「人間の尊厳性とその享有についてー21世紀を前に」(1999年、高校教師研修会)


穂積肇さんの作品「ぺカンペを採る」



         人間の尊厳とその享有について(上


           21世紀を前に


          1999年、高校教師研修会


      
               はじめに


 今日のテーマは「人間の尊厳とその享有について」です。このところずっと、このことが「私の問い」となっています。実はあの震災の少し前から、特にこのことを考え続けています。歴史というのは、常に長い過去の諸経験を踏まえて「非連続の連続」で推移いたします。常に多くの「過去の遺産」を背負い、いまここで「新しい現実」を具現しながら進展していきます。そして今「二I世紀は人権の世紀」であると政府機関までもが言います。そして教育の世界でも同様です。しかしその「人権」が、どこか不確かで曖昧なままです。


 普通「人権」という場合、「基本的人権」という法的レベル、もしくは「人間の権利」という側面から見ています。そうした見方はもちろん重要です。しかし今日はもっと基本的で包括的な意味で「人権そのものの基礎」といったことを考えて見たいのです。順序としては、前半に「人間の尊厳性」について、後半に「人権の享有」について申し上げます。



          1 人間の尊厳について


           「人権はレトリック」か 


 さて、まず第一の「人間の尊厳性」についてです。
 震災の後、避難先で小さなブックレット『「対話の時代」のはじまり』を仕上げました。そこで少しスケッチ風に、この課題を考えてみました。その中でも紹介しましたが、先生方が「人権問題について」自由に語り合われた座談記録を読み、大変篤いたことがあります。驚く私の方がおかしいのかも知れませんが、こんな発言でした。


 「基本的人権を考えると、天賦人権説といった形で生まれながらに与えられているという考え方についても、気になっているところです。つまりこれはレトリックとして『生まれなからに』といわれるものにすぎないだろうと思うのです。あるいは、これはイデオロギーだろうと思います。」


 近代に生きる私たちにとって「天賦人権説」などもはや受け容れられるものではない、人間は人間として自立し、独立した人間として自らの「権利」を闘い取って行くものであって、はじめからそんなものがあるのではない、そうしたものはレトリックでありイデオロギーに過ぎない。したがって、当然人間は「自由」であるとか「平等」であるといっても、それは単なる観念であって、現実を見ればわかるように、あくまでもそれは「理想」に過ぎないのだと言われるわけです。出席しておられる先生方は、どなたもこれに異論をはさんではおられませんでした。


 私自身これまで長期にわたって部落問題の解決という課題に関係して仕事をつづけてきましたが、これに関係をもたれる先生方の多くは、社会学なり憲法学、あるいは歴史学、教育学の方々です。なかでも、部落問題研究の場合、現在でも「歴史研究」とともに「現状研究」が基本になっています。つねに「差別の現実」をふまえて、これを解決するための議論が中心でした。このことは基本的に必要不可欠なことであることはいうまでもありません。


 神戸でも本格的な同和地域の総合的な実態調査を一九七一年(昭和四六年)に実施しました。全世帯を対象にした画期的なものでした。これを基本にして住宅をはじめとした環境改善・生活福祉・教育など総合的な「長期計画」を策定しました。しかもこれは地域ごとの年次計画となる本格的な「長期計㈲」でした。

 
 その一〇年後の「一九八一年調査」には、実施してきた事業の進捗状況を把握し、その上で「計画の見直し」を行い「残事業の確認」が行われ、さらにその一〇年後の一九九一年には、最終的な完了・終結の見通しを得るために同様の実態調査を実施してきました。こうして神戸では、一九九八年度で予定していた計画は、基本的に全て完了したわけです(「奨学資金制度」など一部国の制度で残されたものがありますが)。


 その中心になって活躍されたのが長く神戸大学の社会調査室で仕事をしてこられた杉之原寿一先生です。先生は社会学のご専門です。「部落差別の現状」「差別論・解放理論」「同和行政論」などの研究で先生を越えるひとはないと思います。私はこの先生の厳格な研究的態度と情熱に打たれて、ずっと研究所の裏方をつとめさせていただいています。


 言うまでもなく先生は学問的に誠実な自由な方です。ご自分の専門外のことにはいつも慎重です。不確かなことは「自分にはわからない」と言われます。あくまでも先生は科学的調査に基づいた「実態把握」を基本にして「差別論・部落解放論∴同和行政論」を展開されます。


 先日も私たちの研究所での研究会で、先生の新しい論文「差別とは何か」をめぐって検討する機会があり、司会をさせていただきました。そこで先生に「差別とは何か」ということをより明晰判明にするには、積極的に「人権とは何か・人間の尊厳とは何か」という点を明示されれば、もっと先生の「差別とは何か」も、いっそう説得的になるのではないか、といった趣旨のことを質問しました。


 そうしましたら、先生はあくまでも慎重で、「それは私には非常に難しい」というご返事でした。先生にさえ難しいことを無謀にも、このようなテーマを掲げてお話をしようとしているわけです。


