「同和問題の現状について」(上)(1997年、広島安田女子高校)


宮崎潤二さんの作品



  同和問題の現状について(上)
 

     広島安田女子高校・夏期同和教育職員研修会
          (1997年8月29日)



                  


 一日がかりの研修会、御苦労様です。あの阪神大震災から2年半あまりが過ぎました。先生方にも大変ご心配をお掛けして、ご支援、本当にありがとうございます。


 神戸の下町で30年ほど生活してきましたが、大地震のあの日のことは、言葉にできない恐ろしいものでした。真っ暗の夢のなかに、マグニチュード7・2という直下型の地震が襲いましたからね。


 私たちの町は、かつて「日本一の未解放部落」として知られていた地域です。この度の震災では、同和対策で住宅改良事業が進捗していたおかげで、比較的被害は少なくて済みましたが、テレビ映像でも度々映し出されて全国に知れ渡った町のひとつ、焼け野原となってしまった「御蔵菅原商店街」は、私の住宅のすぐ近所にあります。


 渥美清さんの最後の映画となったトラさんの最後の作品で、山田洋次監督は、この焼けて失われた「御蔵菅原商店街」の場所を、特別にロケ地にして、私たちを励ましてくださいました。

 
 本日お土産にもってきましたこの絵本は『いのちが震えた』という作品です。捨て猫を拾って家で飼っていた「ぴこ」という猫を、こうして表紙にしてくださいました。兵庫県姫路市在住の版画家・岩田健三郎さんの作品です。


 姫路市は神戸から電車で1時間ほどのところにありますが、岩田さんは姫路から、震災から10日後に、須磨駅までは通じていた電車に乗って須磨で降りて、家々がぺちゃんこになっているその界隈を歩いてスケッチした作品を、私たち夫婦が絵本にさせていただきました。


 震災は人々の生活を壊し、まちを破壊しました。6400人もの人々がお亡くなりになる、本当に悲しい出来事でした。生き延びた多くの人が、住みなれた町を離れてバラバラに暮すことになり、私たちはいま垂水区という明石に近いところで仮の住いをしています。

 
 垂水区の隣が須磨区です。あの「A少年」の事件が起こった場所です。
 このたびの「震災」といい「少年」の事件といい、「神戸からの発信」は全国に衝撃を伝えています。神戸の先生方は「自分はこれまで何をしてきたのだろう」とつぶやかれます。先日も、この絵本を書かれた岩田さんと朝方まで語りあったのですが、彼もいま50年生きてきて「自分はこれまで何をしてきたのだろう」と同じことをつぶやいていました。


 ところで先日、京都で「部落問題夏期講座」がありました。
 先ほど紹介いただいた『対話の時代のはじまり』という小さなブックレットは、避難先で書き下ろしたものですが、これが機縁となって、今回の夏期講座では『「対話の時代」のはじまり』という新しい分科会が設けられました。


 何だか「新しい時代」を感じさせますが、分科会では「震災」と「少年」のことにも触れて、「対話の基礎」といったお話しをして、韓国からの留学生のオムさんとアイヌの鹿田さんと一緒に「出会いと対話」を楽しみました。


 さて今朝は、「同和問題の現状について」お話をするようにご依頼を受けました。
 早速、限られた時間、テーマに関連して最近考えていることを申し上げてみたいと思います。あとで質問や意見をお聞きする時間もありますので、広島と神戸とはいろいろと事情も違うと思いますので、どうぞ批判的な目を持ってお聞きいただければ有難いと思います。


 今回この機会をいただき、夏休みの宿題を与えられたような感じです。私の仕事場は夏休みが3日間あるだけですが・・。実は先日、関西学院大学社会学部の教授会に招かれて、本日と内容的には同じテーマ「同和問題の現在」という題で、短い報告をして意見交換をしたばかりです。


 そのときに申し上げたのですが、私たちが「部落問題」を考える場合、二つの視点が必要ではないか。ひとつは「歴史的に見る」ということ、もうひとつは「本質的にみる」ということが不可欠ではないか、といったことをお話いたしました。


 「歴史的にみる」といいますのは、簡単に申しますと、「部落問題の現在」を考える場合、それはあくまでも「現在」であって、「現在」は決して30年前でも、20年前でも、また10年前でもない「現在」ということです。


