの
        どこが悪い なにがちがう
        暗い手紙になりました
        だけど 私は 書きたかった
        だけど 私は 書きたかった


         *          *


 死に至らずとも、ふたりの「愛の絆」を無残にも引きさく部落差別のゆえに、苦悩のうちに愛する人と別れ、結婚が実らなかった事例もけっして少なくはありません。つぎにあげさせていただくものは、一九六〇年をすこしすぎた頃に詠まれた、ある女性の悲しみのうたです。これは、部落差別をあたかも人間の力でどうすることもできない、運命的なものであるかのように見まちがえ、こころの奥底の真実の思いを、無理に打ち消す沈痛な恋の歌です。


   「部落民」君が負いたる熔印をわが為に消すすべはあらぬか


    丑松の血を受けいたる君を知り出生がかなし星暗さ下


    どの星が君の素性を定めしや夜空憎めばロマンも達し


    成長株と君を評する人あれどわが賭けし愛の未来はタブー


    恋してはならぬ人とし思慕を断つ理性はかなしゴンドラの歌


 そして遂に、彼女は次の別離のうたを詠むのです。


    傷つけず断わる言葉撰り出して乾きしペンにインク満たせり


  (次回に続く)