「『部落解放の基調ー宗教と部落問題』の「はしがき」「目次」「あとがき」(1985年、創言社)
上の写真は、先日のぶらり散歩「烏原貯水池」。本日のブログ http://plaza.rakuten.co.jp/40223/
部落解放の基調
―宗教と部落問題
1985年 創言社
(私にとって初めての論著となった本書は既に絶版になっていますが、同時進行の別のブログ(総目次)http://ameblo.jp/taiwa123/ に記載のとおり、本書の「はしがき」「目次」「あとがき」の部分が、テキスト化できていませんでした。そこで今回、このところを収めて、さらに次回からは『賀川豊彦再発見ー宗教と部落問題』の最初の半分ほどが読みにくいままになっているようですので、その作業を進めておくことにいたします。前後しますが、それの続きに『賀川豊彦と現代』も少々手間がかかりますが、パソコン上で読みやすいものに仕上げて置く予定でおります。)
はしがき
柄にもないことである。生来、ものを書くなど、しかもそれを他人にお見せするなど、考えもつかなかったことである。
ところが不思議なことに、若き日キリスト教に出合い、柄にもなく牧師の道に誘われ、ものを書いたりひとに話したりすることを強いられるはめになってしまった。しかもさらに不思議なことに、はたち少々こえたころ、滝沢克己先生のあの名著『カール・バルト研究』との出合いがおこる。以来、私自身のいだいてきた人生の根本問題、とくにキリスト教のかかえもつ末解明の諸問題が、ひとつひとつ解かれていった。そうして、牧師の道が自ずと軽やかとなり、ただのひととして生きる、「新しい世界」がひらけてゆくのである。私たちにとって、二〇代の終わりから始まった、ごくふつうのありふれた生活のかたちは、そうした過程を経た必然的な成りゆきであった。
あれからはや一八年目をむかえている。いわゆる「来解放部落」での生活は、数多くの友情に励まされて、激動の日々を共に歩んできた。そして、一九七四年創立された兵庫部落問題研究所の熱心な研究者の人たち、また毎月の読書グループ「神戸自立学校」「ヨルダン会」のメンバーたち、飲み喰い放談「悪童会」など、研讃の場にもめぐまれて今日に至っている。
周知のごとく、滝沢先生は昨年(一九八四年)六月二六日早朝、急逝された。それは、誰も予想していなかった出来事であった。すでに一周忌もすぎ、時は矢の如く走り去るが、私たちにとって、先生の指し示されたものはいっそう身近かに親しく、日々新しく覚えさせられることとなった。まったく不思議なことである。
本書に収める拙い旧稿は、どれもこれも先生の思索のあとに学んだ、たどたどしい足あとが刻まれているようにおもえる。こうしたかたちで、先生への感謝のおもいを表現できることは、大きな幸せであり、文字どおり有難きことである。いずれの論稿も、発表のあとお送りすると、先生はすぐに、過分のおほめのことばをそえてお手紙をくださった。同じ問題で苦闘している学生たちにコピーをして渡したいなどとも書かれていて、その都度赤面しつつ、こころ踊る思いに満たされたものである。そして、この静かなよろこびは、今後いつまでも、私たちと共にあるにちがいない。
このような論稿をとおして、落ちついてものを考えようとする、現代に生きる若い人たちや同労の友との、また人生の先輩だちとの、新しい交流がはじまるとすれば、これにすぎるよろこびはない。厳しいご批判をお願いしたいとおもう。
一九八五年九月
番町出合いの家
著 者
目次
はしがき
I 新しい思惟と新しい行為
一、清朗なる徴表
1 近代主義を超克する視点
2 絶対無償の愛・歓びの湧出
二、部落問題との出合い
1 随順・修業・社会性
2 部落解放理論の基礎視座
3 『私たちの結婚』を編んで
三、新しい歴史の創造
1 現代神学の根本的な溢路
2 「小さなしるし」・滝沢神学
3 創造的世界は始まっている
Ⅱ 宗教の基礎‐−部落解放論とかかわって
一、「宗教と部落問題」素描
1 当面する検討課題
2 新しい視点の模索
二、宗教の基礎(そのI)
1 今日の宗教および宗教批判
2 いわゆる「教義の点検」をめぐって
三、宗教の基礎(そのⅡ)
1 「天上の問題・地上の問題」の把え方
2 「平等」論の吟味
結びにかえて
注
Ⅲ キリスト教と部落問題
一、キリスト教界の現況
二、キリスト教の基礎視座
1 《解放》の視座
2 《平等》の視座
3 《自由》の視座
三、当面する検討課題久
1 「部落解放はキリスト教の本質的課題である」ということについて
2 “別体質”の“悔改め”などの強調について
結びにかえて
注
Ⅳ 「連帯」の吟味
一、解放運動の基調
二、解放理論の再検討
三、批判的精神の発揮
四、独白課題の徹底
V 部落解放論の基調
一、 「水平社創立宣言」
二、 人間の尊厳性と兄弟性
三、 万人共通の絶対の祝福
四、 湧出する誓願
Ⅵ 部落解放理論とは何か
はじめに
一 部落解放の「理論」とは何か
二 「部落差別の本質」の概念規定について
三、「部落差別の社仝的存在意義」の概念規定について
四、「社会意識としての部落民に対する差別観念」の概念規定について
五、部落解放理論の展望
注
Ⅶ 《断章》結婚・差別・部落
(付)結婚と部落差別
一、基礎的な理解
二、結婚差別の諸事例
三、乗り越えるための諸要因
四、地区外結婚の漸増
初稿掲載一覧
あとがき
あとがき
本書に収められたものは、一九七四年から一九八四年のあいだに、それぞれ具体的な状況のなかで求めにこたえて、また必要にせまられて筆を執ったものである。いずれの論稿も、表現のしかたが末熟なうえに、いくぶんかの難解さをのこしたままであり、手に取って一読いただくには、まだ少し気おくれがしなくもない。ただこの機会に、できるかぎり読み易くするために、これでも精一杯努力したつもりである。
ところで『部落解放の基調』という書名もいささか街いを感じさせる。しかし、「部落解放」にかぎらず、私たちのいとなみのすべての「基調」《Grundton》がそもそも如何なるものかを吟味し検討を加えることが、本書の「基調」ともなっているようにおもえるので、そうさせていただいた。
この春から、阪南大学の教養特講で「部落問題」を一年間講ずる機会が与えられ、毎週一度出むいている。そこでは、杉之原寿一氏の『新しい部落問題(新版)』(兵庫部落問題研究所刊)を用いて、部落問題の歴史、現状と変化、解放への展望などを自由に学んでいるが、本書が、その学びにいっそう生気を注ぎ、講義の目的がいくらかでも達成されるならば、と密かにのぞんでいる。
最後に、以前から格別のご友誼を受けている創言社社主村上一朗氏ご夫妻はじめ、同社の皆様に大変なお世話になったことに対し、心からの御礼を申しあげねばならない。もし村上氏の強いおすすめがなかったら、本書の刊行はありえなかった。
一九八五年九月
鳥 飼 慶 陽