 特に「部落問題」を考える場合、この30年間ほどで地域は激変しています。そのことを視野において「教育」も「運動」も「行政」も進めなければならないわけですね。


 この「解決の過程」の正確な理解は欠かせないわけです。その意味では、本日の主題に上げられている「同和問題の現状について」理解を深めることは、基本的な課題だと思われます。


 同時に、私が大切にしてきたことは、部落問題を「本質的にみる」ことの大事さでした。どういう意味かと申しますと、「差別」は(部落差別はもちろん)はじめから「本質的に根拠のないもの」(単なる歴史的な、しかもそれは歴史の虚偽形態にすぎない)ということの正確な見極めの大切さでした。


 例えば、30年ほど前にはまだ、自分は「部落」に生れた、「部落出身」だということで、何かそれを運命的な烙印をおされたように受け止めて、結婚をするときでも、プロポーズの折でも、自分の出自を告白することも含んだりして、「隠す」とか「隠さない」とかが問題になったりした時代がありました。


 しかし現在では、部落問題に関する理解も随分ただされてきてかつてのような感じ方やおけ止め方はなくなってまいりました。もともと部落問題を考える出発点には、人間の共通基盤である「自由・平等」という事実、正確には「原事実」と申しますけれども、その「原事実の発見」がその背景にありました。


 そしてそこを基礎に、そこを踏まえて、人間の尊厳性を存分に発揮していく、同時にそれを不当に踏みにじるものへの闘いを進めていく、この基礎理解がどれほどに明晰判明であるか、というのが大きかったと思います。


 「歴史的な見方と本質的な見方」はどのことについてもいえることですが、「本質的な事柄」をはっきりと把握することが基本であることはいうまでもありません。特に社会運動においては、「確かな基礎」を踏まえた「目標」を明確にした取り組みが不可欠だと思うのです。すこし前置きが長くなりましたが、本日の主題と直接関連しますので、先ずこのことを申し上げておきました。

 
 それで「同和問題の現状について」ということですが、いろんな接近の仕方があると思います。本日ははじめに「同和地域の現状」について考えてみます。そして次に「同和問題を解決する上での各分野の現状」、例えば「特別法」は基本的に終了した問題やその中で、政府の方向として打ち出されている「人権擁護推進法」の成立といった問題、この大きな変化のもとでの「行政」「教育」「運動」「マスコミ」などの現状についてどうみたらいいのかといった問題にも、時間があれば触れてみたいと思います。そして最後に、「新しい時代」を迎えて、大切と思われるいくつかの点を、問題提起できればと思っています。うまくいきますかどうか。


         1 同和地域の現状について


 先ず、「同和地域の現状」について考えてみます。
 私は若き日、1974年の春、神戸部落問題研究所という民間の研究機関の設立に関わってきました。神戸大学の先生方が中心になって、神戸の同和地域の現状調査を進めながらやってきました。

 神戸市内には、都市部に大規模な8箇所の地域と郊外に20箇所ほどの小規模地域がありました。神戸の大きな特徴ですが、古くから同和地区の実態調査の蓄積はあったのですが、問題解決のための本格的な実態調査が実施されていったのは1971年のことです。それから10年毎に、1981年と1991年とですね、総合的な実態調査を実施して、問題解決の到達点を科学的に確認することを重視してきました。そして1991年調査を最後にして、いわゆる計画されてきた「同和行政」は完了するという過程を踏んでまいりました。


 御存じのとおり、全国的にも総務庁が1993年11月現在の「全国同和地区調査」を実施して1995年3月に、膨大な「報告書」をまとめました。国レベルの全国規模のこの種の調査はこれが最後のものですね。


 現在ではそれぞれ県レベルでもこれを踏まえた「報告書」が出来ています。広島県はどうか知りませんが、これらの実態を踏まえて、総務庁の地域改善対策協議会の最終的な「意見具申」もまとめられて、「特別法」の基本的な終了を迎えていることは、共通認識として確かめておく必要があると思います。


 「現状調査」の第一人者である杉之原寿一先生は神戸大学の先生でしたが、1974年に神戸で部落問題研究所を設立して以来、理事長として働いてこられ、神戸市の同和対策協議会の実質的な代表者でもある先生です。


