「うつわの歌ーいのちの尊さ」(下)(関西学院中等部、1997年10月22日)


関西学院中等部の秋の宗教運動の折りに招かれてお話をした後半部分です。ここでは、現在多くの人々の注目を集める童謡詩人・金子みすずの詩をとりだしていますので、みすず復活の大きなお仕事をされた矢崎節夫さんの本と雑誌の表紙を収めて置きます。





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           うつわの歌ーいのちの尊さ(下)


           関西学院中等部 1997年10月22日


     (前回につづく)


               うつわの歌


             私はうつわよ
             愛をうけるための。
             うつわはまるで腐れ木よ、
             いつこわれるかわからない。


             でも愛はいのちの水よ、
             みくにの泉なのだから。
             あとからあとから湧き出でて、
             つきることもない。


             うつわはじっとしているの、
             うごいたら逸れちゃうもの。
             ただ口を天に向けてれば、
             流れ込まない筈はない。


             愛は降りつづけるのよ、
             時には春雨のように、
             時には夕立のように。
             どの日も止むことはない。


             とても痛い時もあるのよ、
             あんまり勢いがいいと。
             でもいつも同じ水よ、
             まざりものなんかない。


             うつわはじきに溢れるのよ、
             そしてまわりにこぼれるの。
             こぼれて何処に行くのでしょう、
             ――そんなこと、私知らない。


             私はうつわよ、
             愛をうけるための。
             私はただのうつわ、
             いつもうけるだけ。

 

 神谷さんにとっては、「うつわ」という言葉は、聖書の中のパウロの言葉・第2コリント4の7「この宝を土の器に有てり」という「土の器」の理解がベースにあるでしょう。


 神谷さんは、稀にみる「才女」だったようで、表現能力が豊かで、作品も多く残されました。文学ばかりでなく、音楽・芸術など・・。
 もちろん御専門は「精神科医」ですが、若い頃から、御自分をこの歌にあるように、「土のうつわ」、「ただのうつわ」であることの「発見」があったように思われます。


            「まるで腐れ木よ」。


 これは、御自分の正直な、ありのままの自分の自覚だったと思います。
 この「腐れ木」が、この「ただのうつわ」が、実は、実は、「愛をうけるためのうつわ」だったのだ、という「感動」を、ここに「うつわの歌」として表現しておられるのです。


 私にも勿論、皆さんのような中学生の頃がありました。中学になって、やっと結核から解き放たれて、友たちと自由に遊ぶことが出来る様になりました。
 ですから私の場合、中学の思い出の大半は、授業のあれこれよりも、野球部に入って毎日毎日グランドで野球に熱中したことです。
 中学校に入るまでは、運動もできない虚弱児でしたが、中学になって動いてもいいことになり、全然運動はダメなのに、野球部に入って玉ひろい! いまでいう「マネージャー」です。「玉拾いの経験」! 大変、楽しい経験をしました。
 

 皆さんのように、中学生の頃から、「いのちの尊さ」などという話は聞いておりません! 高校になって、教会の高校生の会に加わり、真剣に「自分のこととして」考え・悩み・発見するよろこびを学びました。
 高校時代は、皆さんと同じ様に男子高校でしたが、教会には沢山ほかの高校の友たちが、それもステキな女子校の友たちがきていました!
 ですから、高校時代の思い出は、授業のあれこれよりも、教会で遊んだ経験が一番大きくあります。


 先日、40年ぶりにこの高校生のときに育てられた懐かしい教会に招かれて説教をいたしました。私にとっては高校生の項のこの教会で初めて、神谷さんが言われる意味での「うつわの歌」の感じに気付かされました。


 人間は「愛をうけるためのうつわ」なのだ。「私はただのうつわ。いつもうけるだけ」!


 この「感じ」は、もちろんキリスト教徒だけのものではありません。
 御存じの宮沢賢治が、37才の短い生涯を閉じる10日前、病床にあって教え子にあてた有名な手紙があります。一度読んだら忘れられない「手紙」ですが、いわばこれは、彼の「遺言」です。
 一部分、読んでみます!  


