「『私たちの結婚ー部落差別を乗り越えて』編纂から20年」(1997年『月刊部落問題』)


穂積肇さんの版画「出漁」



  『私たちの結婚−部落差別を乗り越えて』
        編纂から二〇年


          1997年 『月刊部落問題』


            1 むかしむかし


 今年は一九九七年です。一〇年ひとむかしと申します。一九七六年に『私たちの結婚−部落差別を乗り越えて』という小著を編纂・発行させていただいてからもう二〇年あまりが過ぎましたから、これは立派に「むかしむかし」のことになりました。


 類書がないことにもよりますが、「市民学習シリーズ」の一冊に入れられて、いまだに読みつづけられています。そんなこともあってか、私たちの研究所の仕事場の方へも、時折「結婚」のことで結婚を前にした方たちがお話にこられたり、電話で相談を受けたりいたします。
 しかし、二〇年という歳月はやはり「むかしむかし」のことであって、時はけっして無駄に過ぎてはいないことを、あらためて知らされる昨今です。


 あれは一九七五年の夏ごろから翌年の春にかけてのことでした。いろいろな方々に紹介をいただいて、一八組ほどの結婚家庭をお訪ねし、ご夫妻のお話を聞かせてもらい、テープに収めました。そして、快諾をいただいた一三組の結婚家庭の青春ドラマを、ありのまま紹介することができました。その「あとがき」に、私は次のように記しました。


 「ここに収録させていただいた十数組のご夫妻の証言は、どれをとりだしてみても、随所に『生きた言葉』が光っています。これはどうしてでしょうか。けっして美辞麗句や名言の数々が綴られているわけではありません。どこにでもある一対の夫婦の、何の飾りもない言葉(行為)が、なぜこうも私たちの心を打つのでしょうか。このような暖かな余韻を残すのはなぜでしょうか。ここではどのご夫婦も、ご自分の心のとびらをそっと開いて、包み隠さず語っておられる、その真実さが私たちに伝わってくるからなのでしょうか。」


 当時は、神戸でもようやく「同和対策事業」が本格化して、地域の様相が日に日に変貌をとげつつあるときであり、この時点ですでに「部落問題をめぐる状況も大きく変化し、『愛を見事にみのらせた美しい事例』も、今ではけっして珍しいことではなくなりました。


 そして、若人たちは胸を張り、堂々と古い壁を乗り越えて、強くたくましくすすんでおります」(「あとがき」)とも書いています。


 そして、若い彼らは「本書に登場している先達の言葉(行為)に励まされつつ、さらにこれらを批判的に乗り越え、新しい道を見いだして行くことでしょう」とも記していますから、「むかしむかし」とはいえ、すでにあの時、二〇年後の今日を見通させる「新しい時代」をむかえつつあったことがうかがえます。


 実際、この頃から神戸では、結婚問題に対する運動や行政のとりくみ方・関わり方にも大変大きな変化が見られ、本書で語られた教訓が十二分に生かされていきました。


 ここに登場していただいたご家庭の多くは、当時幼かっかお子たちもそれぞれ今では立派に成人され、新しい次の世代の結婚家庭をつくっておられるところもありますし、まだまだ子育て宣〜最中のところもあります。


 いずれにせよ、おふたりの出合いを大事にはぐくみ、それぞれに置かれた状況から逃げないで、誠実にひとつひとつ乗り越えていかれたドラマは、いま読み返してみても新鮮で、おのろけ話しも交えて諧って頂いた「むかしのあのとき」を、懐かしく思い起こしています。


       2 『ゆるぎなき結婚』(M・ピカート)


 ところで、この作品をまとめるとき「序章」のかたちで「結婚と部落差別」という小論を収めました。そのほかにも当時、「結婚」に関する断片をいくつかノートしたり、この小著が刊行されてからも、いろいろ「結婚相談」に乗らせてもらったり、講義で学生たちと一緒にこの問題について考えたりしてきましたが、以下少しだけ「結婚と部落差別」に関連して、私自身がいつもこころにとめてきたひとつのことを、短く記させていただくことにいたします。


 と言いましても、それは何も特別なことではありません。簡単に申しますとそのひとつのことというのは、「結婚家庭の基礎」ともいうべき「ふたりのあいだのきずな」が、ふたりにとってハッキリと受け容れられているかどうかということを確かめることでした。つまり、「結婚」ということをおふたりがどのようにとらえておられるのかを、あらためて問い直される時として、それは重要でした。


 「結婚家庭の基礎」ともいうべき「きずな」などと申しましたが、それは「縁の確かさ」と言い換えてもいいかも知れません。ふたりがお互いに愛し合い、恋愛から結婚へと結ばれていくのが「近現代の結婚」のかたちですし、法的にも婚姻は「両性の合意」で成立いたしますが、ふたりのお互いの「愛」や「両性の合意」そのものを底から促し、ふたりを結び付ける太い「きずな・縁」が見失われてはならないということが、私にはとても大事に思えたのです。