 先生は、総務庁の報告書が1995年3月に発表されてすぐ、9月には『部落の現状はいま』という簡潔な著作をつくられました。これが現在、最も信頼の置ける「同和地域の現状」を知るテキストです。ぜひ手に取って直接学んでいただきたいと思いますが、ここには次にようなことが、図表と解説で分かりやすく示されています。


 1 同和地区の分布・地区内外の人口移動・同和地区の世帯構成・地区内外の通婚
 2 家屋の密集状況・生活環境・住宅事情
 3 健康状態・修学状況・収入や所得の生活状態
 4 就業状況(職業構成)・農業経営
 5 市民意識状況
 
 
 昨年、私たちの研究所でも『新しい時代への飛躍』という作品をつくり、それにも杉之原先生がこれに関連して、簡潔に整理されています。また、この前の部落問題夏期講座の「基調提案」でも杉之原先生は詳しくお話になり、そこでも「同和地域の現状」について、次のようなコメントをしておられます。


 「同和地区の住宅・居住環境や生活実態にみられた格差(低位性)は、すでに多くの分野でほとんど解消されているだけでなく、なお若干の分野でみられる多少の格差も、その多くは部落差別の結果というよりも、同和地区内外を問わず特定の地域や階層にみられる減少、つまり同和地区(住民)だけを対象にした特別対策ではもはや解消できない現象となっており、同和地区(住民)に対する特別措置としての同和行政を継続実施しなければならない根拠は、もはや同和地区の現実のなかには存在しなくなっている。」(9頁)


       「差別」(就職差別・結婚差別など)の現状


 ところでふつう「同和地域の現状」については、多くの人々の努力で基本的に解消されてきて、「実態的差別」としてあった「格差」は解消されてきているけれども「心理的差別」は根強く残されている、だから今後は人々の中に残されている「偏見差別」の解消が大きな課題である、と考えられています。


 しかしこの「心理的差別の現状」に関しても、「実態的差別」と同様に、それと並行して今日では多きな変化を生んでいます。詳しくはこれも杉之原先生の最近まとめていただいた『啓発批判と意識変革』という作品をお読みいただけば、良く理解していただけると思います。


 また、今日ではいわゆる部落問題に関わる「差別事件」とよばれるものも、急速に少なくなっています。梅田修先生の新著『人権教育のゆくえ』は、私たちの研究所で出版いたしましたが、その31頁に、大阪府の「差別事象件数」の表が上げられています。それによりますと、自治体では、全く差別事象がないというところも多く、神戸でも「差別事象」として運動団体が取り上げることは殆どありません。ですから、古典的な「部落差別」は、急速に解消しているといえます。


 問題はしかし、「同和問題を解決する過程で生じている諸問題」が未解決であるという事態です。こうした「新しい差別」「間違った取り組み方」が生み出してきた諸問題を解決していく課題が、「同和問題の現状について」考える場合にどうしても欠かせませんし、欠かしてはならないことなのです。はっきりと申し上げて、ここのことがいま一番大きな課題ではないかと思います。この問題を解決できなければ、同和問題の本当の解決にはならない、というのが現在の課題ではないかと思います。

  
 本日のテーマ「同和問題の現状について」としてご依頼いただいている中には、これから申し上げるようなことが含まれているのかどうか存じませんが、「同和地域」が現在のように変化して、住民の意識も大きく変化する中では、やはりこの課題は避けて通ることはできませんし、避けるべきではないと思うのです。


          2 同和問題の現状ーー


 ところで、部落問題の解決のために、この間実に多くの人々が集中的に取り組んでこられました。皆様のような先生方の努力は、本当に大変なことでした。


 全国では14兆円ともいわれるお金をつぎ込んでいます。多くの試行錯誤があったにもかかわらず、この集中的な取り組みによって、問題は基本的に解決してきているということは、先ほどの総務庁の全国調査で確かめられたとおりです。


 繰り返しますが、神戸では1971年に総合的な調査をして地域の現状を把握して、同和対策協議会をつくります。そして1973年にはこの現状を解決していくための詳しい地域計画と年次計画をいれた「長期計画」を策定しました。


