「同和問題の現状について」(下)(1997年、広島安田女子高校)


浜中敬朔先生のカット作品



  同和問題の現状について(下)


  広島安田女子高校・夏期同和教育職員研修会
      (1997年8月29日)


                          
   3 「新しい時代」(部落問題の大転換の時代)の到来
 

 21世紀を目前にして「新しい時代」の到来だと申しましたが、「新しい時代」という意味は「差別・被差別」とか「部落・非部落」とかいう垣根のない時代が現実のコトとしてはじまっているという「新しい時代」の到来ですね。


 しかしいま振り返って見ますと、私たちの場合はじめから「垣根なし」で、この問題に関わり始めることができたことが、大変大きなことだったように思えます。


 1968年春から神戸の下町で生活を始めましたが、当時この問題を解決しようと立ち上がっていた人々が「壁なし」に関係を持ってもらえたということが幸いしています。


 当時にも、一部には私たちを「外のもの」として不信の目で見る見方をする人も無くはありませんでしたが、「壁なし」に付き合うことのできる友人たちが、まわりに多くいたということが大変良かったと思います。


 もともと最初にあげましたように「部落問題に関する基礎的な理解」という点で、「もともと垣根なし」ということが私たちの出発点でしたから、そこを抜かさないで、住民のひとりとして歩むことができました。


 よく「差別」と「被差別」と先ず区別して、それを前提にして「関係」をつくろうとする場合がありますが、それはやはり「はじめ」がおかしい。部落問題には「共生」ということも「融合」ということも、どこかきほんのところで違和感が残ります。

 
 1969年に始まった「同和対策事業特別措置法」では、問題を解決するために「地区指定」して集中的に改善事業を進めてきました。その場合、「同和対策」ということで「同和地区」だけの改善をすすめて、そのことで逆に大きな溝をつくってしまう場合が少なくありませんでした。


 解放運動の側は、運動してきたのは我々であるから当然だというような見方でやってきたところは、これからが大変です。


 「同和対策」は、本来「属地主義」が基本です。神戸の場合は「属地主義」を貫いて、国籍を問わず、流入者も含めて、一人ひとりの住民が「まちづくり」の主体であるとして進めてきました。


 しかしながら、多くの自治体では「属地内属人」がとられる場合があって、「部落出身」かとうかということが、いつも問題になってきました。


 京都などは、住宅建設するときに、そこに住んでいた外国人や流入者はそこから排除されるそうです。するとどうなるか。結局、新しく出来たまちは、「改善された同和地区」ということになってしまいます。


 運動団体では、「部落出身であること」が構成要件になったりする。「窓口一本化」といって、同和行政の窓口が特定の運動団体に独占されて、行政側はその運動団体の下請のようになる間違いも続いてしまいました。行政と運動が馴れ合い癒着する関係が生まれてしまうことも少なくありませんでした。


 今日兵庫県でもまだ、「同和地域の子供のために」ということで、相も変わらず「解放学級」が行なわれています。最近お母さんたちが、これはもう必要ないから無くしたいと申し出ているのに、先生方はそれに反対されるという、奇妙なトラブルも起こっています。


 また最近兵庫県下で「中学から高校への連絡カード」のことが問題になっています。「部落」を特定して引継ぎをしていることが問題になって、それを読売新聞が報道しました。


 あるいは小学校での公開授業があって、クラスの座席表がつくられ、それに「部落」であることを指定していたということがあり、父母が強く抗議するということがありました。


 学校側はしかしこれを悪いことだと認めない。それで弁護士会に提訴して、先般これに対して弁護士会から人権侵害であるとして通知が出され、教育委員会もいまやっと、その問題性に気付き始めている、といった事例が続出しています。


 私は、最初に「部落問題」を考えるうえで「歴史的」理解とともに「本質的」な理解が必要ではないかと申しました。「本質的」という意味は、ここでは「部落民」とか「部落」という事柄は、本質的には無意味である、根本的に「非問題」である、という意味です。
 
 先程申しましたとおり、この目覚め・この自覚から「水平運動」も起こりました。
 「人間としての自由・平等」は単に理念とか理想というのではない! 我々の「確かな事実」である! 隠されているが「人間としての自由・平等」は確かな事実であった!
この目覚めが、そこにはありました。「そこ」を踏まえて、「そこ」に向かって解放運動は出発したのです。


