「21世紀に生きる賀川豊彦ー徳島信徒会総会」(第3回)(2005年)


宮崎潤二さんの作品「北京・琉璃廠」



  21世紀に生きる賀川豊彦


      徳島信徒会総会


    2005年11月23日:鳴門市賀川豊彦記念館
   

              第3回


        第三節 二一世紀に生きる賀川豊彦


 ところで本日は、数枚の資料を用意しました。
 1枚目と2枚目は、昨年神戸新聞総合出版センターで出版された本に収められた「賀川豊彦 没後40余年―21世紀を生きる・私的断片ノート」という論文の、今日の主題である「21世紀に生きる賀川豊彦」についてふれた第三章の一部分(本書「第一章第3節」所収)です。ここには「3つの柱」をあげてみました。簡単に要約したものですが、お見通しいただきたいと思います。


          地球時代の平和と対話


 第一の柱は、「地球時代の平和と対話」ということです。
 21世紀は、それまでの「戦争・紛争と対立・分裂」の世紀をこえて、「平和と対話」の世紀にするのだという期待含みの幕開けのはずでした。ところが、あのアメリカ・ニューヨークの世界貿易センタービルの崩壊という「9・11」の出来事に遭遇し、「平和と対話」の道が閉ざされてしまいました。


 20世紀において「地球の精神」「地球時代」という言葉が共通語となり基本語となるなか、先般この記念館で、英知大学の岸英司先生のご講演があったようですけれども、岸先生は早くから賀川先生の独自の宇宙論に注目され、賀川と同時代を生きたカトリックの思想家・ティヤール・ド・シャルダン(注1) の宇宙思想との、たいへん興味ふかい比較研究を進めてこられました。


 ユネスコその他で検討が重ねられて、ひろく世界的な基本認識になりつつある「地球憲章」(The Earth Charter)といわれる重要な文書も多くの人々の目に留まり、21世紀を迎えているのですが、事態はけっして容易ではありません。


 「地球の精神」とか「宇宙精神」という言葉は、先に引用した賀川先生の『地殻を破って』の冒頭に出てくる言葉でもあります。大正9(1920)年という時代の中での賀川豊彦の基本感覚でした。


 『神と歩む一日―日々の黙想』(昭和5年、日曜世界社)などの作品にも、「地球の精神」という言葉は登場してまいりますね(231頁)。


 「地球時代の平和と対話」という悲願は、賀川が地元徳島中学時代に抱くことのできた思想であり、「徴兵制廃止の誓い」や戦後の「世界連邦国家運動」などに一貫してつらぬかれた、賀川豊彦の基本的な視点として重要な柱でした。


        地域の再生―出合い・友愛・協同


 そして第二の柱は、「地域の再生―出合い・友愛・協同」ということです。
賀川豊彦の場合、「宇宙の目的」や「地球の精神」といった「大きないのち」をもつコスモロジーに裏付けられたうえで、わたしたちが日々「神と歩む」こそが、いちばん大切なことでした。


 あくまでも「生活としての宗教」(注2) の大切さを強調しました。賀川は「貧民窟の破壊」と再生を意欲して「友愛と協同」の新しい社会形成のかたちを創造することに打ち込みました。


 こうした取り組みにたいして、当時のキリスト教界の多くは無理解でしたので、ときには激しい言葉で教会批判をしたのも賀川豊彦でした。


 ここで、賀川先生の書き記したふたつの文章を上げておきます。


 「見よ、神は最微者の中に在す。神は監獄の囚人の中へ、塵箱の中に座る。不良少年の中に、門前に食を乞ふ、乞食の中に、施療所に群る、患者の中に、無料職業紹介所の前に、立ち並ぶ失業者の中に、誠に神は居るではないか。だから、神に逢はうと思ふ者は、お寺に行く前に、監房を訪問するが宣い。教会に行く前に、病院に行くが宣い。聖書を読む前に、門前の乞食を助けるが宣い。寺に行ってから監房に廻れば、それ丈け神の逢ふ時間が、遅れるではないか。教会に行って、後に病院に廻れば、それ丈け神の姿を拝することが、遅れるではないか。門前の乞食を助けないで聖書を読み耽って居れば、最微者の裏に住み給う神が他処に行って仕舞ふ怖れがある。誠に失業者を忘れる者は、神を忘れる者である。」               (『暗中隻語』春秋社、大正15年、32頁)