 ひとが結婚を考える場合、自分の仕事の都合とか自分たちの社会活動に役立てるためだとか、世間体や親たちの意向などがどこか見え隠れしたりして、本来のふたりのあいだの自然な関係の深まりとは別次元のものが介在することがあります。どこか上げ底されたような、根なし草の「結婚志願」が残っている場合、それはすぐに相手に見透かされることですし、結婚が何かの手段のように勘違いされることもあります。そんな場合、何かの「壁」にぶち当とったりすれば、すぐ逃げ腰になって自分の殻に閉じこもり、勇気をもって困難に立ち向かうことができません。


 ふたりの出合いがどういう過程を経たかはどうであれ、また上記のような不純なものを残していたにしても、お互いのあいだに親密な関係が生れ、好意と尊敬の思いが成熟し、「結婚家庭の基礎」である「きずな」「縁の確かさ」に気付かされていくことで、ふたりは互いにありのままを受け容れあって「一対の夫婦」になっていくわけです。


 ふつう、「結婚の基礎」はふたりの愛であると考えられています。確かにその見方は間違いではありませんけれども、しかし、私たちの「愛」や「合意(決意)」が「結婚家庭の基礎」であるといたしますと、これほど危ういものはありません。私の恩師・滝沢克己先生がよく引用された言葉ですが、夏目漱石が明治三九年に、森田草平に宛てた大事な手紙があります。


 「天下におのれ以外のものを信頼するよりほかなきはあらず。しかもおのれほど頼みにならぬものはない。森田君君この問題を考えたことがありますか」


 ひとは必ず、この難問に突き当たります。そして「この問題」をくぐって、「人生への信頼」を取り戻し、「愛」「合意」の裏側の不思議に気づいて、結婚への迷いや戸惑いから解放されて、落ち着いて結婚の準備に取り掛ります。


 『私たちの結婚』の「序章」のトビラに、『結婚は、人間がそこへと歩いてゆくというよりも、寧ろ結婚自身が彼の方ヘー人間の方ヘー歩み寄るのである』という、M・ピカートの美しい詩的なことば(『ゆるぎなき結婚』みすず書房刊)を入れておきましたが、私たちはどういうわけか知らず識らずのうちに、ピカートの言う「結婚」の真意−「結婚家庭の基礎」−を見失っているようなところがあるように思います。


 「結婚家庭の基礎」はふたりで新しくつくるというよりも、『ゆるぎなき結婚』の基礎の上で、喜び踊ることが待たれているものだと思われます。(M・ピカートの著書は、まだ学生だった頃、京都の中村悦也氏の『滝沢克己教授所説のキリスト論の根本問題』自家製・一九六一。年)に収められた「読書案内」を読んで以来ずっと、大切な本の一冊になっています。)
 こうしたことを一緒に学び合うことが、迂遠のようですが、宰せな結婚家庭に至る近道だと思いつづけています。


            3 結婚と部落差別

 ところで、こうした見方をもとにして「序章」の「結婚と部落差別」も書いたように思います。その「基礎的な理解」の項では、次のように書きました。


 「……ふたりは、結婚をたんなる勝手気ままな思いつきや、偶然によって結び合わされているとは、決して思わないでしょう。そこにはもっと深い、自然な絆が受け容れられています。この絆が結婚のたしかな根拠であるからです。言いかえますと、このたしかな根拠があってこそ、ふたりが結婚を決意し、約束し、新しい生活を始めることができるのだ、と言えるでしょう。ですから、結婚という事実が、この確かな根拠にしたがって成立してくるかぎり、その結婚は、明るく自然でよろこばしきものである……」


 そして「結婚」と「部落差別」が「明・暗」「快・苦」「自然・不自然」の対照をなしていて、「部落差別」というものはどう考えても、積極的な意昧での存在理由や根拠といったものは、はじめから何ひとつ持ってはいないことを強調しました。当時、「部落差別の本質」などといって、独り善がりなまやかしの「解放理論」がはびこり、何か消すことのできない「熔印」が押されたことでもあるかのように見られ、どこか「運命的」にそれを絶対視する風潮が人々を支配していましたから、私はそうした考え方の根本的な間違いを、結婚を考える場合でもハッキリと指摘しておきたかったわけです。


 実際、部落差別のことはそっちのけで、「結婚」 の本当の積極的な意味について、楽しく「自由に真剣に」語り合っておりますと、不思議なことに目からうろこが落ちるようにIそう簡単ではないとお叱りの声が聞こえてきそうですがI「部落差別」のことなど吹っ飛んでしまいます。


 あれから二〇年余りが経過して、うれしいことに部落問題は「過去のこと」になりつつあります。けれども、遂に万人の事としての「結婚」に関しては、まだまだ学び直すべき宿題を抱えたまま二I世紀を迎えようとしているように思われます。「結婚家庭」が成立するのには、独立した個人の成立が前提になりますし、生活する場としての「協同社会」を正常に機能させていかなければなりません。「個人」と「家庭」と「社会」の、それぞれのユニークな独自な領域を、不当に混同させることなく、健やかに展開させていく仕事が、これからも万人に期待されているのでしょう。「結婚家庭」が成り立ってのちの「夫婦・親子・家族」 のことも、興味のつきない関心ごとでありつづけます。
                         

                          (一九九七年五月)