              震災の経験 


 さて先程の続きですが、「人間は自由である・平等である」ということが、単なる「レトリックーイデオロギー」であり、単なる「観念・理想」に過ぎないとすれば、「二一世紀のキーワード」といわれる「人権」は、まことにおぽつかないことになってくるのではないでしょうか。


 そこで語られる意味は、私にも分かるのです。あとでふれる「人権の享有」について考えるときに、その点はっきりとしてきます。つまり私たちの「人権」は、歴史的にも一歩一歩、悪戦苫闘を積み重ねて実現させてきたものです。


 日本の場合でも、戦前の絶対主義的な体制のもとでは、自由も平等も際立って制限されたものでした。「基本的人権」という考え方も、法的なレベルはもちろん、日常の暮らしの基本にも息づいていたわけではありません。


 その意味では「人権」は「歴史的に発展」して「年々歳々」(遠藤周作)豊かになっていきます。今日のように環境権とか自然権とか、男と女の性差をめぐる議論など、新しい視点からの「権利」の展開があります。これは後で述べる「人権の享有」の成果です。


 しかし、ここではじめに強調させていただきたいことは、「人間の尊厳性」がいわれてくる「存在そのもの・事実存在」の基礎的な認識に関わります。


 突然こういうことを言えば、皆さんお笑いになるかもしれませんが、「人間は自由である・平等である」ということは、決して「観念や理想」ではない、「人間が自由である・平等である」ということは「確かな事実」である、ということです。


 私たちは、環境を破壊し、自然を破壊して、もう取り返しのつかない今ごろになって、やっとその大事さに気づいています。しかし人間が気づく前からそれは大事でした。気づくことが遅れたわけです。


 人間は本来(伸びやかに・軽やかに⊃岩田健三郎さんの好きな言葉)生きることができるように出来ているのに、どういうわけかその本来のかたちを見失って、見失っていることさえ見失って、今を生きています。


 これは、大変逆説的な事実です。人間が不幸のただ中に立だされたとき、改めて「人間の尊厳性」に気づくということがあります。


 それは、あの震災のときの経験でも学んだことです。一瞬にして家を失い、人間が裸になったとき、空っぽになったとき、改めて「人のいのち」「人間の尊さ」の「確かな基礎」に気づかされました。


 ブックレット『「対話の時代」のはじまり』でも、この堅い言葉で「確かな基礎」と表現してみました。人間はこの「確かな基礎」−これは大文字で「いのち」といった方がいいかも知れません―この大きな「いのち」に支えられて、その「いのち」とともに、生かされて「いま・ここ」にいます。


 そして、この「いのち・基礎」は、人間の生死を包んで、震災を体験しながら生き残ることになった私たちも、無念にも死んでいったあの人たちも、共にこの「いのち」に包まれて・いまを支えられています。世界・宇宙・人間には「確かな基礎」「いのち」があるのです。


 この「確かな基礎」「いのち」は、いわゆる「宗教」ではありません。すべての「もの」と共にある「実在・リアリティー」です。仏教では「一切皆空」と言います。「空」は「ソラ」でも「空っぽ」でもありません。


 先般亡くなられた作家・堀田善衛の晩年の作品『空の空なればこそ』(筑摩書房)は面白いですよ! 「空」は「色即是空・空即是色」の「空」です。「大きないのち」です。「空」は「空自らを空ずる空」であることを幾度も教えられます。


 「宗教」はこの「確かな基礎」「いのち」に出合い・促され、そこから新しく歩み出そうとします。その意味では、第一義的に大事なことは、この「いのち」です。「宗教」はその大切さを指し示すものとして重要な意味があります。


            童謡詩人・金子みすず 


 ここで皆さんよくご存じの金子みすゞさんの作品を読んで見たいと思います。
彼女は一九三〇年に二六歳の若さで亡くなりましたが、没後半世紀も過ぎてから再びよみがえりました。「私と小鳥と鈴と」は、好きな作品です。


       私か両手をひろげても、
       お空はちっとも飛べないが、
       飛べる小鳥は私のように、
       地べたを速くは走れない。


       私がからだをゆすっても、
       きれいな音は出ないけど、
       あの鳴る鈴はわたしのように、
       沢山な唄は知らないよ。


       鈴と、小鳥と、それから私、
       みんなちがって、みんないい。


 この最後のフレーズ「みんなちがって、みんないい」というメッセージが、効いています。こういう詩は、何の説明もいりません。


 日ごろ、知らず識らず人と競い合い、世間的な「対人性」ばかり気にして生きているとき、「みんなちがって、みんないい」ということばに出合うだけで、何かハッと気づくものがあります。この「みんないい」というのは、他と比較してというのではありません。「みんないい」という「いい」は、絶対無条件に「いい」という絶対肯定です。その感動がここに表現されています。


 もうひとつ「星とたんぽぽ」という作品。


        青いお空の底ふかく、
        海の小石のそのように、
        夜がくるまで沈んでる、
        昼のお星は眼にみえぬ。
        見えぬけれどもあるんだよ、
        見えぬものでもあるんだよ。


        散ってすがれたたんぼぽの、
        瓦のすきに、だアまって、
        春のくるまでかくれてる、
        つよいその根は眼にみえぬ。
        見えぬけれどもあるんだよ、
        見えぬものでもあるんだよ。