「今日の教会は教会として社会に何等の責務を以て居りませぬ。(中略)基督教徒が全部ブルジョア化して小資本家になって居るうちに新しく興って来た無産階級は教会を置き去りにして進みます。可哀相なのは教会です。教会が今日の個人主義から目醒め十八世紀の遺物としては山手方面に伽藍堂を遺すでせう。雀が巣ふには丁度好い処です。
 教会が無産者の解放を忘れるとこんな目にあひます。」
                      (『雲の柱』大正12年3月)


 ここで取り上げた「地域の再生―出合い・友愛・協同」ということも、賀川先生の基本的な視点として重要であるだけでなく、新しい世紀の共通語であり、基本語であるといわねばなりません。


        新しいこの自覚―確かな座標軸の発見


 第三の柱は、これが最も中軸になければならいことですが、「新しい個の自覚―確かな座標軸の発見」ということです。(くわしくは本書第一章3節参照)


 賀川先生はわたしたちに「いつも心の奥が滅びてはだめです!」とおっしゃいました。ここでは「新しい個の自覚」という表現にしていますが、先ずは何よりも、「神がわれわれを支え、励まし、導いていること」に目を開かれ、「確かな座標軸」に出合う「発見の喜び」に生きることが、わたしたちすべての出発点ですね。


賀川豊彦全集』には収まらなかった重要な著書『病床を道場として―私の体験した精神療法』(福書房、1958年)には、こんな言葉が残されています。


「わたしはこれまで別にこれという事はしていない。ただ神と偕に生きて来た。精神作用を根幹として無限の中に生きれば腹は決まるものである。自分が生きていると思うから、つまらないことに絶えず動揺するのであって、宇宙全体の神がわれわれを支え、励まし、導いているということを信ずれば、われわれの腹はどっかりと決まる。この信仰に入れば、もうわたしはわたしのわたしではなく、神のわたしとなるのである。即ち有限の相が無限の相、絶対の相にまで延び、これと結びつくのである。(中略)この無限の気持がそこから発して、そのまま有限の相、海面にまで浮かび上ってこそ、真に腹が決まったと云えるのであろう。この気持が尊い。」(75〜76頁)


 この「神と共なるわたし」という「新しい個の自覚」を、賀川先生はあの「逆境の中で」「闘病の中で」「弱きときに強し」「恩寵汝に足れり」(いずれも同書の「小見出し」)として、「天来の喜び」に応えて、「地殻を破って」爆発の人生を歩まれたのです。


 本日は「うた」や映像、そして賀川先生の「お声」まで欲張ってしまいましたので、3枚目の「賀川豊彦の贈りもの―21世紀へ受け継ぐ宝庫」(『賀川豊彦再発見』所収)についても、4枚目の『賀川豊彦と現代』の「はしがき」(5〜14頁)についても、触れる時間がなくなってしまいました。


 特にそこで申し上げてみたかったことは、賀川先生の「献身的な愛の実践」という先生の「生き方」の魅力の側面とともに、先生のご生涯をとおして表現してこられた「考え方」(信仰・思想・哲学)の独自の魅力が、とても大切ではないかということです。


           賀川豊彦の今日的な新しさ


 「21世紀に生きる」わたしたちにとって、賀川豊彦の「思想・考え方」と「実践・生き方」のいずれもが、とても新鮮に響いてまいります。


 さきほどの賀川先生の「お声」で聴きましたように、賀川先生は、「イエスの宗教」に見習って、神を「天のおとっつぁん!!」と呼んで、下町に生きる人々を励ましておられました。