 ですから、部落差別をなくす運動は、もともと人間の間に「垣根」などない関係に立っている「共通の場所」を踏まえて、現実に存在する「差別の垣根」を取り払う取り組みとして進められていったのです。初心はそうであったのです。


 単なる「差別」「被差別」の関係を出発点とした「運動」や「教育」からは、無用な過熱があるだけで、取り組めば取り組むほど「垣根」を大きくしてしまう、大きな落とし穴があったわけです。そして、実際に水平運動の初期のときから、その落とし穴に落ちていった歴史のあったことも否定はできません。


 私がここで「新しい時代」という意味は、もちろん「特別法」がようやくにして不要になった時代を迎えたという意味もありますが、それ以上に「人間の基礎」に関する「自覚と発見」が、再確認されていく重要なときを向かえているという意味合いもこめて申し上げています。


 現在、「部落」とか「出身かどうか」といった「枠」が大きな問題になっている出来事が、あちこちで出ています。ここのところは、おそらく特に教育の現場では、十分な検討が求められるところだと思います。

                                                               
              結 語


 状況は大きく動いていることを感じます。もちろん地域性があって、私の神戸での経験と、先生方の広島とは事情は同じではありません。問題意識も異なると思いますが、何かのご参考になればうれしく思います。


 最後になりますが、最初ちょっと触れた『「対話の時代」のはじまり』という避難所で書き下ろしたブックレットのことを申し上げておきたいと思います。


 「部落問題」は不幸なことに「対話」よりも「沈黙」を強いるものでした。
 部落問題はとくにタブー扱いで、触れてはならないこと、避けて通ることが無難であるとしてきました。それだけに逆に、私たちはこれを自由に、オープンに話題にして、間違った理解もお互いに出しあって、お互いの「自由な出会い」と「対話」を経ながら、この問題を過去のものにして行かなければならないと思って、取り組んでまいりました。


 そしていま、やっとそういう時代を迎えていると思います。ご縁があって、私たちの場合、30年ほどのあいだ、この問題の解決の渦中に生きることができて、個人的には大変満足しています。


 とくに大切にしてきたことは、「なんでも喜んでする」、ということでした。
「部落解放」というテーマがあるから、どこか義務的に関わる、かかわらざるを得ないということはあると思いますが、その場合でもやはり、この問題の解決に関わることのできることがうれしい! 積極的な底抜けの明るさのようなものが欠かせないと思います。


 誰からも強いられて関わったのでもありませんし、誰かから「糾弾」されて関わりはじめたのでもなかったというのは、とても良かったと思っています。一人の住民として、自然に問題の解決に関わることができた! ご縁があってですね!

 
 ブックレットで書きましたことは、人間の尊厳性は、万人の事として「授かり物」としてはじめに贈られて来ているものであるということ、そしてこの「人間の尊厳性」は、それぞれの生涯を通して「享有」していくものであること、を書き下ろしてみたものです。



 「享有」ということばは、エンジョイメントと申しますが、日本語では仏教用語で「受用」という良いことばがあるようです。「自受用三昧」というのですが、セルフエンジョイメント!ですね。


 自分らしさを輝かせる! 「いのちを輝かせる!」 「自己実現」!!
先生方も児童生徒も、私たち親たちも、それぞれに、いのちを輝かせて生きる!!


 教育の現場では、いっせいに「人権教育」ということが強調されて「多様な人権問題」が取り上げられていこうとしています。それは悪いことではありませんが、「人権教育」は何も「人権問題」や「差別問題」を取り上げるのが中心ではありません。


 もっと積極的な「人間の尊厳性とその享有について」、深く学ぶことが主眼に置かれなければ面白くありません。面白く学ぶことが一番大切なことだと思います。


 本日は、与えられた「部落問題の現状について」という主題をいただきましたが、お聴きのようにまことに粗雑なお話になってしまいました。しかし、賢明な先生方ですから、拙い私の話をダシにして、先生方がそれぞれにご自分のご経験とお考えと重ね合わせながら、うんと豊かなものにしていただいて、明日からの日々のお仕事とご自分の生活に活かしていただけるものと固く信じています。


 長時間、我慢強くお聴きいただき、心から御礼を申し上げます。ありがとうございました。