「新しい時代を迎えるー神戸における小さな経験から」(第1回)(高砂高校、1999年11月12日)
今回から数回に分けて掲載するのは、1999年11月12日の兵庫県立高砂高校の2年生を前にお話をさせていただいた時の記録です。
広い講堂にたくさんの高校生たちが居並ぶなかでのお話でしたが、あの日のことは何故かいまも記憶のなかに蘇ってまいります。
今回の第1回目のところでは、あの写真家でエッセイストとして知られる星野道夫さんのことに触れていますので、私が初めて買い求めて読んだふたつの作品と、神戸大丸での「星野道夫の世界展」で手に入れた『アフリカ旅日記』の表紙をUPして置きます。
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新しい時代を迎える(第1回)
神戸における小さな経験から
高砂高校 1999年11月12日
序
皆さんは、星野道夫という方をご存じですか。あの大地震の翌年、今から3年前、カムチャツカでクマに襲われ、44歳の若さでなくなった方だと言えば、思い出していただけるかも知れません。
美しい奥さんと可愛い小さな男の子をアラスカに残してなくなりました。
私は、奥さんも子供さんも彼も、直接は知り合いではありませんが、ご家族のドキュメンタリーで見たことがあります! 美しい奥さんと、可愛い男の子でした。そして、亡くなられた星野さんは、とてもとても魅力的な男性でした!
先々月9月に「神戸大丸」のミュージアムで「星野道夫の世界展」という写真展もありました。たくさんの方が、次々と見にきていました。
私は、星野さんが大好きです。アラスカの動物や自然、見事なオーロラなど、彼の写真は素晴らしいものです。この度の写真展も素晴らしかった。
特に彼のエッセイが好きです。写真展でも、最後の書き下ろしの遺作『アフリカ旅日記』ができていて、求めて読みました。
少し前にでた『長い旅の途上』という作品は、毎日朝、仕事にでる前に数ページづつ、大事に大事に読みました。やっと終えました。
この本に、こんな言葉がありました。
「きっと人はいつも、それぞれの光を探し求める、長い旅の途上なのだ」
彼は44歳という若さで逝ってしまった。
千葉県の出身だったと思いますが、どういうわけか、小さいときから、北海道の大自然にひかれていたようです。
そして、「アラスカへの夢」が宿るのです。
人は誰でも、夢が宿ったそのときから、新しい一歩がはじまります。
彼は皆さんと同じ高校生のときに、「アメリカひとり旅」をする。慶応大学に入って、念願のアラスカに!
「きっと人はいつも、それぞれの光を捜し求める、長い旅の途上なのだ」
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申し遅れました、はじめてお出会いします。神戸からまいりました鳥飼です。
一生のうちで、皆さんと顔を合わせるのは、今日一回だけかもしれませんね。
私も、もちろん皆さんのような高校生の時代がありました。
皆さんはいま高校2年生です。星野さんのように「夢が宿る」ころです。
あのころ、藤村の「櫻の実の塾する時」など読みましたが、いま皆さんは「青い春」青春の真っ只中ですね!
すでにご自分の「夢」が宿っている方もあるでしょう。
「自分の光を捜し求める、長い旅の途上」で、皆さんはいま、それぞれの「志望先」を探しておられると思います。
「志望先」という言葉はいいことばですね。
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私のふるさとは、山陰の片田舎、鳥取県の関金町、ひなびた温泉のある小さな町です。
農家の三男坊に生まれました。幼いときに父は亡くなり、父親というものを知りません。
男ばかりの3人兄弟で、7つちがう一番上の兄は、高校をでていま問題になっている神戸製鋼所に出て行きました。
2番目の兄も高校をでて、弁護士になりたいという夢を抱いて東京に出て行きました。昼間仕事をして夜学に通い、苦学を重ねて夢を実現させました。
三男坊の私も、高校時代に「夢」が宿り、お金も無いのに京都の「同志社大学」に進学しました。
母を一人田舎に残して、3人の兄弟はみな、家を後にしました。
母はいま90歳ちかくなりましたが、現在は、長男の家族が、田舎で母と暮らしています。
そして私は今、60歳を前にして、神戸の下町で暮らしています。