 賀川先生の「神」理解、「イエス」理解、「神の国」理解などは、まことに今日的です。21世紀的な新しさを持っています。


 この「新しい響き」は、「福音の原音」として、宇宙に大きく響き渡っている「いのち」にこだまするものです。


           おわりに―「いのち輝いて」


 この夏、京都府京丹後市の「人権教育研究大会」に招かれて、「いのち輝いて」というお話をする機会がありました(本書第五章所収)。


 そこでは、賀川先生の話を中心にしたわけではありませんが、賀川豊彦は「いのち輝いて」あゆんだ、大切な先達のひとりであることだけに、ひとことふれておきました。


         「イエスの宗教」に触発されて


 皆さんは、黒田四郎先生が賀川先生のことを「悲劇のヒーロー」(注3) だといわれたことをご存知でしょう。「悲劇の好きな国民性にマッチ」して「神による超大スター」にのし上がってしまったのだとも、黒田先生は言われました。


 確かに賀川先生は、「雲の柱・火の柱」に導かれ、天来の賜物を一身に受けて、多くの苦悩と逆境のなかで、それを乗り越え、喜びのうちにすべてをゆだね、備えられた生涯を全うされました。


 身も心もいつも「神のプロジェクト」に素直に開き、潔い人生を送られました。「イエスの宗教」に倣って、生涯「種子を撒く人」(注4) として、「いのち輝いて」活躍されました。


          「君が明日に生きる子どもなら」


 いま面白いフィールド・フォークのグループが活躍しています。「笠木透と雑花塾」(注5) というグループです。


 震災のまえから親しくしていますが、お話の最後に、この人たちのうたう「君が明日に生きる子どもなら」(詩と曲・笠木透)という「うた」を聞きつつ、よろしければ楽譜付の歌詞を御覧いただきながら、御一緒にうたってみましょうか。

        見てごらん 芽が出たよ
        黒い土から 小さな芽だよ
        春の風が 吹いている
        小さな生命が 生きている


        見てごらん 花が咲いたよ
        緑の穂先に 小さな花だよ
        夏の風が 吹いている
        小さな生命が 生きている


            *君が明日に 生きる子どもなら
             この国の土に タネをまきなさい
             君の心に タネをまきなさい


        見てごらん 実がなったよ
        黄色い稲穂に 小さな実だよ
        秋の風が 吹いている
        小さな生命が 生きている


        見てごらん タネモミだよ
        納屋で寝ている 小さなタネだよ
        冬の風が 吹いている
        小さな生命が 生きている

 
         (くりかえし)


 長い時間、ご清聴有難うございました。
          (2005年11月23日 鳴門市賀川豊彦記念館にて)


                


1  ティヤール・ド・シャルダン(1881〜1955)は、フランスの古生物学者。地質学者でもある。『現象としての人間』(みすず書房)『宇宙のなかの神の場』(春秋社)などで日本でも注目される。
2  賀川豊彦『生活としての宗教』(全国書房、昭和21年)。本書は最初『宗教読本』として第一書房より昭和12年に刊行され好評を得た。
3  黒田四郎前掲『人間賀川豊彦』133頁参照。
4  田中芳三『種子をまく人―教育に一生をかけた太田俊雄物語』(クリスチャン・グラフ社、1963年)参照。
5  「笠木透と雑花塾」は、日本のフォークソング界の草分け的存在である笠木透を中心に増田康記・上田達生・岩田美樹・岩田健三郎らが独自の「フィールド・フォーク」の世界を切り拓いてきた人気のフォークグループ。笠木透にはCD「私の子どもたちへ」「あなたが夜明けをつげる子どもたち」「わが大地のうた」ほか著書も「わが大地のうた」「私に人生と言えるものがあるなら」など多数。グループの作品やメンバーの個人作品も多く、なかでも「どこかに美しい島はないか」「祝島讃歌」は格別である。