賀川豊彦の畏友・村島帰之(136)−村島「アメリカ巡礼」(1)

   「雲の柱」昭和7年8月号(第11巻第8号)への寄稿分です。

         アメリカ巡礼(1)         サンペトロの日本人漁村を訪ふ
                            村島帰之
 
   九月二十六日
 賀川先生が出立されて了ふと一時に疲れが出てかがっかりして了ふ。殆どなす事なくじて過す。
 先生シカゴ安着の報来る。

   二十七日

 午前六時早天礼拝。定例の朝食の時「お一人になって寂しいでせう」とみんなから同情される。
 午前十一時半から鵜浦牧師の基督教會で「街頭の十字架」と題して講演する。お腹がへってゐたので疲れた。講演の後、牧師邸で御馳走になる。

 午後七時から合同教会の夕拝。みんなで先生の健康について祈る。
 「どの講演の、どういふ節で恵みを受けたか」について証しをする。私は先生の健康が奇蹟であるといふ話を二十分ほどする。疲れた。

 二十八日、二十九日、三十日、十月一日、二日、日記が約一箇月以上も滞ってゐたのを書く。
 実際、此の三十日間は日記を書く暇さへなかったのだ。朝は遅くも七時には起きて、夜は十二時近くでなければ、用事がすまないのだから。

 その反動で朝も寝坊するやうになった。一箇月間の緊張がゆるんだのだらう(東部で聖戦をして居られる先生を思ふと、済まない気がするが)九時近く、ノコノコと階下へ降りて行くと、高橋さんの部屋では、私のために、ちゃんと朝食を拵えて置いて下さってゐる。高橋夫人が作って下さる食前のオレンヂ・ジュースと、食後のホット・ケーキのうまいこと。

 訪間者が次から次へとある。賀川先生への揮毫の取次には弱らせられるが、先生への敬愛の情を知っては無碍にも断れず、忠ならんとすれば孝ならずだ。

 福音時報の久保田さんに頼まれて「幻滅のアメリカ」一篇を草する。羅府新報からも、松浦記者が見えて、何か日本のことについて話といふので、尖端的都會風景を一時間ほど喋舌る。いつも他人を訪問して記事にしてゐる自分が、反對にインタビューされるのだから少し勝手が違ふ。

 昼飯は近所のランチヘ行く。メキンカンなどと一緒にスタンドに向かって腰かけてたべるのも面白い。此の辺は日本人経営が大部分だから、日本へ帰ったやうなものだ。洋食がほしくない時には、うごん屋に這入ったり、天ぷら屋に這入る。

 晩飯だけは羅府の銀座ともいふべきブロードウェー街へ出て、カフェテリアなどに這入る。ここへは日本人が殆ど来てゐないので、外國だな、といふ気が初めてする。

 (二十八日から十月二日までの日記が不鮮明なのは、滞ってゐた日記を書上げるのに忙しかったのと、もう一つは、書上げた分を徳牧師に目を通して貰はうとして同氏へ托して置いた間、つひ、書き落して了ったためだ。この間が、私がホッとしてゐて、何も手につかなかったと思って貰へばいい)

    西田惣五部氏
   十月三日

 前夜の約束に従って午前八時、西田惣五郎氏が自動車で迎へに来て下さる。サンピトロの漁村を案内してやらうといって。
 取敢へずバーチ街の西田氏邸に行く。このあたりは一帯の黒ン坊地区だ。

 「白人の住宅区域にゐると此方が遠慮しなければならぬが、黒ン坊街ではその気兼ねがゐらないから善いです」
と、西田さんらしい言葉だ。西田さんは熱心な基督教信者で、三重県山田の人。先年までは三重県人會長を勤めてゐたといふ徳望家だ。

 令嬢さち子さんはピアニストで、三箇所に教習所を持ってゐられる。朝飯を頂いて後、暫くさち子さんのピアノ演奏を聞く。宗教的音楽を。
 「ヂャズ音楽は動物的で嫌ひです。日本音楽も始めてゐます。六段だの春雨だの」
 さち子さんはアメリカ生れだが、日本語も上手だ。日本は未だ見た事がないのだが。

 十時、西田さんのシャファーで出かける。さち子さんもサンペトロへピアノを教へに行くので同行する。
 途中、ピーチアンブレラをかぎして道端で貳拾五銭の辨当を売ってゐる娘を見かける。ピーチヘ行く連中相手の商賣だ。

 ピーチ行といへば、水泳着を手にした青年がわれわれの自動車に手で信号して乗せてくれといふ。「ホルドアップ」が怖いので誰も乗せてはやらないらしい。

 ロサンゼルスの町を出ると一帯の畑だ。西田さんが曾て百姓をし、農業組合を作ってゐた事のある所だ。此の辺一帯の作物は皆日本人の手になるのだと聞くと、ひとしほなつかしい気がする。

 けふは土曜なので畑は休みだといふ。なぜ土曜が休みかと訊くと、日曜日は青物市場が休みなので、市場へ積出す野菜の摘取りの必要がないからだといふ。盆と正月以外に年中休日を持たぬ内地の百姓とは大分趣きが違ふ。

 この辺の百姓は一人乎均一日に二町位は鋤くㇳラクターを用ふからだ。日本の農村でこの式を採用したら、一体日本の小作人はどうなるといふのだらう。
 お百姓のトラックが空で走って行く。今朝、ロサンゼルスの青物市場へ野菜を運んで行った帰りなのだ。後から追ひついて運転台を見ると予想に違はずいづれも日本人であった。

     (つづく)