「阪神淡路大震災」の当日の写真など(含・新聞報道など)

1995年の震災関係を続けましたので、ここで写真を記録として少し収めて置きます。


まず、1995年1月17日の、我が家のベランダで写したものを3枚UPします。恐ろしい光景でした。





当日の夜は、強い余震に怯えながら、隣の御蔵小学校の校庭で一夜をあかしました。ドラム缶の火で暖を取り、月夜の晩を朝までまんじともせず過ごし、朝方11階の我が家まで階段を登りました。


すると、東の空から大きな太陽が昇ってきました。言葉にならない感動を、このとき覚えました。これがその時の太陽です!! 写真には、あの凄さは全く写せてはいませんが。



新聞その他で震災関連の写真は無数にあり、写真記録として多く残されていますが、ここでは記録として、サンデー毎日の臨時増刊として「阪神大震災の30日」の中から2枚掲載させていただきます。


1枚は、当日(1月17日)の「長田区御蔵小学校」と書かれているもので、火災が広がる様子を空から写したものです。



そしてもう1枚は、「長田区御蔵小学校 2月8日」の航空写真です。焼けてしまった御蔵菅原地域と校庭につくられたブルーテントが映されています。



加えてもうひとつ、震災から1年後、1996年1月13日の毎日新聞夕刊で、グラフ「阪神大震災1年」という大きな紙面に、2枚の航空写真が掲載されていました。


いずれも、ヘリからの写真ですが、御蔵菅原地区が写されて、御蔵小学校もその隣の私たちの住棟も入っています。


1枚目の写真は、「震災直後:一面焼け野原となった菅原通一帯(1995年1月18日)」と書かれています。私たちの住んでいた住棟は写真の中央上のものです。



そして2枚目は、「神戸市長田区:現在、プレハブの仮設が目立つ。左下の2棟が菅原市場の仮設店舗」と書かれています。私たちの住宅は震災のため全壊となり、このときは14階の住宅をほぼ半分壊し終えている段階の写真が写っています。



これらすべて、これまでのまちの復興の過程といまと、そして今後のまちづくりのための、大切な記録でもあります。