 この具体的で明確な総合的な「長期計画」は、適切な討議と手続きを踏んで合意されていたために、神戸の場合は、同じ兵庫県内で運動団体と行政が引き起こしてしまったあの大きな事件―1974年に起こりましたあの「八鹿高校事件」―を経験しましたときも、神戸の「長期計画」の策定されたあとでもありましたので、問題解決の基本を誤らずに前進することができました。


 私たちの神戸の部落問題研究所も、この「八鹿高校事件」が起こる前に創立していましたので、神戸の部落問題の解決の歩みの上では、それなりの役割を果たすことができたのだといえます。


 神戸ではあの時、神戸市行政も市長自ら議会で「同和4原則」(「長期計画の実現・実態に学ぶ・行政の主体性・暴力排除」)を打ち出して、問題解決の方向性を明確にして、無用の混乱を回避することができました。


 ここで一寸、いくらか個人的なことかもしれませんが、一言添えておきます。
私自身が日々部落問題の解決の現場で関わり始めたのは1968年の春からですが、早い時期から問題解決の仕方に関わって、いくつかのことで疑問をいだいていたことがありました。


 例えばひとつは「結婚問題」に関わる問題解決の取り組み方です。
ここで詳しく話す時間はとれませんが、今から20年も前に『私たちの結婚―部落差別を乗り越えて』という本をまとめる機会がありました。


 これは、部落差別の壁を乗り越えて幸せを掴んだ結婚家庭を20組ほど訪問して、その経験を語って貰い、それを文章にしたものです。類書がなかったこともありますが、多くの人に読まれました。


 私はこのときに痛感しましたが、結婚という「対人性」の領域に、それを差別だといって運動団体や行政関係者などが「連携」しながら、「社会性」のレベルで「差別糾弾闘争」を行うという間違いをおこなうという場面に遭遇させられる機会がありました。


 神戸ではちょうどそのころ、行政職員の中に「解放研究会」というグループができて、その人たちが職場の方が「差別発言」をしたという問題をめぐって「差別確認」などしていたことがあります。


 ところが、「差別発言をされた」という当人ではなくて、差別的な発言をしたとして追及されていた方が自殺されてしまう事件が起こりました。全く言葉にあらわせないほどの悲しい事件でした。これは差別発言をしたと追及を受けた方が自殺をされた事件でした。


 こういう事件は、ご当地の広島県下では、学校現場で校長先生や教頭先生などが運動団体などからの「確認糾弾」を受けて、その過程の中で自殺された事件も度々ありましたので、問題の所在は何処にあるのか、いろいろとお考えであろうと思います。


 神戸におきましては、この『私たちの結婚』を作りましたころから、ですからもう20年ほどまえから、いわゆる「差別糾弾闘争」はなくなりました。


 運動団体は当初「部落解放同盟」の組織であったのが、「八鹿高校事件」以後は組織ごと脱退し、現在「全国部落解放運動連合会」に移行しています。その後「解放同盟」もできますが、両運動団体ともに神戸市同和対策協議会に加わって、同じテーブルで活動を進めています。私たちの地域でも、地元の自治組織と運動団体がともにまちづくりを推進してきております。こういうことは全国的には、まことに稀なことのようです。

 
 御存じのとおり、地域改善対策協議会は、1986年12月に「今後における地域改善対策について」という異例とも言える「意見具申」を出しました。それは、次の四つの指摘でした。


 最初の二つは行政への指摘で「行政の主体性の欠如」の問題と同和行政によって失われている「同和関係者の自立・向上の精神」の問題でした。そしてあとの二つは運動団体への指摘で「エセ同和行為」の問題と「自由な意見交換を阻害」する問題の指摘でした。「エセ同和行為」には、運動団体による行政への不当な介入や恣意的な糾弾行為の問題があげられました。


 これらの問題は、私たちがこれまでに度々ことあるごとに指摘していたことですが、国の地域改善対策協議会が指摘せざるを得ない事態が問題の深刻さを示しています。


 20世紀の終わりを迎えた現在、同和問題終結を目前にして、大きな転換点を迎えています。国も地方自治体もこの4月から「同和」という呼称をなくし、推進体制も変更してきています。


 同時に部落解放運動も、例えば解放同盟は「新綱領」をつくり「部落民」の定義を変更しましたし、全解連も名称を含めて検討作業を始めているようです。


 「教育」の分野も、これまでの「同和教育」は一斉に「人権教育」に変更されてきました。


   (以下次回に続く)