 「・・・風のなかを自由に歩けるとか、はっきりした声で何時間も話ができるとか、じぶんの兄弟のために何円かを手伝へるとかいふやうなことはできないものから見れば神の業にも均しいものです。そんなことはもう人間の権利だなどといふやうな考では、本気に観察した世界の実際と余り遠いものです。どうか今の生活を大切にお護り下さい。上のそらでなしに、しっかり落ちついて、一時の感激や興奮を避け、楽しめるものは楽しみ、苦しまなければならないものは苦しんで生きて行くませう。・・・・」


     「わたしはただのうつわ、いつもただうけるだけ」


 この「うけて」「あふれて」「こぼれる」人生!


 これから、じっくりと長い時間をかけて、「あなたのうつわ」に「いのち」をあふれさせていただく!


 「金子みすず」の詩集『わたしと小鳥と鈴と』という作品があります。
 そのなかに、「わたしと小鳥と鈴と」と「星とたんぽぽ」という、大好きな作品があります。


 (金子みすずの詩を、よしだみどりさんが英訳してご自分で絵を添えて出版された『睫毛の虹』という素敵な本があります。それをここに添えて置きます。)


            星とたんぽぽ!!




            わたしと小鳥と鈴と!!






 この「土のうつわ」に「見えない宝」を、それぞれみんな違った持味を生かして、「喜んで生きる」!


 本当に不思議に思います。
有難いことに、先程申し上げた高校生のとき、面白い「牧師夫妻」に出会いました。
 川崎先生が『いい人生 いい出会い』という面白い、良い本を出しておられますね


 学生時代に恋をし、結婚することが出来たことも不思議ですが、牧師になってから、これも思いがけず、神戸の下町で生活をはじめることが出来た!!


 当時全く驚きましたが、未だ厳しかった部落差別の現場で生活を始めることになり、はじめ5年間ばかり、ゴム工場の雑役をして職人になってみたり、色々思いがけない経験をすることが出来ました。


 この現代に「信じて生きる」ということはどんなことなのか、「教会」ってなんだろう?「牧師」ってなんだろう?とか、手探りをしながら、30年がアットいう間に過ぎました。そしてこの間、多くの人々の努力で、人々を苦しめていた「差別の壁」が、ようやく解消されてきた「新しい時代」を迎えることができました。
 皆さんのなかには、もう「部落差別」という「壁」は、殆ど薄れてきているのではないかと思います。


 最初に、ヨハネ福音書のプロローグを読んでいただきました。
 文語聖書で、ここは次のようになっています。


 「はじめにことばあり。ことばは神とともにあり。ことばは神なりき。
  よろずのものこれによりてなり、・・これにいのちあり」


 はじめにことばがあり、これにいのちがあったのです。
 はじめにいのちがあったのです。


 私たちが最初、差別をなくす運動に出会ったのも、「はじめにいのちがあった」ことの喜びに出合い、「喜びの表現」として、私たちは歩みだしたのです。


 決して「はじめに差別があった」のではありません。


 この「はじめのいのち」、この「はじめの光り」を、私のこの「土のうつわ」に受けて、喜んで生きる!


 今日は、神谷さんのことを多く語りました。
 神谷さんは素敵な作品と生き方を私たちに残してくださいました。
「心の芯」が「本当のいのちに触れる」思いが致します。。


 「いのち」に出会う、「光り」に会う、その時はじめて、私は「うつわ」であることに気付きます。「うつわはまるで腐れ木」のようで、「いつこわれるかわからない」ことを知らされます。


 そしてこのかけがえのない「小さなうつわ」に「いのちの水が、あとからあとから湧き出て、つきることがない」と、神谷さんは病床のあって、歌われました。


 彼女は最晩年、心筋梗塞の発作のあと、こう書き記されました。


 「私の一生は、ただ恵みをうけるための器(うつわ)であった。」と。(203頁) 


 祈祷
 父なる神さま 私たちが忘れているときも、いつもあなたは、私たちと共にいて、支え、励まし、力づけてくださいます。
 あなたの「大きないのち」をいっぱいにうけ、そのいのちを自由に発揮する、良い人生を、あなたは約束してくださいます。
 深い信頼と希望を、それぞれのこころに宿らせてください。
 主のみなを通して、祈ります。             アーメン