 ここでも、くりかえされる「見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ」という断固とした言葉が、先程の「みんなちがって、みんないい」と歌われる言葉とともに、響きあってきます。


 これまで「見える世界」「自我」の「閉ざされた世界」に留まっていたものが、「見えない世界」「本当の自己」へと「窓が開かれる」、そういう出来事が歌われています。


 この私も、家族も、社会も、すべてが「ありのままに受け容れられ」「みんないい」と祝福されています。


 「人間の尊厳性」は、第一義的には、存在することに「存在価値」があるわけです。存在に価値があるのです。その存在が何かに役立つから価値があるという、そのレベルのことではありません。


 その人(もの)に、何かの能力や才能があるとか、美しいとか性格がいいとか、それらで計る価値ではありません。これは存在の「本具的価値」(ホワイトへッド)と言われます。


 高齢になれば誰でもボケてきます。しかし、たとえ寝たきりになり意識がぼやけてきても、尊厳性が失われるわけではありません。


               「恩師」


 皆さんにも「恩師」と呼びたい先生や先輩がおられると思います。
私にも青春時代がありました。学生時代、深刻な問題・問いをかかえて学んでいました。そこで出合ったひとりの「師」があります。

 高校生のときに友人に誘われてキリスト教会にいくようになり、そこの牧師夫妻の生活ぶりにあこがれて、柄にもなく「牧師」になるため、お金も無いのに、鳥取の田舎から京都の同志社の神学部に学びました。

 そこでの私の問いは「なぜ宗教者は独善的になってしまうのか」というものでした。
 この問題を解かなければ、ひとりの人間として、しっかりと大地に足をつけて歩めないと思いました。この問いが宿ったおかけで、六年間の大学生活は、これを解くために充実したものになりました。


 そのとき出合った一冊の書物−それは『カール・バルト研究』という戦前に書かれた古本でした―の著者が「私の恩師」となりました。その方は神学部の先生ではなく、当時九州大学で哲学を教えておられた滝沢克己という先生でした。


 この先生は、書家でもあり、雅号を「等石」と号しておられました。ご自分の立っている足場は、路傍にころがる石ころと等しく、同じ低みにおかれてあることに気づかれて、それを「等石」ということばに表しておられたのだと思います。


            西田幾多郎夏目漱石


 一九四五年七月に亡くなった独創的な哲学者に西田幾多郎という方がおられます。今日では世界的に「西田哲学」が注目を集めつつあるようです。皆さんも一度は処女作『善の研究』(岩波文庫、いまワイド版にもなっています)に目を通された方も多いと思います。


 この作品は明治四四年の作品ですが、その「序」に有名な言葉があります。


 「純粋経験を唯一の実在としてすべてを説明して見たいというのは、余が大分前から有っていた考であった。……そのうち、個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである、個人的区別より経験が根本的であるという考から独我論を脱することができ……」。


 ここに目をとめて、西田幾多郎を解きすすめているのは哲学者の上田閑照先生です。
 ふつう私たちは、まず「個人」があって「経験」をするという考え方に馴染んでいます。近代は、デカルトの「我思う、故にわれあり」という言葉で代表される「個の自覚」でスタートしました。そしてこの「人間中心主義」で突っ走ってきました。


 この二〇世紀末でも「まず個人あって」という「独我論」で乗り切ろうとしています。ところが西田先生は、ここで一九世紀的な「独我論」を超える「新しい見方」をつかみました。「個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである」という見方です。


 これは先生にとってばかりでなく、私たちにとって、それこそ「見方が一変する」ような、大事件でした。


 作家の夏目漱石が大正五年、五〇歳で亡くなる少し前に書き残した有名な「則天去私」にも似た出来事です。それまで漱石自身が日本の近代を「他人本位」から「自己本位」へと大飛躍したはずの「自己本位」に苦しんで、そこから脱却してつかんだという「則天去私」、アレです。


 西田先生の「経験」というのは、「経験あって個人ある」と言われ、それを先生は「純粋経験」と呼ばれました。


              「確かな基礎」


 私はこれを『「対話の時代」のはじまり』では「確かな基礎」「確かな土台」などと呼んで見ました。私たちはみな、この「基礎・いのち・純粋経験」に促され、日々励まされて生きています。それぞれ、この「いのち」に「即応一致」して歩むように励まされています。


 その意味で、本来「人間の尊厳性」は「授かった」「戴いた」ものです。「天賦人権」という感じ方・考え方は、決して軽く見られてはならないものだと思います。


 私たちは、宇宙の中に働きつづける「大きないのち」、漱石の言葉では「天」に即して生きています。漱石はこれをいっきに「則天去私」と書き表しました。西田先生の有名な言葉「絶対矛盾的自己同□というのも同じです。


 「仏凡一体」と言います。人間やものは、それだけでポツンと「個人」としてあるのではありません。見えないけれども「ある」「大きないのち」にあって存在しています。
 草花でも一度撒かれると自ら根を張るように、人間もこの「いのち」に即して生きて行きます。


  (次回に続く)